第百五話 勇者の提案
「よぉ、アスタード。久しぶりだな」
手に持っていた桶を床に置きながら、フォルディアは屈託のない笑みをアスタードに向けた。
そして首を傾げると、メルクの方にちらりと視線をやってから再びアスタードの方を見る。
「隣の娘は誰だ? てか、なんでここにいるんだ?」
「この娘は……これはメルク。わけあって知り合ったエルフです」
「……どうも」
よほど女として紹介したくなかったのか、アスタードは言いかけた言葉を引っ込めてメルクを紹介した。しかし言うに事欠いて「これ」というのはひどい扱いだ。
ただ、メルクをエステルトの転生した姿とすぐに打ち明けなかった辺り、こちらを尊重してくれたようではある。
前世をフォルディアに話すかどうかをメルク自身に判断させるつもりなのだろう。あるいは単に話がややこしくなるのを避けただけかもしれないが。
「へぇ、エルフ? 人里にいるなんて珍しいな。っで? なんだってお前はエルフとこんなところにいるんだ?」
「……床で眠っている娘の魔力を探って来たんです。彼女は僕の――ええ、僕の弟子なので」
(……弟子、ね)
メルクは少し逡巡するようにして答えたアスタードに微笑を浮かべ、内心で肩を竦めて頷いてみる。
たしかに「弟子にする」という約束で、ケーナを送り出したことは間違いない。だが、欺かれていたこちらが全面的に悪いとはいえ、結果的に彼女はアスタードの課した試練にクリアすることはできなかった。
それでも、アスタードはケーナのことを「弟子」と称した。以前の彼であれば信じがたいことだ。
やはり、彼女に対してある種の情が湧いたのだろう。
「弟子? へぇ、孤独の賢者ともあろうものが、弟子なんざとるたぁねぇっ! どういう風の吹きまわしだ?」
その言葉はフォルディアとしても意外だったのか、奇妙なものを見るような視線をアスタードへ送ると、鬱陶しいくらい大袈裟に驚いて見せる。
「……弟子を助けてくれた礼を言おうと思いましたが、辞めておくことにします」
そんなフォルディアの反応が気に障ったのか、アスタードはあからさまに不機嫌そうな声を出した。
とは言え深い付き合いだ。「孤独の賢者」と称されたアスタードのその雰囲気を見れば、怒りよりも照れの感情が強いことは何となくメルクには知れた。
もちろんフォルディアも悟ったのだろう。少しだけ笑みを浮かべ、しかしすぐに重々しく頷いた。
「別に馬鹿にしたつもりはないんだが……ああ、礼ならまだよしてくれ。お前の弟子はまだ助かったと決まったわけじゃねぇ。おそらく、今夜が山だろう」
「あ……そのことなんですが、フォルディア――」
「分かってる。心配だよな? 俺にもお前の弟子とは違って可愛くもねぇが弟子はいるんだ。心配な気持ちもよく分かる。ただ事情は知らねぇけど、俺なりにできることは全部やったつもりだぜ? 鞄に入っていた薬を拝借して血止めもしたし、回復薬も飲ませた。公爵の兵士を騙る妙な輩からも助けてやった。だから、俺に対して良くない印象を持つのはやめてほしいんだ。頼む」
おそらくケーナがメルクの治癒で助かったことを告げようとしたアスタードの言葉を遮り、フォルディアは保身に満ちた言葉を並べ立てた。
妙に腰の低いフォルディアにアスタードが面食らったようにメルクを見るが、このようなフォルディアはメルクとてあまり見たことがない。
わけが分からず首を横に振る――が。
(――あ、もしかして武器絡みか?)
メルクは首を横に振ってすぐ、その可能性に思い至った。
普段はそれなりにプライドの高いフォルディアが、唯一這い蹲ってでも欲し求める存在こそが武器なのだ。
昔は散々それで迷惑かけられたし、メルクになる前――エステルト時代には持っていた迷宮剣を賭けて勝負になったこともある。
今の世の中で『勇者』などと呼ばれるフォルディアが執着するのは、名誉でも金でも女でもなく、純粋に刀剣の類なのだ。なればこそ、彼のこの低姿勢には武器が絡んでいると察することができた。
「……僕の弟子は無事です。たった今、治癒を施しましたので」
「へ? あ、おう……そうか。そういえば、お前も『簡易治癒』は使えたんだっけか? いつも聖女に使ってもらってたから忘れてたぜ」
「いいえ。イリエムの術であればいざ知らず、僕の使える『簡易治癒』程度では彼女は助けられなかったでしょう。メルクの『真正治癒』に救われたんです」
「……はぁ、そっちのお嬢さんはエルフなんだっけか? じゃあ、本物の治癒が使えてもおかしくはないわな」
アスタードの説明に、フォルディアは改めてメルクの方へ視線を向ける。そしてメルクを見下ろし、エステルトであった頃に馴染んだ人懐っこい笑みを浮かべてみせた。
「助かったぜ、お嬢さん。実は、そっちの大賢者様に話したいことがあってな。アスタードの弟子ってのは知らなかったが、やっぱり、何かあった後には話もしにくいだろう? 助けてもらって感謝するぜ」
「……あ、ああ」
相変わらずのその笑みに、懐かしさとフォルディアと再会した実感を今さらのように覚えたメルクは、曖昧な笑みで小さく頷くのが精一杯だった。
そんなメルクを一瞥すると、アスタードが投げやりな口調で呟く。
「それで? 僕に何の話があるんです? そもそも、ラウバダ王国に拠点を置く君が、どうしてログホルトなんかに……」
「俺がラウバダからログホルトに来たのは、もちろんお前に会うためさ。ラウバダでお前がログホルトにいることを小耳にはさんでな。頼みごとがあって来たんだよ」
「……その頼みごととは?」
あまり愉快な予感はしないのか、アスタードは険しい顔をしてフォルディアに問いかけた。
対するフォルディアは、「待っていました」とばかりに涼しい顔をしてニカリと笑って見せる。
「いやぁ、頼みごとっていうのがな? なぁ、アスタード。お前さぁ、俺とちょっくら――帝国に行ってみないか?」




