第十二話 十四歳、春
春の風が里に温もりを運ぶようになって数日。エルフの少女メルクは、いつものように自宅の庭で木の棒を振るっていた。
成長し、今年で十四になるメルクは平均以上に背が育ち、女としての魅力も十分に醸し出すようになっていた。
なんせ十四と言えば人間なら成人だ。長命であるエルフであるがゆえに成人は十六となっているが、成長速度はこの年齢までなら人間とそう変わらない。
その中でも、メルクの成長には著しいものがあった。
この年頃からそれはゆっくりとなっていくが、少女としての愛らしさと女性としての完成された美が混ざり合う、儚くも美しい時期が長く続くとも言える。
種族的に美形が多いとされるエルフの里においても、同年代よりもずっと大人びたメルクの美貌はひときわ目を引いていた。
さらに容姿だけではなく、師匠であるルゾーウルムの指示により里で飼育されている家畜たちのかかりつけ医のような役割も担っている。この歳でそれだけ頼りになる存在になったメルクは、里でも評判の少女となっているのだった。
「まぁ、そんなもんは誰も望んじゃいないんだがな……」
素振りの休憩をしようとしたら、家の扉の前に風で飛ばないように石で重しをされた手紙を見つけ、メルクは投げやりに呟く。
手紙の中身を見れば、例によってメルクに交際を申し込みたいとの旨が記されていた。最近になって、この手の手紙がよく置かれている。
「こんなガサツ者の何が良いのかねぇ?」
手紙の中身を読み、定型句のような恋文であることを確認し指を鳴らす。すると瞬時に手紙が燃え、一気に灰だけとなって消滅する。
簡単で実用的な、しかし無詠唱で行うには難しいはずの火の魔法だ。
ルゾーウルムの弟子になってもう六年。この程度のことは朝飯前にできるようになっていた。
「まーた変なことに魔法使ってるっ! お父さんに怒られるよ?」
メルクが地面に落ちた灰を足で払ったところで、一部始終を見ていたのか弟が咎めるような声を出す。
朝早くからどこかへ出かけていたはずだが、たった今帰ってきたところらしい。
メルクは咎められたことに対する気まずさを誤魔化そうと、ことさら明るく弟に話しかけた。
「おお、ロー。どこに行ってたんだ?」
「森の関所だよ。お母さんと一緒にいたんだ」
「また、冒険者が来るのを待ってたのか? だからそう簡単には現れないんだよ」
ローの答えは半ば予期していたものだが、相変わらず無意味な行為を繰り返す弟に呆れてしまった。
ローは人里とエルフの里を仕切る森の関所に見学へ行っていたらしい。そこではメルクとローの母親であるテレーゼが警備兵をしているので多少の融通は利くのだ。
それはいい。しかし、ローが関所を訪れている理由が、いつ現れるか分からない人間の冒険者を見物するためなのだから感心しない。
「でも、里長が人里の冒険者ギルドに依頼を出したんだよ? きっともうすぐ現れるよ」
「落ち着け。まだ里長が討伐依頼を出して三日目だろう? そんなに早くには来ないはずだ」
「どうして?」
「討伐対象が『炎翼狼』で、ここがエルフの里だから、だ」
繰り返し何度も説明していることだが、十一歳になったばかりのローにはまだ納得することができないようだ。
もちろん、メルクの説明が下手なせいもあるだろう。里の山に現れた『炎翼狼』という魔物の怖ろしさも上手く伝えられないし、人間がエルフに対して抱いている奇妙な感情を言い表すことも至難だ。
「いいか? 『炎翼狼』はギルド公式の危険度で言えば『橙級』。三年前お前も山で見た『翼狼』が百倍強くなったと思えばいい。さらに、『炎翼狼』がいるってことは、その『翼狼』が群れで守っているのは間違いない」
「……うん? でも、冒険者って強いんだよね? お父さんが言ってたよ」
メルクの言葉が信じられないと言わんばかりの表情になるロー。人間達相手に教師をしている自分の父親の言葉を、頭から信じ切っているようだ。
「そりゃあ中には強い奴だっているさ。けどなぁ、『炎翼狼』相手に迷わず依頼を受けられるパーティーは限られている。大陸全体で見ても、十はないだろうな」
「え? そんなに『炎翼狼』って強いの?」
「だからそう何度も言ってるだろう……」
やっと事の大きさが理解できたように目を見開くロー。メルクは精神的な疲れから肩を落としながらも、それも仕方ないことかと割り切った。
なんせ弟のローは、あまりにも世間を知らない。
生まれてから十一年間、ずっとこの狭い里で暮らし、大人や書物などから得られる知識だけを吸収してきた。
当然、前世で冒険者として各地を回っていたメルクに比べれば、見識や見聞、想像力に差があって然るべきなのだ。
これは何もローに限った話ではなく、里に暮らす大抵の子供たちがそうである。エルフの里では掟として、成人を迎えた者以外は里の外に出ることは許されていないのだ。
「じゃあ、ここがエルフの里だから人間達が来ないっていうのは? どういう意味?」
「あー……いや、人間はだな。エルフっていう種族に対して畏敬の念があると言うか、うーん……その近寄りがたい? こう……神聖な――」
「意味わからないよ、お姉ちゃん」
「だぁっ! 私だってなんて言えばいいか分からないんだよ。ともかく、私たちっ、じゃねぇや、人間たちは軽々しくエルフの里に訪れていいもんだとは考えてないんだっ」
「……ふーん? そうなんだ」
頷きながら首を傾げるという器用なことをやってみせたローに、「これは分かっていないな」という思いを抱くメルク。しかし、これ以上上手には説明できない。
無理やり納得してもらう他なかった。
「けど、困るよね。『炎翼狼』がいる限りは山に入れないし……ただでさえ、三年前から子どもだけの立ち入りは禁止されているのに」
「ああ。狩人にしろ、二人一組が決まりになってしまったしな。けど、そのおかげで『炎翼狼』を見つけた狩人たちは無事だったんだ」
「うん……」
聞いた話によると狩りをしていたエルフの二人組が山の洞窟で『炎翼狼』を発見し、その取り巻きである『翼狼』に追いかけられながらも何とか逃げ帰ってこれたそうだ。
追手が一匹だけだったこともあり、二人で協力しながら助け合い、麓まで辿り着いたのだとか。辿り着いた後に多くのエルフを見て、『翼狼』が逃げ帰っていったのは運が良かったのだろうが。
「まぁ、山のことは心配いらないさ。もし、あと二三日しても依頼を受ける冒険者が現れなければ、さすがに里長も自分たちで解決しようと思うだろう」
「え?」
「そうすれば、堂々と私が討伐に乗り出せる。『炎翼狼』を倒せば、里長とて私を一人前と認めざるを得まい」
里長に一人前と認められた場合、たとえ十四と言うメルクの歳であっても成人としてみなされる。それはつまり、この里を出ることが正式に認められるということに他ならない。
「もうすぐ、師匠から皆伝だと言われているんだ。そうなれば、私はこの里を離れるつもりだからな」
もう何度も言い続けていることだ。その度に、ローは笑って取り合わなかった。時々呆れた目をこちらに向けて「そんなこと、できるはずないよ」と言わんばかりの顔をしていた。
「……」
けれどこの日、この時だけは、ローはただ無言でメルクのことを奇妙な表情で見ているだけだった。




