第十一話(終話) 彼女と決意の鐘
小さな里の小さな集会場に、多くの人が集まっている。
「『――汝は精霊の息吹に触れ、真に彼らの眷属となった――』」
あちらこちらから聞かれるすすり泣く声は、集会所の中心にいる棺の中の少年へと向けられていた。
「『――汝の道行きには光が溢れ、すれ違う者たちを癒し勇気づけていく――』」
誰かが棺へと縋りついた。それは少年の母親で、それを充血した瞳に口をきつく閉めた表情の夫が諫めた。
夫婦は手を取り合って、再び列へと戻っていく。
「『――荒廃した大地を再び芽吹かせ、枯れ切った長江には潤いを与えることだろう――』」
里の司祭が詠み上げる弔詞が終わりに近づいたことを悟った人々が頭を下げ、目を閉じて黙祷を捧げる。
「『――我らが友、ガナン。汝の御霊が安らかなることを』」
司祭が胸に拳を当て棺へ向かい一礼すると、エルフの男たちが棺を担いで運んでいく。埋葬するために運んでいく。
それを見送るように、鐘の音が里中に響いた。
少年が生きた年数と同じ十一回。わずかに十一回しか鳴らされないその音を悼むかのように、長い間隔を空けて打ち鳴らされる。
誰もが泣いていた。
誰もが悲しみ目を赤くさせ、少年との別れを惜しんでいた。
その集会場の中にあって、少年と親友であるはずのあの少女の姿は――メルクの姿は最後までなかった。
ほとんどの者が集会場へと出向き、幼くして亡くなった少年の死を悼んでいる里の中に、自宅の庭で木の棒を振り回している少女の姿があった。
「はぁ、はぁ……」
がむしゃらに型も術も何もなく、まるで得物をめちゃくちゃに振り回す素人のように、少女は一心不乱に木の棒を振っていた。
メルクは木の棒を振っていた。
そんなメルクに横合いから声が掛けられる。
「……馬鹿な娘だねぇ。あんたは」
呆れるような、あるいは小馬鹿にしているようなその声に苛立ちを覚え、その声の主をキッと睨み付けた。
そこにいたのはメルクの師匠――ルゾーウルムだった。
「……師匠」
普段は自宅から出ることのないルゾーウルムの姿に戸惑いながら、メルクは構えていた木の棒を下した。
「集会場にいなかったからねぇ。もしやと思えばやっぱりここだったかい」
「……いけませんか?」
何でもお見通しと言わんばかりのルゾーウルムに、いつになく苛立って硬い声を返す。心がざわついて、師匠と言えども丁寧に接することができない精神状態だったのだ。
「別に、集会場に行かなかったことを責める気はないよ。あの坊やをどこで見送ろうともあんたの自由さね。けど、こんなところで棒切れを振り回しているのは感心しないね」
「ぼ、棒切れ?」
メルクの持つ木の棒はただの木の棒ではない。
里の鍛冶師に頼んで、頑丈な種類の木に鉛を埋め込んでもらった特注品だ。そしてそれだけではなく、もう何年もメルクの修行に付き合ってくれている愛剣のようなものだ。
師匠と言えども、馬鹿にされては黙っていられない。
「そんな怖い顔しなさんな。逃避するためだけに振るわれている物は、たとえ名剣だろうが聖剣だろうがあたしには棒切れにしか見えないね。馬鹿にされて怒るくらいなら、そんな投げやりな素振りなんてするんじゃないよ」
「――っ!」
全くの正論だった。
メルクは何も言い返せず、ただの棒切れのように扱ってしまった木の棒を見る。どんな時でも愛剣を蔑ろにするなど、剣士としてあるまじき行為だった。内心で深く反省する。
「……師匠、私は」
「ああ、言い訳なんて聞きたくないね。それよりもほら、さっさと行くよ」
「え?」
激高しかけたことを謝ろうとしたメルクを遮り、ルゾーウルムがこちらへと手招きする。その真意がつかめず首を傾げると、相手は信じられないと言わんばかりの顔になった。
「言っただろう? 今日から治癒術の修行をするって」
「治癒術……」
そういえば一昨日、そういう話も出た気もする。そしてそのことにひどく喜んだ気もするが、何だか遠い昔のことのように感じられてしまった。
「――今さら、治癒術の修行をしたところで……」
内心で留めておくつもりだった言葉が、唇をこじ開け外へと逃げ出す。きっとその言葉はルゾーウルムの耳へも届いてしまったことだろうが、メルクの紛れもない本心だった。
もう少し早く治癒術を習っていたら、あの少年は今も生きていたかもしれない。今度こそ本当に、メルクの手で救うことができたのかもしれない。
「己惚れるんじゃないよ」
そんなどうしようもない思考に陥りかけていたメルクの頭を、いつの間にか近づいていたルゾーウルムが小突いた。
「少し齧った程度で、致命傷を負っていたあの坊やを助けられたとでも思っているのかい? あんたが三年間修行してようやく使い物になるようになった薬術よりも効果があったとでも思うのかい?」
「それは……」
「あのレゾンが救えなかったんだよ? 多少早く治癒術をかけられたからって、半人前がどうこうできる次元じゃないんだっ! それ以前に、中途半端に手を出していたら――あんた死んでいたかもしれないよ?」
「え?」
「理解できないって顔だね? いいさ、教えてやるよ。それも含めて全部教えてやる。どれだけ血反吐を吐こうが音を上げようが、私の知る何もかもを教えてやろう。あんたにその覚悟があるんならね」
さぁ、どうする? と言わんばかりの眼でメルクを見つめてくるルゾーウルム。
彼女の弟子になってしばらく経つが、これほど真剣な目は初めて見るかもしれない。
先日、魔力操作のことがバレた時以上に、ルゾーウルムは鋭い眼差しでメルクを射抜いていた。
「覚悟、か……」
「ああ。もちろん、あんたが「嫌だ」って言うのなら構いやしない。その代り、金輪際あんたを弟子とは思わない。治癒術でも魔法でも好きにやりな。他の師匠だってつくればいい」
ルゾーウルムの言葉に、メルクは冷静に働かない頭をそれでも必死に働かせる。
治癒術を習っていれば、ガナンを救えたのかもしれない。けれど、本当はガナンを救うために治癒術を習いたかったわけじゃない。誰かを救いたかったから頑張っていたのだ。
ガナンを救えなかったからと言って、その頑張りを全部無駄にするのは、それは多分違うのだろう。
そんなことを、「メルクは凄い」と言ってくれたあの少年が望んでいるとは思えなかった。
「……師匠、なれるでしょうか? 私はちゃんと――誰かを救える治癒術師になれるでしょうか?」
「ふん、当り前じゃないか」
見上げるメルクに、いつもは丸めている背をしっかりと伸ばしたルゾーウルムが笑みをもって見下ろしてくる。
「あんたには才能がある。そしてこのあたしが教えるんだ。あんたが望むのならなんにでもなれるよ」
「なんにでも……」
訝し気な顔になったメルクの頭に手を置き、師匠は何でもないことのように頷く。
「ああ、なんにでも。剣聖だろうが聖女だろうが大賢者だろうとも……それこそ――勇者にでもね」
その言葉はまるで魔法のように、メルクの不安定な心の内に不思議と沁み込んでいく。
里には静かに、弔いの鐘の音が鳴り響いているのだった。




