第百十四話 極
ルホーの町の食堂で教えられた通りにメルク一行が進めば、ログホルト市から発って七日目に雑木林が見える位置へと辿り着くことができた。
この雑木林こそ、店主がこのルートを「おすすめはしない」と言っていた理由の場所に間違いないだろう。
たしかに目の前の雑木林は多様な木々が鬱蒼と生い茂り不気味で、面積もそれなりにありそうだ。護衛対象であるエディンに歩調に合わせつつ警戒して歩けば、楽観的に考えても一日では通り抜けできまい。
確実に一晩は、この雑木林で野宿になるだろう。
「え、あんな場所で野営……なんとかなりませんか?」
雑木林が見えてきたところでメルクが見通しを告げれば、エディンはあからさまに渋い顔をする。それは誰だって、明らかに嫌な雰囲気が漂う雑木林で寝たくはないはずだ。
「エディン。あんさんが嫌がるのも分かるが、儂もあの林を一日で踏破するのは無理じゃと思うぞ。それよりもさっさと進まねば、一泊どころか二泊も三泊もする羽目になるやもしれん」
「じょ、冗談じゃありません。早く、はやく進みましょう!」
「へへっ。その意気じゃ」
スウェイミルの脅しが効いたのか、担いでいた荷物を背負い直して雑木林へと早歩きで進むエディン。
スウェイミルも周囲を警戒しつつその後へと続く。
「おい、フォル。気付いたか?」
そんな二人の後を離されないようについて行きながら、メルクは両掌を後頭部に当ててのんびりと歩くフォルディアに呼び掛けた。
フォルディア以外には聞こえてはいないはずだが、一週間ほど「フォル」と呼んでいたために、今では意識せずともそう呼んでしまう。
「うん? 林から俺たちに向けられている視線のことか?」
フォルディアは、メルクの言わんとすることをやはり即座に理解し、二、三度瞬きしながら首を傾げた。
「気付いていながらその余裕かよ……ちょっとは警戒しろ」
「なんでだ?」
呆れたメルクの言葉を受けてさらに困惑したように、フォルディアは自分の後頭部に回していた腕を解除する。その様子から、彼がどこまで理解しているのかメルクには不安になってしまった。
「いや、林からの気配……どう考えても魔物じゃなくて人間だ。それもこちらを害する気満々の悪意を感じる。私たちを狙う分には問題ないが、エディンが狙いなら面倒だ。場合によっては魔物よりも厄介だぞ?」
「ああ、だろうな」
「『だろうな』って、そんな他人事みたいに……」
「いや、他人事だしな」
「へ?」
今度はメルクの方が困惑してしまい、楽し気に見下ろしてくるフォルディアを見上げ返した。
「いいか? エディンを護衛する依頼を受けたのは、あんたとスウェイミルのおやっさんだぜ? 俺は単なる同行者ってこと、忘れないでくれよ」
「お前……」
完全に「してやったり」と言わんばかりの顔を浮かべるフォルディアに苛立ちを覚えつつも、たしかに彼の言うことに間違いはない。
依頼を受けたのはスウェイミルと、便乗させてもらったメルクだけだ。単なる同行者に過ぎないフォルディアには報酬が払われない代わりに、エディンを守る義務もないのである。それは他人事にもなるのだろう。
「まぁ、俺が呑気にしてられるのは『他人事』ってのも大きいが、エディンの傍にはおやっさんもいるからな。あのおやっさん……けっこう強そうだ」
「……へぇ? お前の眼鏡に適ったのなら相当だな」
メルクもエステルトであった前世の経験から、相対しただけで相手がどの程度の力かはおおよそ見当がつく。現世では相手の魔力も感じ取れるため、より他者の力量は正確に測れるはずだ。
しかしそれでも、フォルディアの天性の勘とも言うべき察知能力には及ぶまい。
おそらく彼であったならば、魔力を隠蔽する魔石を身に着けていた帝国の間者すら、どこかで違和感を覚えていたはずだ。
どれだけ魔力を隠していようと、相手がどれだけ幼かろうと、きっと何かしらの異常を感じて無意識に警戒しただろう。
そんなフォルディアがスウェイミルを「けっこう強そうだ」と評したのであれば――メルクには何の変哲もない単なるスケベな三等級冒険者と思えるのだが――ほとんど間違いないだろう。
「ふーん、それほど魔力も感じられないがな。たぶんあの親父、魔力操作すらままならないと思うぞ」
メルクが改めてスウェイミルの魔力量を調べてみても、やはり大したことは無さそうだ。前世、エステルトであった自分と同じくらいかそれよりも少し多いくらいだろう。いずれにせよ、この量では自分の中に眠る魔力を感じ取るのも難しいに違いない。
「おいおい。戦いにおいて魔力がすべてじゃないってのは、剣士の俺たちが一番良く知っていることだろう? それともエルフになって、魔力や魔法に溺れちまったのか?」
ことさらワザとらしく大仰に嘆いて見せたフォルディアに鋭い眼を向けてやれば、彼は真顔になってから肩を竦めた。
「コホン……多分だが、あのおやっさんは『極』が使えるんだろう」
「『極』? ……へぇ?」
久しく聞いていなかったその言葉に目を見張り、締まらない笑みでエディンと何やら話すスウェイミルへ顔を向けた。
エディンが煩わしそうな顔をしているので、どうせ下品な話をしているのだろう。
(あの親父が『極』を使うのか……なんか嫌だなぁ)
一週間ほどの付き合いだが、スウェイミルのこちらへ向けてくる性的な視線の数々は辟易とするものだった。
元はエステルトと言う男であるがために多少の免疫があるのでやり過ごせている。だが、メルクが正真正銘の娘であったならとっくに距離を置いていただろう。スウェイミルの視線や性的な言動は、まさに助平親父そのものであった。
――ちなみに彼の視線の厭らしさが、いつも胸の大きな女性へメルクが向ける視線とそっくりであることに、メルク本人は気付いていない。
「お? どうした? おやっさんが『極』を使うって聞いて嫌そうだな」
「……ああ。なんかこう……釈然としない」
フォルディアがメルクの様子に気付いて揶揄ってきても、彼女は苦虫を嚙み潰したような表情を止めることはできなかった。
当然だ。
なにせ『極』はメルクが――エステルトが『最強剣士』へと至る助けとなった特殊技能なのだから。
自分でも大人げないと思いつつ、人間的に感心できないスウェイミルがその技能を有しているというのは、理屈ではなく納得できないものであった。




