第百四話 邂逅の彼ら
「ケーナはっ? ケーナは無事なのですか?」
やはり心配なのか、険しい顔をして目を開いたメルクに、アスタードが勢い込んで尋ねてくる。
だが、メルクは険しい顔のまま首を傾げた。
「無事……なのか? 私が知っているケーナの魔力よりも随分と弱々しい。生きてはいるが、かなり危ない状態かもしれないな」
「そんな……急ぎましょう。どこですか?」
「この崖の下だ。けど――」
メルクの言葉を途中まで聞くや否や、アスタードは何のためらいもなく深い崖下へと身を翻す。落下の途中で速度を緩めることなど大賢者には造作もないに違いない。
「あ、おいっ! 最後まで聞けよっ」
重要なことを伝えきれなかったメルクもアスタードの後を追って、崖から勢いよく飛び降りた。メルクの場合は身体を硬化した魔力で覆い、崖下に流れていた河を飛び越えて岸辺へ強引に着地する。
「――っ。さすがに衝撃は殺しきれないな」
いくら硬化した魔力で全身を覆っているとはいえ、高さのある崖から地面へと速度を緩めずに着地するのは少々無茶だった。
少し痺れの残る両足を軽く摩りながら、軽やかに地面へ降り立ったアスタードを出迎える。
「僕の方が早く飛び降りたのに先に崖下に到達するなんて……君、かなり無茶をしましたね」
「うるさい、お前が最後まで話も聞かずに飛び降りるからだろうが」
「話とは?」
「……ケーナの魔力反応があった側に、知らない人間の魔力を感じた。帝国の奴らのものかもしれない」
メルクがケーナ以外にも魔力反応があったことを伝えると、アスタードは表情を一瞬で引き締めた。
「急ぎましょう。ケーナがいるのはどの方角ですか?」
「……あそこだ。あの茂みに古い掘立小屋がある。そこに今は一人でいるようだ」
この距離であれば、少し魔力を探ればアスタードにだって場所くらい分かるだろうに、それすらも惜しいと言わんばかりにメルクの指さす方へ小走りに駆ける。
やはり昔世話になった恩人の身内ということで、責任を感じているのだろうか。あるいは――ある種の情が湧いたのやも知れなかった。
罠や待ち伏せに注意しつつ、メルクたちは年季の入った佇まいの掘立小屋へと辿り着いた。
おそらく、以前は河で魚を獲る漁師たちが利用していたのだろうが、最近まで使われた形跡がない。何者かが、ケーナを寝かせるためだけに利用しているようだ。
「この魔力、中にはケーナ以外いないようですね」
「ああ。だがテテムに扮していた少女が持っていた魔石の例がある。油断するな」
「……はい」
小屋の前で小声にて打ち合わせし、木の棒を構えたメルクが先頭に立って扉を開けることとなった。アスタードは後方に注意を払いつつ、魔法での援護を担当する。
「よし、いくぞ?」
「ええ」
「一、二……三っ」
勢い良く扉を開けたメルクは、その小屋で布を敷いた床に寝かされているケーナを発見した。
強引に剥ぎ取られたと分かる服の代わりに、やはり身体にも布切れらしきものが押し当てられており、どうやらケーナは意識を失っているらしい。
赤い顔に浮かぶ大量の汗と苦し気な表情を見るに、どうやら熱もありそうだ。
「……ケーナっ」
待ち伏せなどがないことが分かり、アスタードがメルクを押し退けてケーナへ駆け寄る。そして彼女の無事を確認して安堵したのも束の間、すぐに身体に痛々しい傷跡があるのを発見し、眉を顰める。
「これは……」
「すごい傷跡だな。斬撃の後か?」
押し当てられていた血の滲む布を取り払い、彼女の肩から脇腹にかけて斜めに奔る傷跡を観察したメルクも、顔を顰めて掌を翳した。
おそらく彼女の熱発も、この傷によるものであろう。
「『治癒』」
メルクの掌から放出された柔らかな光がケーナを包み込み、まるで巻き戻すかのように傷口がみるみる塞がっていく。それと同時に険しかったケーナの顔が安らかなものへと変化し始めた。
「……これは、興味深い」
一度はテテムに扮していた少女に使ったのを見たことがあるアスタードも、大怪我が瞬時に治っていく様を興味深げに観察する。
「おい、お前はあっちを向いてろ。年頃の娘だぞ?」
「へ? ああ、ケーナのことですか。別に僕は気にしませんよ?」
「気にしろっ、馬鹿っ! お前は小屋の入口を見張っておけ」
キョトンとした顔で首を傾げたアスタードを叱りつけ、彼の視線を入口へと向けさせる。その際アスタードは、「メルクだって中身はおじさんじゃないですか……」と納得がいかなさそうに呟いていたが、そういう問題ではないのだ。
たとえ中身がおじさんだったとしても、メルクは時と場合を考えられる紳士なおじさんなのだ。もちろん、意識しないように無心で治癒を施しているに決まっている。
(――何も考えるな。俺は治癒術師、治癒術師だ。患者に邪な視線を送るなんて治癒術師失格だろうが。胸がデカい? それがなんだ。そんなものはただの脂肪であって、俺が劣情を催す理由には一切ならないはずだ。だから柔らかそうだなぁと考えている場合じゃないんだよ。相手は怪我人だぞ? はやく傷を治してやることだけを考えるんだ。くっそっ! やっぱり焦点を外しながら治癒をかけるのは難しいなぁ。早く治療を終えるためにもやっぱり注視して……いやいや、そうじゃない。そうじゃないだろうが――)
「……あの、メルク? 君、何か内心で葛藤していませんか?」
「は、はぁ? そ、そそそんなわけないだろうがっ! こっち見るなっ! 今度から変態って呼んでやる――って、変態は私じゃないか……」
「……はぁ。何を喚いているか知りませんが、ケーナの命に別状はなさそうですか?」
自分の言葉で少し落ち込んでしまったメルクは、アスタードの問い掛けに弱々しく頷いてから表情を引き締める。
「ああ、問題ないだろう。傷口を見る限り相当な大怪我だったみたいだが、誰かがすぐに止血してくれたみたいで助かった。治癒術も念入りに施したし、菌が体内に入り込んでいても退治できただろう」
「そうですか。良かった」
治癒術を行使し終えたメルクは、傍にあった布切れをケーナの身体にかけてやり、彼女の額や首元に掌を当てる。
「うん、熱感も治まったな。じきに喉が渇いて目を覚ますだろう。それまでに水を用意――っ」
ケーナのために水を汲んで来ようと考えたメルクは、小屋に近づく魔力の気配に木の棒を構えた。
「メルク? おや、誰か来ましたね」
「ああ。この魔力は、私が先ほど調べた時に感じた奴のものだ。帝国の手先だと思ったが、もしかしたらケーナを助けてくれた人間のものかもしれないな」
「ええ……というよりこの魔力、僕には何だか馴染みが――あれ? まさか――」
記憶を漁るように顔を顰めていたアスタードは、いつになく驚いたような表情で目を丸くする。
メルクがそのことに何かを思う間もなく小屋の扉が開き――。
「あん? 誰――って、アスタードかよ。こんなところで何やってんだ?」
屈強な身体つきをした、アスタードどころかメルクにさえ見覚えのある男が小屋に入るなり、そう言って不思議そうに首を傾げた。
(――『こんなところで何やってんだ?』だぁ? それはこっちの台詞だろうが……)
メルクは突然の事態に呆然とし、言葉も紡げないまま男を黙って見上げる。
その男の名前はフォルディア。
かつてメルクやアスタードとパーティーを組み、『一陣の風』の主力を担った存在だ。
現在の世の中において、御大層にも『勇者』などと呼ばれている男であった。




