第百六話 前世の名は
突然のフォルディアの提案に、問いかけられたアスタードも傍にいたメルクも固まった。
何せ、床で横になっているケーナを傷つけたのは、誰であろう帝国の手の者と思われる輩なのだ。あまりのタイミングの良さ――あるいは間の悪さに思考が停止してしまう。
「……うん? 俺はそんなに妙なことを言ったか?」
「……いえ。あ、いや。おかしいでしょう? 何故、僕がチュリセ帝国に行かなければならないのです。そもそも、君は帝国へ何をしに行くんです?」
「ああ、武器が欲しくてな。正確には、現在は帝国の領地にある、『暗抗迷宮』に挑戦したいと思ってるんだ」
「君は……相変わらずですね」
(やっぱり武器かよ……)
メルクと同じことを想ったのか、アスタードは呆れたような視線をフォルディアに送るが、武器狂いの勇者はそんなものは屁でもないようだった。
「けど『暗抗迷宮』は大陸でも珍しい未踏破迷宮だ。おそらく俺一人では、目当ての武器までは辿り着けないだろう。ってわけで、優れた魔法使いの相棒が欲しいのさ」
「はぁ。たしか君、冒険者の弟子がいましたよね? そのお弟子さんの仲間に、魔法使いはいませんでしたか? せっかくですし、お弟子さんのパーティーと挑戦してみては?」
明らかに拘りたくないといわんばかりの表情を浮かべるアスタードに、フォルディアが「ちっちっち」と舌を鳴らしながら人差し指を軽く振る。
「それも考えたんだが、三つの理由で止めたんだ。一つは、形ばかりとはいえ、師匠である俺があいつらに頼みごとなんて御免だ。もう一つは、単純にあいつらじゃ力不足だと思ってな。あいつらじゃあ、今の実力ならどう頑張っても『橙級』が精々だろう。おそらく『暗抗迷宮』には赤も出る」
(……こいつにしては考えてるんだな。たしかに、今のヨナヒムたちに『赤級』は荷が勝ちすぎるか)
フォルディアの弟子と言えば、間違いなく彼から愛剣『魔抗剣』を譲り受けたヨナヒムのことだろう。
彼のパーティー『暴火の一撃』は年齢に見合わずかなりの実力者揃いであった。しかし『炎翼狼』にあれほど苦戦していては、未踏破の迷宮に挑戦するのはいささか早いように思える。
「……それで、もう一つの理由とは?」
「ああ? あれ? 俺、理由の数なんて言ったか?」
「言いましたよ、「三つの理由で止めた」って。もう一つの理由は何ですか?」
「もう一つ……ははっ。わりぃ、忘れちまった」
「……」
アスタードが呆れを通り越し、疲れたようにこめかみに掌を当てて首を横に振る。メルクも思わず罵倒の言葉を投げかけるところであった。
この勇者、もう駄目かもしれない。
「まぁ、てなわけでお前さんの力が借りたいんだよ、アスタード。なぁ、頼むよ」
「お断りします。と、言いたいところですが――」
縋るようにがっしりとした巨体を縮ませ、掌を組んでアスタードへ頼み込むフォルディア。そんな彼に一度はバッサリと拒否を告げたアスタードだが、心底嫌そうに大きく息を吐き出した。
「ふぅ――まぁ、いいでしょう」
「え? 本当かっ?」
「ええ。偶然とはいえ、君には弟子を救ってもらいましたから。これで、貸し借りはなしです」
「やりぃっ! ありがとよ、アスタード。じゃあ、早速だが一緒に来てもらえるか?」
「ちょっと待ってください。今ここを離れたら、僕の弟子はどうなるんですか? それに……」
今にも駆けだしそうなフォルディアを制し、アスタードがメルクへと視線を向けてくる。
「メルク。君が伝える決心がつかないのであれば、僕から彼に伝えましょうか?」
「なに?」
「……もしかして、本当にこのまま黙っているつもりですか? ふざけないでください。彼は本当に武器が好きで、武器のことしか頭にないような男ですが――泣いてたんですよ? 誰よりも……あの時、誰よりも泣いていたんです」
拳を強く握りしめ、まるで自分が傷つけられたかのように鋭い眼をメルクへと向けてくるアスタード。そんな彼を、メルクは戸惑いながら見上げた。
「僕やイリエムが目を覚ました時にはすべてが終わっていて――満足気な笑みを浮かべる君の亡骸に縋りついて、彼は……恥じらいも臆面もなく、嗚咽を垂れ流し、喚き叫び、ただただ泣いていたんですよ? そんな彼にどうして黙っていられるというのですか?」
「……アスタード?」
「君は、彼のあんな姿を見ていないから何とも思わないのかもしれません。けれど僕には、いえ、おそらくイリエムにだってあの光景は一生忘れられませんよ。彼の泣き顔なんて、後にも先にもあれっきりですから」
「勇者の、泣き顔か……」
アスタードのその言葉に、メルクの中に眠るエステルトの記憶が顔を出した。
あの時――『仇為す者』のブレスによって身体を貫かれた今際の際。エステルトはたしかに、長い付き合いになるフォルディアの涙を初めて見た。
エステルトの死が、勇者と呼ばれる男を――この強い男を泣かせてしまったのだ。よくよく考えてみれば、それは本当に大きなことなのである。
「おい? お前らは何の話をしてるんだ?」
会話の意味が分からずとも、何やらただならぬ気配を感じ取ったようだ。フォルディアが奇妙な顔をしてアスタードとメルクへ視線を往復させている。
そんなフォルディアへ顔を向け、メルクは肩を竦めてからこめかみを人差し指で軽く掻いた。
「……あぁ、そうだな。そうだよなぁ、アスタード。さすがに、こいつに黙っているのは不義理が過ぎるか」
「そうですよ。大体、『一陣の風』を解散したのは三人で決めたことです。それなのに僕だけ君に説教されるなんて冗談じゃない」
(まぁ、もともと黙っているつもりもなかったしな)
メルクは軽く息を吐き出すと、何だか照れ臭い気持ちに襲われながらもフォルディアの方へ近づきゆっくり掌を差し出した。
「うっ? お、なんだ? もしかして、俺のファンだったりするのか?」
メルクから差し出された掌に頓珍漢な反応を示しながら、フォルディアは戸惑いつつその手を握ってくる。
そんな彼の掌を握り返し、メルクはニヤリと笑って見上げた。
「――改めて、久しぶり。私の名はメルク……前世じゃエステルトって呼ばれていた最強の剣士だ」




