第百二十一話 薬術師と治癒術師
「こ、ここまで来て『帰れ』って……ちょっと待ってくださいっ! デネミスやヤーマ――私の妻や娘は無事なんですか?」
「……ああ、エディンさんはデネミスさんのご主人なのですね。申し訳ありませんが、村の方々の状況についてはお答えできません」
「そんなっ! 私は彼女たちの家族なんですよ? デネミスやヤーマが無事かどうかだけでもっ!」
「そ、そんなことを言われましても……」
妻と娘の安否がやはり気掛かりなのか、薬術師であるバザルに取り付き懇願するエディン。そんな彼に、バザルは気圧されるように表情を歪める。
「――ネッドさんっ。教えてくださいっ! 妻と娘は無事なんですかっ?」
「うっ……」
口をきつく閉ざすバザルから聞き出すのがじれったく感じられたのか、エディンは鋭い眼で傍に立っていた老農夫のネッドへと視線を移した。
そのいつにもないエディンの眼光に、顔馴染みであるはずのネッドも怯むように眼を瞬かせ、しばしの間ただ視線を合わせ続ける。
「――ふぅ。そりゃあ、家族のことは心配か……」
そして、根負けするようにネッドは息を小さく吐き出した。
「エディン、心して聞け――」
「ネッドさんっ!」
ネッドを制止しようと声を張り上げたバザルを、逆にネッドは視線だけで制する。二人も少しの間無言で睨み合い、やがてバザルが諦めたように引き下がった。
「……いいか、エディン。お前の妻、デネミスは重篤。ヤーマはまだ症状は軽いが、バザル先生の話では病に感染しておるらしい。一刻も早く治療せねば大変なことになるだろう」
「……なっ――なんですって? そ、そんな……」
重々しく言い切ったネッドに、エディンは目を見開いて絶句する。
縋るように周囲の者たちへ視線を向け、やがて絶望するように頭を抱えて顔を地面に向けた。
「わ、私の家族が……そ、そんなことって――そんな……」
「エディン。辛いじゃろうが、お前の家族だけではない。今ではキレル村のほとんどの者が病に侵されておる。儂の息子夫婦も孫も……みんな、みんなじゃ」
落ち込むエディンを労わるようにネッドが優しく肩を叩く。
(――なるほど……エディンが言っていた『違和感』ってのはこのことか)
メルクは彼らの話を聞きながら、内心で一人納得して頷いた。
どうやらキレル村のほとんどの者が病に臥せっているらしく、そのため引退したはずのネッド老人が畑仕事をせざるを得なかったのだろう。
彼の息子だけではなく、周囲の畑に農夫がいなかったのも得心が良く。
「家内たちは治るんですか? ちゃんと、治療できるんですよねっ?」
「……はっきりとしたことは言えません。ただ、善処はします」
「『善処する』って言ったって……会わせてくださいっ! 家内に、娘に会わせてくださいっ!」
「駄目です。はぁ、こうなると思って言いたくなかったのです。今、あなたが奥さんや娘さんに会われたところで何もできませんよ。むしろ、患者を一人増やすことになりかねない……どうぞ、お引き取り下さい」
「け、けど……」
「……少し、話を伺ってもいいだろうか?」
薬術師の立場として、家族であるエディンを宥めるバザルに対し、メルクは慎重に切り出した。
「なんです?」
「村で流行っている病の名は? いったいどのような経緯でキレル村で流行しているんだ?」
「……それを冒険者であるあなたに言ったところで、たいした意味はないでしょう。問答は不要です。あなた方も、一刻も早くお引き取り下さい」
メルクの質問に対し、バザルは鼻白むような表情を浮かべた。その表情、言い方から、若い娘の身空で冒険者などやっているメルクに思うところがありそうだ。
実際の中身はいい年をしたおっさんであるメルクは内心で苦笑しつつ、それを顔に出さないように真面目な顔つきで願い出る。
「バザルさん。私は冒険者だが、同時に治癒術師でもあるんだ。患者と会わせてくれないか? 大抵の病ならきっと治せる」
「治癒術師? あなたがですか?」
信じられないのだろう。
胡散臭そうに眉根を寄せて大袈裟に首を傾げて見せる。
「ほう? あんさんは治癒術も使えるのかい? たいしたもんじゃのうっ!」
今までメルクたちの話を黙って聞いていたスウェイミルが、驚いたように感嘆の声を上げた。
フォルディアは知っていたためか、腕を組んで黙って頷くのみであった。
「め、メルクさんっ! 本当に治癒術が使えるんですか? 妻や娘を治せるんですか? お願いしますっ! 彼女たちを救ってくださいっ!」
「う、うおっ? わ、分かったっ! 分かったからちょっと離れろっ!」
こちらの両肩をがっしりと掴んで、涙と鼻水に塗れた顔を近づけてくるエディンにたじろぎながら、メルクは何度も頷いた。
「……あなたが本当に治癒術師であったとしても、患者に会ったところでおそらくは無駄かと。『簡易治癒』で治すには、あまりにも病が強すぎる」
ようやくエディンを引き剥がしたメルクに、バザルは顔色一つ変えずに淡々と告げた。
「僕がキレル村に訪れた時には、すでに発症している者もいました。なので感染源は不明です。初期症状として腋の下や鼠径部が腫れ、進行すると身体の至る所に黒々とした内出血痕が現れます」
「……『黒々とした内出血痕』? あちらは感染しないしできるのは青痣だが……まるで『青痣病』みたいだな。だが、そんな病気は聞いたことがない」
「ええ、おそらくは未知の病気かと」
メルクの呟きに、バザルも首肯してみせる。
「僕は便宜上、この病気を『黒痣病』と名付けました。厄介なことにこの病気は、未だに感染経路が判明しておらず、治療法も確立されていません。今は何とか調合した薬剤で病気の進行を遅らせていますが、それも時間の問題です。感染者の多くは衰弱が進んでおり、一刻も早く治療しなければ長くはもたないでしょう」
「……『黒痣病』か。実際に診なければ分からないが、その病が未知のものであれば、私にも治せる保証はない」
「そ、そんな……」
真剣な顔で断りを入れたメルクに、エディンがショックを隠し切れないように表情を歪めるが、そんな彼を安心させるようにメルクはすぐさま笑みを浮かべた。
「だが、できることはやってみよう。行きずりとは言え、病で苦しんでいる人々が傍にいるんだ。なら放っておくなんて真似はできないし、なによりそんなことをしたら師匠にどやされてしまう」
「メルクさん……」
肩を竦めたメルクに、エディンが感極まるような声出す。
その大袈裟にも思える反応はしかし、それだけ彼も自分の家族のことが心配なのだと教えてくれた。
これは何としてでも、救いたくなるのが人情と言うものである。
「さて。というわけで、とりあえずはエディンさんの奥方や娘さんのいる場所に案内してもらえないだろうか? 私は薬術も齧っている。きっとあなたの役にも立つはずだ」
「……わかりました。自己責任をお約束いただけるのであれば、ご案内いたしましょう」
メルクが治癒術師である以上、断る理由はないのだろう。
一拍の間を開けてから、やがてバザルは何とも言えない表情で頷いたのだった。




