第一話 彼の最期
俊敏に動いた『鬼人』に似た姿の、しかしそれよりもずっと大きな化け物の一撃。
それによって大賢者のアスタードが吹っ飛び、そしてそのアスタードに庇われる形となった聖女のイリエムも、余波によって吹き飛ばされる。
あの程度で死ぬ二人ではないが落下地点からピクリとも動かないところを見ると、どうやら意識を失ってしまったらしい。もう戦闘に加わることは不可能だろう、事実上の脱落だ。
『ガァァァァァァっ!』
二人を吹き飛ばし、威勢よく大音声を上げてこちらへと向き直る巨大な異形……まさに『仇為す者』と呼ばれるだけはある。頭部から生えていた二本の角の一つは砕け折れ、口から血反吐を吐き出しながら、それでもその目は爛々と強い光を放っている。そしてその目で残された二人の男たちを睨みつけていた。
「……はっ! あのデカブツ、死にかけてるからって威嚇してきやがったぜ? それとも命乞いか?」
戦士姿のフォルディアが、ひしゃげた盾と刃毀れが著しい剣を構えながら不敵に笑う。いつもであれば頼りになるはずのその笑顔は、だが、この場においては単なる虚勢でしかない。
残されたもう一人の男――双剣使いであるエステルトはその戦士を冷静に諫めた。
「おい、勇者。強がりも結構だが、くたばりかけてるのは俺たちも一緒だろうが。おそらく次の一撃で、俺もお前もお終いだ」
「その呼び方に突っ込むのもこれで最後ってわけか? ひゅー、満更でもねぇーな。まぁ、冗談は置いといてよぉ、一撃でお終いなのはあいつも一緒だろう?」
エステルトの言葉に、勇者と呼ばれたフォルディアは軽口を叩く。そして『仇為す者』から一切視線を逸らさないままに上体を少し倒した。
「俺が突っ込んで必ず隙を作る。隙が生まれたら、得意技で決めちまえ。あれだ、あんたの言葉を借りれば――全力の本気をお見舞いしてやれ」
「……お前、死ぬ気か?」
相手はくたばりかけているとはいえ、僅か一体で一国を滅ぼした『仇為す者』だ。災厄級の魔物と呼ばれ、二百年に一度程度の周期にしか現れない、人類の天敵とも呼べる生物なのである。
当然、死にかけているフォルディアでは隙を作り出すだけでも困難なはずだ。況や必ず隙を作るなど、命を投げ打つことでしか叶わないに違いない。
後顧の憂いを絶つためにもここで仕留めなければいけないが、それは自決宣言に他ならなかった。
「知ってるか? エステルト。どんなに肉体が消し飛ぼうが、誰かの心に生き続けている限り死ぬなんてことはありえないんだぜ?」
「そういう有難い台詞は聖女にでも言ってやれ。肉体が滅べばお前なんざ秒で忘れてやる」
「ひ、ひでぇ……」
こんな時にもかかわらず減らず口を叩き続けるフォルディアに、エステルトは内心で嘆息した。
(まったく、敵わないな……)
歳は十ほどもこちらが上だ。まだ二十を超えたばかりの小僧のくせに。
いつも飄々と惚けた言動をしつつ、決めるときはしっかりと決める。
そしてどんなに険しい道だろうと、笑顔を絶やさずあらゆる障害を乗り越えてみせる。いつの間にか誰も彼もを引っ張って、そして最後までその手綱を放すことはないのだ。
エステルトにとって、フォルディアとはそんな存在だった。だからこそ、何度辞めろと言われても勇者と呼び続けてきたのだ。
『グオォォっ』
「奴が動くっ。よし、行くぜ? 合図したら突っ込んで隙を作るからよぉ、あとのことは任せたぜ?」
こちらの様子を見ていた『仇為す者』が動き出し、それを迎え撃つようにフォルディアが剣を翳す。
(ったく、いつもいつも勝手に事を決めやがって。最期くらい年上を立てることを覚えてもらわなきゃな)
フォルディアはまだ若く、そしてまだまだこの世界のために必要な人材であるはずだ。少なくとも、惰性的に殺すことしかしてこなかった、殺すことしかできなかった自分よりもずっと。
「行くぞ? 一、二の――」
フォルディアがカウントを始めた瞬間、エステルトは『仇為す者』へ向かって突っ込んだ。
「あっ? おまっ!」
「隙は俺が作るっ! 美味しいところはくれてやるから、あとのことは頼んだぜっ! 最強剣士の武勇伝、美化して語れよなっ!」
振り向くことなくフォルディアに告げて、エステルトは両手に持っていた二振りの剣を身体の前で交差させたまま疾駆する。
『ガァァァァっ!』
その瞬間、『仇為す者』が口から極大のブレスを吐き出し、それは真っ直ぐにエステルトを撃ち抜き――。
「うらぁぁぁぁぁっ!」
エステルトは身体を弾き飛ばされそうになりながらも、交差した二振りの剣で高出力のブレスを受けたまま走り続ける。
身体中が悲鳴を上げ、全身の至る所で筋が切れて骨が軋む。中には折れてしまった箇所もあるだろう。
それでも進む。進む。
エステルトの背後には、フォルディアが隙を待って構えているはずだ。
すぐにでもこちらを助け出したいのを堪え、歯を食い縛りながらも隙を窺っているはずなのだ。
今、ここで立ち止まるわけにはいかない。押し返されるわけにはいかないのだ。
『グオォォっ!』
「ああぁぁぁぁっ!」
ついに力尽きたのか、『仇為す者』が放ったブレスの威力が衰えてくる。これを完全に凌いでしまえば、いかな異形とて全身全霊を叩きこんでもお釣りが出るほど無防備になるはずだ。
(勝ったか?)
エステルトが自身の生存への欲をわずかに出した時だった。
――今まで耐えていた双剣が、あっけなく砕け折れてしまう。
「あっ……」
威力が衰えていたにせよ、『仇為す者』のブレスは弱っていたエステルトを殺し尽すには十分すぎる威力だった。
ブレスが突き刺さった自分の胸から血が噴き出すのを、エステルトはひどく冷静に見下ろす。
(駄目だったか……けどまぁ――)
「うおぉぉぉぉぉ!」
ゆっくりと仰向けに倒れ行くエステルトの横を、世界の希望が――エステルトの勇者が駆け抜けていくのを目の端が捉えた。
(――けどまぁ、無駄じゃなかったよな?)
この戦いを見届けることはできないが、きっとフォルディアは『仇為す者』を倒すことだろう。当然だ、それでこそ勇者なのだから。
世界の敵を倒すのは、いつだって勇者なのだから。
「勇者が――泣いてんじゃねーよ、馬鹿が」
視界の端に捉えた泣き顔のフォルディアを叱りつけながら、エステルトは二度と開くことのない目を閉じた。
こうしてこの日、最強の剣士と呼ばれた男はこの世を後にしたのだった。
――いや、したはずだった。