第五十九話 四人寄れば帝国の叡智
さて、クロエは、ラーニャとティオーナとともに、市場を回っていた。
ちなみに、ミーアたちのお邪魔虫にならないように、アンヌもこちらについて来ている。
女子四人、かしましく町を行く。
クロエの希望で、彼女たちは、特に市場で売られている本の状況を調べていった。
さすがは流行の最先端たるセントノエルだけあって、それなりの本が揃っていたが……。クロエは、店主から話を聞いて、とても難しい顔をしていた。
「やっぱり、本は高価ですから……買う人が限られてしまいますね。普及させるのが、とても難しいような気がします」
店から出て早々に、クロエは言った。
「そうですね。貴族の子弟が揃うセントノエルだから商売として成り立つけど、普通の町人が買うのは難しいですね……」
ティオーナが難しい顔をする。
「というか……ルドルフォン家でも、買い揃えるのは難しいです。セロに植物の本を買ってあげるのも、やっとですから」
「そうね。私なんか、一応は王女だけど、あの値段は、少し躊躇いがあるし……」
同意したのはラーニャだった。そのぐらい、本というのは高価なものなのだ。
「だから、私は、貸本にするのがいいと思っていたんですけど……」
軽く、眼鏡に触れながら、クロエが言った。
「ああ。なるほど、貸本ですか」
納得の頷きをみせたのは、庶民事情に詳しい第一人者であるアンヌだった。
基本的に、本というものは高価で、庶民には手の出ないものだ。
では、本に親しみがないか、と言われると、実はそんなことはない。本を見たこともなく、手に取ったこともない、という人は、あまりいないのだ。
それには、中央正教会が行っている貸本が関係している。
中央正教会は、すべての民が神聖典を読めるよう識字教育に力を入れていた。その一環として、神聖典のみならず、その周辺の伝承や、教訓を伝えるための物語を積極的に本にし、貸し出しを行っていた。
そのおかげもあって、人々の間には、共通の倫理的価値基準が浸透することになっているのだが……。
「娯楽色の強い本ですから、中央正教会の協力は得られないかもしれませんが、貸本という存在自体は、人々に浸透しています。だから、ミーアさまもそんなことをお考えなんじゃないかと思ったんです。販売を伸ばすために、栞にスライスしたキノコをつければいい、なんて冗談をおっしゃってましたから……」
そう、高価な本を売るのは難しい。なにか、適当なオマケをつけたところで、どうなるものでもない。だから、ミーアは実現性のないキノコの栞、なんて冗談を口にしたのだ。
クロエは、そう判断していたのだが……。
「それ、本当に、冗談なのかな……?」
思いのほか、真剣な顔で疑問を呈したのは、ラーニャだった。腕組みしつつ、眉間に皺を寄せている。
「えと、どういうこと……でしょうか?」
クロエの問いかけに、ラーニャは静かに頷いて、
「ミーアさまは、時々、よくわからないことをおっしゃるわ。それは、ただの冗談のことももちろんあるけど、でも……よくわからないのは、私たちの考えが足りないから……ということもある。なにげない一言に深い意味がこめられてるということもあるから、考える必要があるんじゃないかな、って……」
言われて、クロエはハッとする。
確かに妙な話なのだ。
押し花ならばともかく、キノコをスライスして栞にするだなんて、普通では考えられないことだ。普通では、考えられないことだ! 普通では、考えられないことなのだ!!
となれば、そこに、なにか意味があるのかもしれない。意味を読み取ることを期待していると……そういうことかもしれない。
「あの……私もそう思います」
同意の声を上げたのは、ミーアのことを誰よりも知る人物、ミーア事情に詳しい第一人者のアンヌだった。
「ミーアさまは、周りを明るくするために、ウィットに富んだ冗談をおっしゃることはありますけど……でも、本当に大切なことで、ふざけるような真似はしないと思います」
……まぁ、ミーアは本気で「キノコの栞はどうかしら?」と思っていたので、ふざけていないというアンヌの指摘は間違ってはいないだろう。
「だから……ラーニャ姫殿下の、なにか深い意味があるんじゃないか、というお考えは正しいんじゃないかって、思います」
こちらに関しては、まぁ、誤りではあるけれど……。
アンヌの言葉に、ティオーナも頷く。
「そうですね。ただの冗談にしては、意味深ですよね。キノコの栞だなんて……普通の冗談じゃないと思います」
そう、普通の人の冗談ではない。まぁ、ミーアが普通かどうか、と言われると、いささかに議論の余地がないではないのだが……。
「栞に、か……。でも……栞……それは、普通の栞という意味じゃない? もっと、別の……栞って、そもそもなんだろう?」
みなの話を聞いて、クロエは静かに考える。
栞とはなにか? それは、どこまで読んだかわかるよう、本に挟んでおく印だ。
「それをキノコ……ミーアさまの大好きな『食材』でするということは……? その意味は……」
顎に手をやり、考え込むクロエだったが……。
「前の話の続きを、食べ物でわかるようにする……? それは、つまり……」
ハッとした顔をする。
「もしかすると……。食べ物を配って、その都度、物語の続きを読み進めていく……ということ?」
「え……どういうこと、でしょうか?」
アンヌの問いかけに、クロエは静かに頷いた。
「はい……。先ほどもお話したことなんですけど、私は、庶民に高価な本を販売するのは、少し難しいと思っていました。だから、少し丈夫な本を作って、貸本として、いろいろな場所に広めるのはどうか、と思ったのですけど……」
クロエは神妙な顔でクイッと眼鏡の位置を直してから(その動作は、どこかのダレカに似た動作だったが、それはともかく……)
「もしかすると、ミーアさまは……読み聞かせをお考えなのではないかな、と」
「読み聞かせ……?」
「そうです。ええと、つまりこうです。本そのものは買えない。けれど、物語に触れさせたい。だから、人を集めて、朗読するんです」
「それと、キノコの栞とに、どういう関係が?」
きょとん、と首を傾げるティオーナに、クロエは少し興奮した様子で言った。
「食べ物で人を呼ぶんです。なにか……簡単に大量に作れるお菓子を販売して、そこで本を朗読する。お菓子を買った人は、ちょうど良い区切りのところまでお話を聞く。続きは、次に食べ物を買った時……」
話の区切りにキノコ、すなわち『食べ物』を挟む。さながら、栞のように。
「続きのお話を聞くために、その食べ物を買うか。安価で美味しい食べ物なら……ん? 待って……。そこで、ミーア二号小麦で作った食べ物を販売する、というのはどうかな?」
ラーニャが、ハッとした顔で言った。
寒さに強い小麦、ミーア二号。その存在は、徐々に浸透しつつあるが、その調理法のほうは、まだそれほど知られてはいない。けれど、この方法ならば……。
「物語を聞きに来た人たちに、ミーア二号の美味しさを知ってもらえるかもしれない。食料不足の不安感を上書きするだけじゃなくって……小麦の知識を広めることにも貢献できるかもしれない」
そのラーニャのアイデアに、ティオーナも、クロエも、アンヌも、拍手する。
「とすると、本は販売用の比較的安価なものと、朗読の演出用に重厚な、高そうなものを作る……と。挿絵も大きめのものを何枚か用意して、聞きに来た人に見せながらやれば……」
四人寄れば帝国の叡智、とばかりに彼女たちは、かしましく相談を進めていくのだった。




