第百一話(終話) 化生の民2
「大賢者様っ!」
メルクたち三人が食事を終えて和やかに会話をしていれば、外から大きな声が響いてきた。
どうやら何者かがアスタードの張った結界の外から叫んでいるようだ。
「私、外を見てきましょうか?」
「いえ、ケーナはここにいるように……やれやれ」
億劫そうに立ち上がると、アスタードが玄関まで行き扉を開ける。気になったメルクもついて行けば、門の近くに鎧を着た兵士が二人立っていた。
そして傍には二頭の馬が曳く馬車が用意されている。一体何のつもりだろうか?
「我々はレザウ公爵の兵です。フォナン伯爵の件でお話を伺いたく、参上いたしました」
「そうですか……と言っても先日お伝えした以上のことは、我々もお話はできませんよ?」
「問題ありません。そちらで保護されているグローデル博士のお孫さんからも事情をお聞きしたいのですが、構いませんか?」
「テテムから?」
兵士の申し出にアスタードとともに首を傾げつつ、取りあえず話を聞くために二人で兵士の元へと近寄った。
自分たちから近づいたのは、兵士らに結界を通らせるつもりがないからだ。
「テテムはまだ幼い子どもですよ? 大したことは話せないと思いますが」
「いえ、帝国でもっとも優れた研究者と名高いグローデル博士のお孫さんと言うこともあり、公爵自身も直接話がしたいとのことなのです」
「レザウ公爵が? なんだってまた……」
たしかにグローデル博士は優れた研究者であったかもしれないが、その孫娘はまったくの無関係だ。研究内容を引き継いでいるわけでもあるまいに。
「実は――公爵は博士のお孫さんを自分の養子にと考えられているのです。博士のお孫さんであれば、きっと才女へと成長するでしょう」
「……ああ、そういうことですか」
周囲を伺い、潜めた声で語られた兵士の言葉で納得がいく。
レザウ公爵はどうやら、身寄りのなくなったグローデル博士の孫娘を引き取りたいらしい。おそらくは博士譲りの頭脳にでも期待しているのだろう。
「たしかにテテムには、博士以外の身寄りはいないみたいですが……」
「けど、テテムの気持ちも大事なんじゃないか? ケーナに随分と懐いていたようだし」
身寄りのない彼女の後見人に公爵がなってくれるのであれば、それはたしかに良いことなのかもしれない。なにせこの国で一番の権力者で、それほど悪い噂もない。きっと不自由なく生きられるだろう。
だがやはり、優先されるべきは本人の意思だ。きっと本人が望むのであれば、アスタードもケーナも彼女を引き取る用意があるはずだ。というよりも、公爵の兵士が現れるまではそのつもりだっただろう。
「テテムちゃんっ」
少し考えていたメルクとアスタードの耳にケーナの声が届き、振り返る。するとそこには、今まさに話題となっていた銀髪の少女が立っていた。
どうやら起き出してきたのを、ケーナが止めたらしい。
「ああ、テテム。ちょうどいいところに来ました。テテム、君さえ望むのであればこの家にずっといてくれて構いません」
「……」
「けれど、この国で一番権力を持つ人間が、君を引き取ってもいいと言っています。さて、どうしますか?」
「……?」
アスタードの率直な質問に、問われた少女は首を傾げた。それはそうだろう。
「おい、いきなりすぎるだろう。もう少し、噛み砕いて説明してやれ」
「誤魔化しや嘘を言っても仕方ないでしょう? 遠回しに言う必要もありませんし」
半ば突き放す様なアスタードの物言いではあるが、実際のところはその通りだ。
アスタードはできる限り彼女が自分の意志で決められるよう、どちら側にも立たない提示の仕方をしたのだろう。
それ自体は分かるのだが、幼い少女には少々乱暴に過ぎるようにメルクには思えた。
「あー……テテム? レザウ公爵という人が君と話したがっているようなんだ。少しお話を聞いてみないか?」
「……レザウ公爵」
「ああ。その人と一緒に暮らしたいと思ったら、そうしたらいい。けど、この黒い恰好のお兄さんや、胸のデカい……この奇麗で優しいお姉さんと暮らしたいと思ったら、ここに帰っておいで。どうかな?」
「……うん」
言い添えてやったメルクへ怯えるような視線を向けながら、きちんと言葉は理解できたようだ。
擦れた声でたしかに首肯する。
「それで? 公爵と話をするというのはどのように? ギルドで直通の魔石でも使うのですか?」
「いえ、公爵は会って話がしたいとのことです。やはり、容姿なども確認しておきたいのでしょう」
「……それはつまり、公都までテテムを連れて行くと言うことですか?」
兵士の言葉に、中立を意識していたであろうアスタードが難色を示した。
ここから距離のある公都まで連れていかれてしまえば、幼い少女が公爵との暮らしを拒んでもここには戻ってこられないかもしれない。そんな事態は避けたかったのだろう。
「それには及びません。実は、フォナン伯爵を捕らえる指揮を自ら執るつもりだったため、公爵はこの街の傍まで来ているのです」
「なんですって?」
「さすがにフォナン伯爵が自害してしまった以上、この街に来る必要もなくなりましたが、西隣の町まで来ていただければ公爵には会えます」
「……そうですか」
ログホルト市の西隣の町と言えば、メルクとアスタードが博士の家に訪れた際に行った、ボトエ町のことだろう。
今からなら馬車で行けば、今日の夜か遅くとも明日の昼前には帰ってこられるだろう。
たしかに公都まで行く距離を考えればずっと近いが、やはり一人で行かせるのは心許ない。
「心配なら私たちも同行するか?」
険しい顔のアスタードへメルクが問いかければ、それを聞いていた兵士たちが反応する。
「ははっ。我々が馬車にて護衛に当たりますので、その必要はありませんよ。何の心配もありません」
「ええ。大賢者様のお手を煩わせては公爵に叱られてしまいます」
「だが、知らない者だけではテテムが不安になるだろう。なぁ、テテム?」
問いかけたメルクの脇を擦り抜け、少女は兵士たちに駆け寄りその陰に隠れてしまった。
その姿を見れば、明らかにメルクよりも兵士たちに懐いているのは瞭然だった。
「……」
「……君、テテムに何かしました?」
「するわけないだろうっ」
あまり会話もなかったとはいえ、まさか初対面の兵士たちよりも信頼度が劣るなんて。
アスタードが疑わし気な目を向けてくるのも無理からぬ話だ。
「……では、こうしましょう。うちのケーナを付き添いに出します」
「えっ?」
少し思案気な顔をした後、そう切り出したアスタードにメルクもケーナも驚きの声を上げた。
「ケーナはそれなりに戦いの心得があります。護衛程度にはなるでしょう。それに、我々の中では一番テテムも懐いていますしね」
「だ、大賢者様? けれど、その……」
「ケーナ、いいですか? 仮に君が無事にテテムの付き添いを果たした時は、君の望みを叶えましょう」
「――えっ?」
アスタードが続けたそんな言葉に、ケーナはますます目を見開いた。
「メルクと少し話をして、彼女に君を薦められたのです。君がただの居候のままで終わるつもりであれば何も言いませんが、もしそれ以上を望むのであれば……テテムの付き添い、してみませんか?」
「メルクさんから聞いた……えっ? わ、私の望み……そ、それって……」
「ええ」
頬を赤くしたケーナに、アスタードはあっさりと頷いた。
「ケーナ。君は僕の――」
「は、はい……」
「僕の弟子になりたいんですよね?」
「はいっ! ……はい?」
問いかけに大きく頷いたケーナはしかし、すぐに不思議そうに首を傾げた。
(おい、ケーナ。どうしてそこで首を傾げるんだ? 弟子になりたかったんじゃないのか?)
二人のやりとりをニヤニヤしながらみていたメルクは、ケーナのそんな反応に絶句し不安になってしてしまう。
よもや、メルクの勘違いだったのだろうか?
「おや、違いましたか? いえ、メルクが君は僕の弟子になりたがっていると……あれ、あ……勘違いならいいです」
「いえっ! 弟子にっ! 私、大賢者様の弟子になりたいですっ!」
「そ、そうですか。では、テテムのことを頼みましたよ。テテムが公爵家の養子になると決めても家で預かることになったとしても、君が無事に帰ってこれば僕の弟子にしましょう……いいですね?」
「はい……」
またとないチャンスを貰ったはずなのに、何故か浮かない顔のケーナ。その理由を考え、メルクに一つの推測が生まれる。
(ケーナ……まさか一足飛びでアスタードの伴侶にしてもらえるとでも考えたんじゃないだろうな?)
少し呆れながらも、たしかにアスタードの言い方も紛らわしかったように思う。メルクは苦笑しつつ、ケーナの勘違いは言わないでおいた。
「……申し訳ありませんが、必要のない方のご同行はご遠慮したいのですが」
警備上の観点からか、ケーナがついてくることに難色を示す兵士たち。そんな兵士たちへ、アスタードがずいっと身を乗り出した。
「なんなら別に、テテムが公爵の元へ出向く必要もないのですよ? そちらが用があるのであれば、本来であれば出向くべきは公爵なのでは? どれだけレザウ公国の統治者が偉いかは知りませんが、僕の知覚範囲で好き勝手は許しません……文句がありますか?」
「……い、いえ。か、かしこまりました。そちらのお嬢さんもお連れします」
「よろしい」
一種の横暴とも言えるアスタードの言動だが、彼なりに色々と考えてのことだろう。
このまま公爵の指示通りに事を運ばせず、そして同行するケーナを兵士たちが蔑ろにしないように釘を刺したのだ。
これでケーナへ狼藉を働けば、大賢者が黙ってはいないこともしっかりと伝わったはずだ。彼らが問題を起こした場合、アスタードの追及は公爵へ行くと明言したようなものである。
「公爵にはそれほど時間がありません。すぐに出発するので、博士のお孫さんとお嬢さんは用意してきた馬車にお乗りください」
「は、はい……あ、ちょっと待っててくださいっ!」
兵士たちに促され、主賓である少女をまず乗せてから馬車に乗り込もうとしたケーナだったが、何故かいったん家の中へと引き返す。そして素早く戻ってくると、その肩にはメルクが礼代わりに渡した鞄が引っ掛かっていた。
「それ……」
「はい。せっかくなので持って行きます。メルクさん、本当にありがとうございます」
「ああ。必要ないのが一番だが、なにがあるか分からないからな」
自分が調合した薬を携帯して出掛けてくれるというケーナに少し嬉しさを覚えながら、メルクは取り繕った冷静な顔で頷いた。
そんなメルクに、ケーナは思い出したと言わんばかりの顔を寄せてくる。
「そうだっ。テテムちゃんを攫った犯人が残した手紙、その違和感が分かりました」
「え? ああ、そんなことも言っていたな」
唐突に何の話かと思えば、そういえばたしかにケーナは脅迫状を見て違和感を覚えていたはずだ。事件が解決したことですっかり忘れていたが、結局ケーナの言う違和感とはなんだったのだろうか?
「筆跡が似てたんですよ」
「筆跡?」
「ほら、テテムちゃんから大賢者様へと送られてきた最後の手紙。その手紙だけ、差出人のテテムって字と脅迫文の字が似てる気がしたんです。ふふ、たったそれだけの違和感なんですけど、ちょっとすっきりしました」
「……字が似ていた?」
「はい」
何でもないようにさらりと頷いて見せたケーナの言葉が引っ掛かり、メルクは眉根を寄せて考え込む。
(テテムの名で手紙を書いていたのはグローデル博士だ。つまり、テテムを攫った犯人とグローデル博士の筆跡が似ていたということか? いや、ケーナの言い方はもっと別の意味を――)
「大賢者様やメルクさんがテテムちゃんを攫った犯人を捕まえて下さったみたいだし、きっとたまたまなんでしょう。私の勘違いですね、ふふふ」
「出発するので乗って下さいっ!」
手を口元に当てて微笑んだケーナを背後から兵士が呼びかけ、ケーナは慌てたように振り向いた。
「はーいっ! ごめんなさい、メルクさん。それじゃあ行ってきますっ!」
「……ああ」
慌ただしくこちらへと頭を下げて告げてきたケーナに苦笑を送り、メルクは一旦考えるのを中断する。
「大賢者様っ! それでは行ってきます。必ず無事に戻ってきますので、その時はお約束通り、私を弟子にして下さいね?」
「ええ。自分から言い出したことなので、約束は守りますよ。テテムをしっかり頼みますよ」
「はいっ!」
アスタードとメルクに見送られ、二人を乗せた馬車は慌ただしく出発したのだった。
「……そういえば、公爵の兵士は私たちから話を聞かなくてよかったんだろうか?」
「そうですね……とはいえ、やはり我々が伯爵について語れることなどそうはありませんし、知っていることはすでに連絡済みですから。やはり彼らの訪れた目的は、テテムを養子にするためだったのでしょう」
「まぁ、そうだよな」
ケーナたちが出発して数刻、メルクとアスタードは家でゆっくりと寛いでいた。
最近何かと忙しなく落ち着かなかったので、たまにはまったりと過ごすことにしたのだ。
「けど、お前も変なことをするなぁ。別にあんなことを言いださなくとも、ケーナを弟子にしてやればよかったじゃないか」
メルクがケーナに一種の試験のようなものを課したことを揶揄して言えば、アスタードは眼を瞬かせた。
「何故です? 素直に弟子にするなんて僕らしくないじゃないですか」
「……いや、たしかにそうだが。まぁ、建前は必要か」
隣町への付き添いの任務など、任務の内にもなるまい。単なるお遣いだ。
傍には公爵の兵がおり、なおかつケーナの実力はその兵士たちよりも上だと見ただけで知れる。危険なことなどそうそうないだろう。アスタードは妙な矜持から、別に必要もない試験をケーナへ形式的に課したのだろう。
「しかし、さっきケーナが妙なことを言っていましたね?」
これ以上メルクの追及から逃れるためか、話を変えるようにアスタードが首を傾げて呟いた。
「うん? ああ、グローデル博士の送って来た手紙の筆跡が云々……その手紙、未だ持ってるか?」
「もちろんです」
メルクに聞かれ、アスタードは自室から最後に博士から送られてきた手紙を持ってくる。
別に事件が解決した今、それを改めて確かめる必要もないとは思ったが、アスタードの話題逸らしに乗ってやったのだ。
少なからず気になるとはいえ気になるので、見ておいて損はないだろう。
そしてその手紙の入っていた封筒の差出人の文字を見て――アスタードは顔を強張らせた。
「これは……たしかに博士の字ではありませんね」
封筒に入っていた手紙の文字と見比べてみれば一目瞭然だ。グローデル博士の字は、メルクが一目見た時に感じたように独特な癖があり、お世辞にも読み易いとは言い難い。
だが封筒の差出人の名だけは、別人が書いたかのような丁寧な文字で『テテム』と書かれていた。意識せずとも二つの文字の違いは明らかだ。
「なんで読むときに気付けなかったんだ?」
「それは……この手紙はケーナが受け取り部屋へ持ってきてくれたはずです。だからわざわざ差出人の名なんて確認しませんでしたが、たしかにあの娘も戸惑っていたような――」
「すみませーんっ! 大賢者様はおられますかっ!」
アスタードが数日前のことを思い出すように、額に手を当て俯いていると、先ほどのように結界の外から誰かが声をかけてきた。
「おや、二回目ですか? 一体何の用でしょう?」
「まさかもう、ケーナとテテムが帰って来たのか? いや、さすがに早すぎるか……」
再びアスタードとメルクが外に出れば、やはり先ほどと同じように門の傍に公爵の兵と思しき者たちが立っている。
だが先ほどとは違い、馬はいるが客室はなく、なおかつその馬の上には縛られた男が座っていた。
しかもその縛られた男、メルクには何やら見覚えがある。
「げっ、ポルト……」
「おや、知り合いですか?」
「フォナン伯爵の執事長だった男だ。あいつ、死んでなかったのか……」
ポルトには女装という恥ずかしい姿をみられているため、メルクは慌ててアスタードの影へと隠れた。
伯爵の屋敷が燃えた時に共に焼死したものとばかり思っていたが、どうやら生きていたらしい。
「大賢者様っ! 我々はレザウ公爵の兵なのですが、少しお話良いですか?」
「またですか。先ほども公爵の遣いの方々が来られましたが、今度はなんのようですか?」
アスタードが首を傾げながら問いかけると、二人いた兵士たちはお互いの顔を見合わせ不思議そうな顔をした。
「……先ほども、我々の仲間が来たのですか?」
「ええ、テテムを連れて行きましたが。なんでも、公爵の養子にするとか何とか」
「……公爵の養子? テテム……うーん?」
兵士はアスタードの言葉に困惑を強くしたように眉根を寄せ、馬上に乗っているポルトへ視線をやった。
「大賢者様。この者、フォナン伯爵の部下だったポルトと言う男ですが、先ほどこのような書状を持って出頭してきました」
「書状?」
兵士から手渡された書状をアスタードとメルクが確認すれば、そこにはフォナン伯爵からチュリセ帝国へ送られた亡命を希望する旨が書かれていた。
どうやら捕まることを怖れた伯爵は、グローデル博士の家から奪って来た博士の研究資料と引き換えに、帝国へ逃げるつもりだったようだ。
そしてその書状を届けるよう、ポルトを送り出したのだろう。
「ふーん? 主である伯爵が死んだから、これを持って出頭してきたわけか?」
「違うわっ!」
メルクが問いかけると、ポルトは心外だと言わんばかりに吐き捨てた。そして少しだけメルクの顔を見て何かを思い出すように目を細めるが、結局わからなかったのか首を横に振った。
「――小娘。貴様、私とどこかで会っているか?」
「……人違いだろう。それよりも、『違う』とはどういう意味だ?」
メルクの問い掛けにそっぽを向いたポルトの代わりと言うように、兵士の一人が頷いた。
「どうやらこの男、伯爵の屋敷が燃えていると知る前には我々のところへ出頭してきたようです。なんでも、『伯爵のやり方にはついていけなくなった』とか」
「おや、つまり裏切ったと言うことですか?」
「――っ! ……まぁ、そうだ」
面白そうな顔をしたアスタードへギロリとした目を向け、しかしすぐにポルトは歯を食い縛るように頷いた。
その言葉を完全には否定できなかったようだ。
「私が長年仕えてきた歴史あるフォナン家の当主が、公国の敵国であるチュリセ帝国と内通し――あろうことか亡命を企むなど……私にはとても耐え切れんかった」
「それで主を裏切ったと言うことか?」
「……ああ。もはやあの方のやり方にはついていけなかったんじゃ……思えばグローデル博士から情報を聞き出すためと、彼の孫娘を形振り構わず嬲った時点で私にはついていけなくなった」
「そうか……え?」
しみじみと呟かれたポルトの言葉に一拍間を開けて戦慄し、メルクは目を見開いて草臥れ切った顔の老爺へと視線を移す。
「……今、なんて言った?」
「だから博士から情報を引き出すために、彼と一緒に攫った孫を拷問したんじゃよ。孫可愛さに博士が研究内容を話すと思ってな」
「博士の、孫?」
「じゃが孫娘は、拷問の途中に突如として胸を押さえ苦しみだし死んだ。そしてそれを見ていた博士も拷問役の一瞬の隙を突いて刃物を奪い自ら命を絶った……本当に哀れな話じゃ」
「……」
「しかし、あの方が自害するとはとても思えんかったが……最期にフォナン家の誇りを取り戻してくれたのじゃろうか……」
目の前のポルトが何を言っているのか、メルクには理解できなかった。
だって、それではまるで――。
まるで博士の孫娘が最初から死んでいるようではないか。
「おい、アスタード。なにか……なにかおかしいぞ?」
「……奇遇ですね。僕もちょうどそう思っていたところです」
呆然としつつアスタードへ声を掛ければ、大賢者と呼ばれる彼には似合わない、珍しくも焦燥が顔に浮かび上がっていた。
そんな彼の顔を見ていれば、なにやら思い浮かんでくることがある。
「――なぁ、私たちが博士の家を訪れた時のことを覚えているか?」
「ええ……」
「散乱した家の中に、血の付いた手紙用の封筒があったよな? テテムって差出人の名前が書かれた封筒だ」
「――そうか。やけにタイミングが良いと思ったんですよ。僕らが博士から手紙を受け取った時には、すでに博士は伯爵に捕らわれていた……いえ、もっと言えば、博士の書いた手紙が僕らに送られる前にすでに博士は捕らわれていたんですね?」
「ああ。おそらく博士はお前宛ての手紙を書き終えたところで伯爵に襲われ誘拐された。そして後から博士の家に訪れた何者かが、博士の手紙を血の付いた封筒だけ取り換えてお前へ送った……私たちを博士の家へとおびき寄せるために」
そして実際に訪れたメルクとアスタードは、まんまと手紙を送って来た人物を博士の孫娘だと思い込み、あろことか家へと連れてきてしまった。
差出人の文字だけ博士の筆跡と違っていたのは、それが原因なのだろう。
「僕としたことが、完全に裏を掻かれました。あの手紙には、僕が博士の孫娘と実際に会ったことがないことまで書かれていました。それで大胆にもあんな真似を……」
「博士の家に落ちていた心臓の病に効く薬。あれが本物のテテムのものだとすれば合点がいく」
次々と嵌っていくピースは、残酷にも知りたくもなかった事実を暴き出す。
「ケーナが言った『最後の手紙の差出人の文字と脅迫文の文字が一緒に見える』ってのは、勘違いでも何でもなかったんだ」
少し考えてみればわかることである。
一人取り残された少女を救うために、タイミングよくメルクたちが博士の家に訪れるよう手紙を出せたのも――。
大賢者と呼ばれるアスタードの結界を破ることなく擦り抜け、なおかつ彼やメルクたちの眼を掻い潜ってあんな手紙を残すことができたのも――。
すべてはメルクやアスタード、ケーナが親しみを込めて「テテム」と呼んでいたあの少女だけだった。
「……なぁ、アスタード。博士の孫娘がすでに亡くなっているのなら――あれは誰だ? 私たちと共に行動し、数日一緒に暮らしていたあの少女は――一体誰なんだ?」
「……」
メルクの心の底からの問い掛けに、大賢者と呼ばれた男をもってしても、ただ黙る他ないようだった。
街道を外れ、どんどんと人気のない道を走っていく馬車。
さすがに違和感を覚えたのか、馬車の客室に乗っていたケーナが仕切り窓を開けて馭者台に座っていた兵士へ声を掛けた。
「あの……この道で本当にあっているんですか?」
「ええ、問題ないですよ。もうしばらくお待ちください」
「はぁ……」
そんな返事に眉根を寄せて頷き、ケーナは椅子へと座り直す。
隣では銀髪の少女が眠るように俯いていて、ケーナはその少女を見て微笑を浮かべる。
「もうちょっとだからね、テテムちゃん……」
まるで自分自身にも言い聞かせるような優し気な声でケーナが呟けば、一気に客室内の気温が数度下がったように感じられた。
「――ああ、ここらでいいだろう」
「へ?」
そしてすっと顔を上げた少女が、今まで聞いたことのないような冷たい声を発したような気がした。すると同時、馬車は急制動を掛けて唐突に動きを止める。
「な、なに?」
反動で半ば転がり落ちるように客室から外に這い出たケーナの視界に広がるのは、鬱蒼と生い茂る木々と、崖下に流れる太い河。
隣街へ行くために、こんな道を走る必要があるとは思えなかった。
「へへ、運のないお嬢さんだ。あの大賢者が余計なことを言い出さなければ、あんた死なずに済んだのにな」
「悪いが、お嬢さんにはここで死んでもらうぜ。帝国には連れていけないからな」
動揺するケーナの前に立ちはだかり、馭者台から降りた公爵の兵士――いや、兵士に偽装していた男たちが下卑た笑みを浮かべ武器を構えてくる。
「あ、あなたちは――」
「余計なことを言うな。さっさと殺せ」
「――了解」
再び冷たい声が響き、それを受け男の一人がケーナへと剣を突き入れてくる。
「くぅ?」
ケーナは突き出された剣を半身を捻って躱し、そのままくるりと回って鋭い蹴りを男の腿へと鎧の上からお見舞いした。
「つぅっ?」
「はぁっ!」
鎧をしていても痛みがあったのか、怯んだ男の顔へさらに肘打ちを食らわせる。堪らず下がろうとしたその爪先を踏んで逃がさず、追撃の拳を男の喉元へと突き入れた。
「がぁっ――」
鎧の隙間から喉に一撃を浴びた男は昏倒し、地面に崩れ落ちるように倒れ込む。
「つ、つえぇ……」
残った男が怯んだ隙に、ケーナは崖の傍に佇んでいた銀髪の少女を保護しようと勢いよく駆け寄る。
しかし――。
「テテムちゃ――」
「ちっ。使えん連中だ」
そんな冷たい声が、少女の口から発せられるのを見てしまう。勘違いだと思ったが、いや勘違いであって欲しかったが、ケーナの眼はしっかりと現実を捉えていた。
そして彼女は悟ってしまった。
自分が駆け寄っているのは保護すべき存在ではなく、一刻も早く距離を取らなければならない存在だということに。
そしてここまで近づいてしまってはもう手遅れだ。
自分はもう――死ぬしかない。
「――死ね」
少女が、掌の指を揃えて無造作に右腕を振るった。
そこから放たれた魔力の刃はケーナの身体を脇腹から肩にまでかけて切り裂き、辺りに盛大な血飛沫が上がる。
「あ……」
鮮血を撒き散らしよろけながらも、ケーナの身体は惰性的に魔力の刃を振るった少女の元へと辿り着く。
しかし二人は重なることなくケーナは少女の横を擦り抜け、その背後にあった崖へと身を踊らせた。
「……落ちたか」
そのさまを見送った少女は、崖下の河へと目をやってから眉根を寄せる。本来であれば崖下へケーナが行く前に確実に止めを刺すつもりだったが、胸元の魔石が粉々に砕けたためにそちらに意識が割かれてしまった。
結果、意外にも動きを止めなかったケーナの落下を阻止できなかったのだ。
「『魔力隠しの魔石』……借り物だったが壊してしまった。後で叱られるな。ちっ」
魔石を外した状態で魔力を放出すれば壊れることもなかったが、つい羽虫をはらう感覚で身に着けたまま魔力を使ってしまった。一応、反省せねばなるまい。
「へっ、死んだか。ざまぁねーな」
そんな少女に近づき、気絶した仲間を引き摺り公爵の私兵に偽装していた男が呟いた。どうやら谷底に落ちたケーナを揶揄しているらしい。
「……探せ」
「――えっ?」
少女の言葉がよほど意外だったのか、言われた男は虚を突かれたような顔をする。そんな間抜け顔に鋭い睨みを返し、重ねて告げる。
「死んだとは思うが探せ。そして確実に殺せ」
「え? あ、はい」
崖下の河の捜索などやりたくないのか、男はやる気の無さそうな表情で頷いた。それも相手は致命傷を負っているのだ。見つけ出した頃には死んでいる可能性が高く、捜索など無意味に思えて仕方ないのだろう。
渋々ながら気絶した仲間を放りだして崖下へ探しに行った男へ向け舌打ちをすると、銀髪の少女は懐から新たな魔石を取り出した。
「あーあ、聞こえるか? ――俺だ」
『――感度良好。そちらの状況はどうですか?』
魔石に呼び掛けた少女は返ってきた声をよく聞くため、耳を隠していた銀の髪を後ろへ流し頷いた。
「任務達成。いくつか問題は生じたが、博士の研究資料は手に入れた」
『――最優先事項、博士及びその協力者の確保は達成されましたか?』
「……いや、グローデル博士は死亡。その協力者の確保に関しては、今回投入された戦力では不可能だと判断した。大賢者アスタード自身に加え……ふふ」
『――どうされました?』
通信の途中で笑みが零れた少女を訝しむような声が魔石から響き、少女は見えないと知りながらも首を横に振った。
「気にするな、少し面白いものを見ただけだ。詳細は直接報告しよう……これより帝国に帰還する」
『――了解しました。無事にお戻りください……ヴァーナー』
名を呼ばれ、一層笑みを濃くするその少女。
まだ幼いように思える少女の露になったその耳は、上の方がやや長く尖った独特な形をしていて――。
それはメルクと同じエルフの――俗に『化生の民』と呼ばれる者たちの紛れもない証であった。
これにて第三章は終了です。
最後の最後で長くなってしまい申し訳ありません。
試行錯誤の第三章でしたが、プロットを組んだ際に自分が書きたかったことは書き切れたのかなぁと思います。もちろん、反省点も山ほどありますが……。
詳しいあとがきは活動報告にて記しますので、興味ある方はお読みください。
それと皆様にご報告があります。
なんと「最強剣士のRe:スタート」が書籍化する運びとなりました。
こちらも詳細は活動報告に記しますので、お読みいただけると嬉しいです。
皆様のおかげで百話を越え、30万文字を越え、書籍化にまで至ることができました。
ほんとうにありがとうございますっ!
今後も拙作をどうかよろしくお願いいたします。
……あとがきまで長くてすみません。




