第百十話 命名
公爵の兵士たちにケーナの発見を知らせ、崖下にある河沿いの道に馬車を回すよう告げると、メルクはフォルディアを伴い冒険者ギルドへと向かった。
「おい。俺はできればとっととチュリセ帝国へ向かいたいんだが」
メルクが冒険者ギルドへ向かうと告げれば、フォルディアはあからさまに焦れったそうな顔をする。
無理もあるまい。
本来の彼であればお目当ての武器が迷宮にあると知れば、一目散に乗り込んでいただろう。だが、その迷宮が未踏破の『暗抗迷宮』ということもあり、自制してアスタードを頼ったのだ。
ラウバダ王国からここまで来るのにそれなりに時間がかかったはずだ。彼の我慢の限界も近いのだろう。
「まぁ、暗くなってきたことだしそう急くなよ。私は夜目が利くが、お前はそうでもないだろう? 今晩は用意を整えて、出発は明日にした方がいい」
「む……俺も魔力を目に集めれば見えないこともないんだがな。ただ、たしかにアスタードと合流したら、一度は準備をし直そうと思ってはいた」
「なら、出発は明日の朝で決まりだな。私もせっかくチュリセ帝国へ行くんだから、何か依頼を受けたいんだ。最近エルフの里を出て冒険者になったんだが、まだ一つも依頼を受けてなくてな」
「へぇ? ああそうか。いっぺん死んでるから、また『冒険者証明書』を取得しないといけなかったんだな? ご苦労なことだぜ……」
メルクの言葉に、やはりかつてと冒険者になる方法が異なっていることを知っているのか、フォルディアがうんざりするような顔となった。
昔と比べ、今は冒険者になるために試験もあり、おまけに試験を受けるためには実力者に推薦されなければいけないのだ。面倒なことこの上ない。
「そういや推薦状は誰に書いてもらったんだ? やっぱりアスタードか?」
「いやヨナヒム……ああ、お前の弟子だよ」
「そうか……はぁっ?」
メルクの何気ない言葉に、今度はその顔に驚愕を浮かべるフォルディア。本当にコロコロと表情が変わる男である。アスタードが基本的に無表情であるため、かつてと変わらないその対比が面白かった。
内心で面白がるメルクと違い、フォルディアはよほど驚いたのかしきりに首を傾げる。
「待て、冗談だろう? いや、でも俺はヨナヒムの名前を出してないよな……あれ? でもなんでヨナヒムとお前が知り合うんだ? え……」
「落ち着けよ。単にヨナヒムのパーティーが、私が転生したエルフの里に訪れた時に知り合ったんだ。そして彼らが里を出るときに便乗させてもらって、そのついでで推薦状を書いてもらったんだよ」
「それは……奇妙なこともあるもんだなぁ」
まさか弟子が、自分よりも先にメルクと知り合っていたなんて夢にも思わなかったのだろう。フォルディアは何と言えばいいのか分からないように口籠る。
「いやいや、私だって驚いたんだぞ? 勇者が弟子をとったうえ、相棒の『魔抗剣』をくれてやるなんて。目にし、耳にした時は冗談だと思ったさ」
「……まぁ、あいつは才能があったからな……おまけにしつこかった。いやぁ、餓鬼のくせにあんな根性見せられたんじゃあ、弟子にしないわけにはいなねぇーってもんだぜ」
「は……はは」
メルクは師匠であるルゾーウルムに弟子入りするため、かなり無茶をした幼少期を思い出して愛想笑いを浮かべるのがやっとだった。
もしかしたらルゾーウルムも、フォルディアと同じようにメルクを迷惑な存在だとみていたのかもしれない。
けれどフォルディアがヨナヒムに『魔抗剣』を贈ったように、ルゾーウルムも最終的にはメルクにあらゆる知識と技術を伝えてくれた。笑顔で送り出してくれた。
きっと認めてくれたのだと信じている。
「それで? 最近は会っちゃあいないが、ヨナヒムの野郎は元気なのか?」
「ああ、元気だったぞ。忌々しいことに、美人二人に囲まれて鼻の下を伸ばしていい気なもんだ」
「いや……あいつに限ってそれはないだろう」
ヨナヒムの傍にいた魅力的な女性――エレアとルカ――に鼻を伸ばしていたのは他ならないメルクの方だが、大人げない嫉妬心からそんなデマを吹聴しておく。
無論、フォルディアはすぐに見破り、視線を泳がせてから苦笑した。
「……ははん。たしかに、あの二人はあんたには魅力的かもな。相変わらず、デカい胸が好きか? メルク」
「おい、人を変態みたいに言うな。武器狂いのお前には分からないかもしれんが、大きな胸ってのは全ての男の浪漫なんだよ」
「ふーん? そんなもんかねぇ。てか、今のあんたは女じゃねぇーか」
「う、うるさいなぁ。それは別にいいだろう……あ、ギルドに着いた」
フォルディアにしては鋭い突っ込みをしてきたため、メルクは面食らって顔を逸らす。そしてちょうど冒険者ギルドが視界に見えたため、話題を変えることにした。
「さて、じゃあギルドで依頼を受けるとするかな」
「それで何の依頼を受けるんだ? 帝国へ向かいながらなら、やっぱり護衛依頼か?」
「ああ。できればチュリセ帝国へ行く商人か旅人の護衛依頼を受けたいが……まぁ、そんなに都合良くはいかないかもな。なければ期限の長い採取や討伐依頼を受けて、道すがらこなすとするさ」
「ふーん。なんにせよ、できれば明日の朝には出発できる依頼で頼むぜ」
「ああ、もちろん。もしそういった依頼がなければ、今回は諦める。ところで、依頼は私一人で受けるつもりなんだが、それでいいよな?」
一応確認しておこうと問いかけたメルクに、意味が分からなかったのかフォルディアがキョトンとした顔になる。
「なんでだ?」
「なんでって……お前が依頼を受けると『冒険者証明書』を提示することになるよな? そうすると『勇者フォルディア』だってバレるだろう? そしたらまた、面倒なことになるんだよ」
「そうか? 俺は気にしないぞ」
(いや、気にしろよ……)
さすがに世間から勇者と呼ばれるようになって十五年も経てば、人々から注目を浴びるのにもなれるのかもしれない。
しかしヨナヒムと知り合いと言うだけでエンデ市の冒険者ギルドで妙な注目を浴びてしまった経験から、メルクは嫌でも学習したのだ。
昔と比べ、今は冒険者たちの地位も上がった。高名な冒険者ともなれば、共にいる無名な冒険者でさえ衆目に晒されることになるのである。つまりメルクがいくら駆け出しの冒険者であったとしても勇者と呼ばれるフォルディアといるだけで、無用な詮索を受けかねないのだ。
そんな面倒は御免被りたい。
「……まぁ、あんたが一人で受けるってんなら止めはしないが――それなら一つ忠告だ」
「なんだ?」
メルクの想いを汲んでくれたのか、フォルディアは肩を竦めながら了承し、人差し指を空へと向ける。
「せめてギルド内だけでも、俺のことは『勇者』と呼ぶな。すぐ気づかれるぞ」
「あ……」
それはもっともなことだった。
メルクがフォルディアのことを勇者と呼びかければ、誰もが真っ先に『勇者フォルディア』を思い浮かべるだろう。
フォルディアがどう考えても勇者に見えないような容姿であればまだ良かった。奇妙ではあるが渾名か愛称とでも思われただろう。
しかしフォルディアは、世間が勇者と呼ぶ前からエステルトが勇者と呼んでいた男だ。つまりそれだけ勇者然りとした容姿を持ち、貫禄のある雰囲気を醸し出しているのである。彼が「勇者」と呼び掛けられていたら、周囲も納得してしまうだろう。
(かと言って、そのまま「フォルディア」って呼んでもバレるだろうし……うーん)
「……わかったよ――フォルさん」
考えた末、メルクはやっつけ感まるだしの命名を、彼に施したのであった。