第百七話 勇者と剣聖
「……え、すてると?」
メルクの言葉を受け、彼女を見下ろしていたフォルディアは間抜けな顔をして首を傾げた。耳が言葉を拾っていても、脳がその意味を理解できないといわんばかりの顔である。
「えすてる……エステルト? エステルトって――はぁ? いや、ちょっと待ってくれよ。おいおいおい。俺が知る最強剣士のエステルトって奴は、もう少し年取ってて、背もあって……てか、男だったぞ?」
「いや、性別に関してまず突っ込めよ……」
というより、そういう問題ですらないはずだ。なにせ、何もかもが違うのだから。性別はおろか、種族すらも。
やはり簡単には信じられないのか、フォルディアの目が不自然に泳ぐ。
「いや……おい、アスタード。このエルフはなんなんだ? お前が一緒にいたってことは、胡散臭い奴じゃないんだろう?」
戸惑ったようにメルクと握り合っていた手を離したフォルディアは、少し距離を取ってアスタードに尋ねた。
「……」
それに対しアスタードは、「我関せず」とばかりに腕を組んで小屋の壁に凭れかかる。どうやら何も言わず、成り行きを見守ることにしたようだ。
「……勇者、お前が信じられないのはよく分かる。俺だって、未だにこれが夢なんじゃないかと時々思うしな」
「おおっ! たしかに話し方はあの野郎にそっくりだ。でも、あいつがあんたみたいな少女ってのは無理あるだろう……」
「まぁ、聞けよ勇者。別に信じられないならそれでもいい。ただな、お前には言いたかったことがあるんだよ」
「うん? なんだ?」
無論、メルクにそんなことを言われたって心当たりはないのだろう。フォルディアが不思議そうに首を傾げる。
そんな彼に、メルクは深々と頭を下げた。
「わりぃな、勇者。お前には、嫌な役回りをさせちまった」
「――っ? なにを……」
メルクのエステルトとしての謝罪に、こちらを見下ろしているであろうフォルディアが、息を呑むのが伝わった。
あの時――『仇為す者』との決戦の折、本来であればフォルディアが突進して隙を作るはずだった。それをエステルトが良かれと思い、彼の代わりに囮となったのだ。
それによりエステルトは『仇為す者』の気を惹いて隙を作り、その隙をフォルディアが上手く突いて見事に世界の大災害を打ち払った。結果的にはエステルトという犠牲を出しながらも、彼自身が満足いく形で終わったと言えるだろう。
だがそれと同時に、フォルディアの気持ちは完全に置いてけぼりになってしまった。未来を託したいと思った者に生かされ、未来を託されてしまった――生き残ってしまった。
それはどれだけ辛いことだっただろうか。
当時は完全な自己満足に浸って考えもしなかったエステルトだが、メルクとなって再び幼少期からここまで成長してきた今ならわかる。ガナンという親友がいた彼女なら――再会したアスタードに糾弾された今ならば。
目の前で友を喪うのがどれだけ辛いことか。
助けたいのに、でも何もできない無力感がどれほどのものか。
いつも近くにいた存在が傍にいない世界とはどのようなものか――今なら悲しいほどよくわかるのだ。
無意味であると知りつつも、フォルディアに謝ってしまう程度には。
「嫌な役回り……あの時のことか? なんでだ? なんであんたが謝る? なんであんたがエステルトの後悔の代弁なんてする? 俺のために、世界のために死を選んだあいつのことを知った風に語る?」
頭を上げたメルクに対し、何かを堪えるような険しい顔でフォルディアが見下ろしてくる。そんな彼に、メルクは肩を竦めて苦笑した。
「おいおい、勘違いするなよ勇者。俺が謝ったのは俺なりのけじめだ。あの時の俺の行動に一つの後悔もない。たしかにお前には辛い思いをさせちまったかもしれないが、俺だってお前には――お前たちには生きていて欲しかったんだからな。だが、それは誰のためでもねぇ、俺のためにだ。お前や、ましてや世界のためなんかじゃねぇーよ」
「――っ! ほ、本当に……エステルトなのか?」
その言葉、その言い様にフォルディアはメルクの中のエステルトを感じ取ったのだろうか。今まで不信を隠そうともせずメルクを見ていた彼の眼が、戸惑いに揺らぎ始める。
「えす……いや、うそ、だ。嘘だ。違う、そんなはずがない。お前はたしかに……お前はたしかに死んだろう? 死んだはずだろう?」
そして目を見開いて後退りしながら、駄々を捏ねる子どものように首を振った。信じたい気持ちと、しかし信じ切れない気持ちが彼の中でせめぎ合っているように思える。
そんなフォルディアに、メルクは笑いながら距離を詰めてやった。
「俺が死んだって? はっ! 知らないのか、勇者? 『どんなに肉体が消し飛ぼうが、誰かの心に生き続けている限り死ぬなんてことはありえないんだぜ?』」
「――っ! それは……」
そう、それはフォルディアの言葉だ。
あの『仇為す者』へ突撃する作戦を立てた折、彼自身がエステルトへ放った言葉だ。その時はアスタードもイリエムも気を失っていたため、その言葉を知る者は告げたフォルディアか、それこそ耳にしたエステルトしかいないはずだ。
「ありがとうよ、勇者。お前たちが忘れないでいてくれたから、こうやって生き続けることができたってわけだ」
我ながら「臭い台詞だ」と思いつつ鼻の頭を掻いて笑みを深くすれば、口をパクパクさせていたフォルディアが躊躇なく突っ込んできた。
「えす……エステルトっ!」
「うげぇっ!」
身長差や体重差を全く考慮しないフォルディアの勢いある抱擁に、メルクは蛙の潰れたような声を出す。
(こ、こいつ、俺を『仇為す者』とでも勘違いしてんのか?)
メルクが咄嗟にそんなことを思うほど、その突進と抱擁は容赦のないものであった。
「お、おい、は、離せ……く、苦しい……」
「エステルトぉぉぉっ! 良かったぁ……良かったなぁっ……」
ほとんど絞め技に近い恰好でメルクを抱き締めるフォルディアは号泣し、鼻水を垂れ流しながら「よかった、よかった」と喚いている。
(……まったく。こいつは人が死んでも生きていても大袈裟だなぁ)
普段は滅多に泣かないからこそ、泣くときはこれほどまでに感情を露にするのだろうか。そうだとすれば、それはそれで面倒臭い奴だとメルクは思った。
「――やれやれ。いい加減離れなさい」
そしてフォルディアによるその熱烈な抱擁は、見かねたアスタードが二人を引き離すまで続いたのだった。