第百二十二話 黒痣病
バザルに案内されたメルクは、口元を布で覆い隠し、辿り着いたキレル村の一室を訪れていた。
むろん、妻子を心配するエディンが同行を申し出たが、村の外れへと置いてきた。仮にメルクの『治癒術』でも手に負えないような病であった場合、彼まで危険にさらす可能性があるためだ。
恐らく今頃は、フォルディアやスウェイミルと依頼の報酬について交渉していることだろう。
(奥さんたちの病状が気掛かりで、それどころじゃないかもしれないが、な)
メルクは内心でエディンの心情を慮ってから、部屋の内部へ眼を向けた。
物がほとんど置かれていないその部屋の寝台には女性が一人寝かされており、額や鼻頭に汗を吹き出させ、苦しそうに顔を歪めている。
「彼女がデネミスか……容態は?」
メルクが隣のバザルに問いかけると、彼は眉根を寄せてから頷いた。
「病を発症してからずっと高熱が続いています。腋窩や首筋、鼠径部に痛みを伴う腫れがあり、時折呼吸や脈が弱くなります。何より特徴的なのが――失礼」
バザルが眠っているデネミスの掛布団を横から半分捲れば、右側の手足が露になった。その上下肢には、黒々とした痣のようなものが見て取れる。
「これは……内出血痕か? 随分と酷いな」
口元を覆う布の下で唇を引き締めたメルクに、バザルもデネミスへ布団を掛け直しながら首肯し、小声で話しかけてくる。
「ええ。このまま進行するとやがて四肢のいずれかが壊死を起こすことになります。あるいは体内の臓器が機能不全を起こすか……もちろん、両方起こる可能性もあります」
「そこまでいくとたとえ病気が治っても、大きな後遺症が残るだろうな」
「はい。だからこそ、そこまで進行させてはいけないのです。現在、完全な治療薬は完成していませんが、病の進行を止める薬はいくつか完成しています」
「なに? そんな薬があるのか。ならもしかして、予防薬もあるんじゃないか?」
「……いえ、ありません。完成しているのは、あくまでも進行を抑える薬のみです」
メルクの問い掛けに、バザルは一拍の間を置いてから否定する。
その反応が少し奇妙で探るような視線を向ければ、バザルはメルクから視線を逸らして肩を竦めた。
「実を言えば、予防薬もあることもあります……が、おそらく投与しても効果は薄いかと」
「うん? 何故だ?」
「『黒痣病』が厄介なのは、感染することに加え進化して強力になるところなのです。以前であれば効果があった薬が、しばらくすると病に効かなくなる……つまり、従来の予防薬を投与しても、今の『黒痣病』には意味をなさないでしょう」
「進化? ああ、なるほど。だからさっき、『病の進行を止める薬はいくつか完成しています』なんて奇妙なことを言ったのか。薬が効かなくなる度に、新たな薬を作っているから」
「ええ、まぁ」
神妙な面持ちで頷いたバザルに、メルクは得心の行く思いだった。
だがそれと同時に疑問が浮かび、鋭い眼で彼を見据える。
「それはそうとして、予防薬があるのなら最初から言ってもらいたかったな。例え効果が薄くても、予防投与するのとしないとでは症状の軽重にも差が出るはずだ。それともその薬には、無視できないような副作用があるのか?」
「……いえ、今のところは特に。稀に高熱が出るケースもあるようですが、それも薬の影響かどうかは不明で、いずれも早期に解熱しています」
「なら、あとで私のためにその予防薬を用意してもらいたい。それと――そこにいる三人の馬鹿どものためにもなっ!」
メルクはキッと後ろを振り返り、少しだけ開かれている部屋の扉を睨め付ける。
「おっ、バレていたか」
気配を隠す気もなかったフォルディアが、悪びれる様子もなく部屋の扉を開けた。
そこには心配そうな顔をするエディンと、興味深そうに内部を覗くスウェイミルの姿がある。
皆一様に、口元を布で覆っているのが救いではあるが、だからと言って言い付けを破って良いことにはならない。
「あなたたち――」
「お前ら一体何のつもりだっ! 遊びじゃねぇんだぞっ!」
三人を注意しようとしたバザルに先んじて、メルクが抑えた声で怒鳴るという、器用な叱り方をした。
「フォルディアっ! お前がついていながら冒険者でもないエディンをここに連れてくるなんて、何を考えてやがるっ!」
「おい、まぁ落ち着けよ。患者の前だぜ」
「テメェ……」
「め、メルク嬢……もしかしてそっちが素かのう?」
「……あ、わ。あわわわ……」
三人の身を案じるあまりメルクの中のエステルトが露になってしまい、数々の修羅場を潜って来たであろうスウェイミルでさえ引き攣ったような顔をして一歩下がった。
冒険者でもないエディンなど、美少女であるはずのメルクに威圧されたのか腰を抜かしている。
傍にいたバザルも身の危険を感じたように、メルクから何歩か距離を取った。
(――えぇ……俺が悪者みたいじゃねぇーか)
周囲のそんな反応に気勢が削がれたうえ、フォルディアが言ったように今は患者の前だ。
メルクは昂る気持ちを抑え、息を吐いてから怒らせていた肩を下す。
「……説教は後だ」
「おい、説教って――」
「言い訳も後だ」
低い声で告げたメルクに、何か言いかけたフォルディアをさらに視線で黙らせ、メルクは眠っているデネミスへ振り向いた。
「とりあえず、私の治癒術を試してみる。治癒で完治する疾病であれば、必ず治療できる薬も作れるはずだ」
「……メルクさん。先ほども言いましたが、おそらく『簡易治癒』では効果はないかと。僕も『簡易治癒』を使えるので他の患者に試しましたが、とても治しきれない。一時的に多少状態が回復しても予後不良が見られました」
「そうか……まぁ、試してみよう」
バザルの忠告に頷きつつも、メルクは自分の治癒術に絶対の自信を持っている。治療薬や他の治療法がない以上、ここで試さない手はない。
「――『真正治癒』」
メルクの掌から柔らかな光が生み出され、寝台で横たわるデネミスの身体を優しく包み込んだ。