第五十八話 ミーア姫、女神に祭り上げられる!
「こっ、この絵……これは……」
震える手で、その絵を持ち上げる。
厳かな微笑みを浮かべる自身の、幻想的な絵を。
「めっ、女神……っ!」
なるほど、それは確かにミーアの絵だった。ミーアを女神に模したものだった!
以前から、自身を模したもの自体は見慣れているミーアである。
『ミーア焼き』のようなシャレの利いたものから、ちょっぴりアレな像まで、さまざまなバリエーションを見飽きているとすら言っても過言ではないミーアである。
それに、以前、ラフィーナと一緒に肖像画を描いてもらったこともある。だから、肖像画自体に驚きも、慌てたりもしないわけだが……。
――しかし、このタイトルは、マズいですわ!
ミーアの胸に湧きあがる不安に同意するかのように、アベルが厳しい顔をしていた。
「ああ……これは……少し、危険だ……」
「でっ、ですわよね! やっぱり」
ミーア、思わず、声が高くなる。
なにせ、それは、中央正教会に思いっきり喧嘩を売ったものだったからだ。
権力者を神と称するなど、明確な敵対行為に等しい。考えるのも恐ろしいことだ。
「それに、これは下手をすると……蛇にも利用されてしまうかもしれませんわ」
中央正教会の建て上げた秩序、それは、唯一の神を権威とするものだ。
絶対的な唯一の神という権威があるからこそ、倫理も、道徳も唯一の普遍的なものとなるのだ。ここにもしも、別の神が現れたら……。価値基準は見る間に分裂し、生じた混乱は、世界を混沌へと堕とし込むことだろう。
実に、蛇が好みそうな状況であった。
「ぐ、ぬぬ……いったいぜんたい、どこのどなたがこのような絵を……」
歯ぎしりしつつも、ミーアは誰にも見られないように、その絵を手に取り、店主の姿を探す。っと、ちょうど店の奥から出てきた店主を捕まえ、話しかける。
「ええと、ちょっとお聞きしたいのですけど……」
「はいはい、なんでしょうか?」
ミーアは朗らかな笑みを浮かべつつ、自らの持つ絵を示した。
「ええと、この絵なんですけど……」
「ああ! その絵ですか。良い絵でしょう? 特別な技法で描かれた絵でして。ほら、見る角度によって、輝き方が変わるでしょう? 素晴らしい絵ですよ」
店主は、どうやら、ミーアが、この絵のモデルになっていると気付いていないようだった。
確かに……この絵に描かれた綺麗なミーアと、目の前にいるミーアとは、少々の乖離がないではなかったが……それはそれで、微妙に釈然としないミーアである。
「そうなんですの。ふむ……」
試しに、ミーアは絵の角度を変えてみる。と、色鮮やかな光がその表面に現れた。
――確かに、珍しい、そして、とても美しい絵ですわ。ラフィーナさまの肖像画でも、ここまで見事な絵はございませんわね。ぐぬぬ、それも後々問題になりそうですわ。
まるで、ラフィーナを押しのけて、自らが聖女と呼ばれんとしているかのようだった。いや、聖女どころか、女神なのだが……。
内心で歯ぎしりしつつも、ミーアはなんとか笑みを浮かべる。
「……しかし、なにやら、この絵、どうもわたくしに似ているような気がするのですけど……」
「ほ……?」
店主の顔が一瞬固まるが……。
「あ、ああ、ええ。なる、ほど……? まぁ、確かに、言われてみれば……」
まるで「まぁ! この子、可愛い絵のモデルを自分だなんて!」みたいな顔を、営業スマイルで覆い隠し、店主は頷いた。
「ははは、これは、きっと、美しいものを描こうと思うと、似てきてしまうということでしょうな。お嬢さまの美しさと、この画家の美的感覚が合致してしまったのですよ」
なぁんて、お世辞半分の軽口を叩く店主。どうやら、帝国皇女ミーアと女神ミーアのイメージが繋がっていないらしいが……。
それにしても、その危機感の薄さに、ミーアは愕然とする。
ここは、セントノエル。ヴェールガ公国のただなかにある島なのだ。だというのに……。
――いえ、だからこそ、ということかしら……? ヴェールガ公国という……中央正教会の価値観が絶対的に根付いた土地であればこそ、この絵が……ただのシャレとして扱われているのですわ。
そうなのだ、言ってしまえば、これは、ただの絵なのだ。拝むべき対象として造られた偶像などではないのだ。
民草にとっては、それこそただのシャレ。例の「ミーア焼き」と大差ないものなのかもしれない。けれど、話はそう簡単ではないのだ。
知っている者は知っている。
今や、ミーアがこの大陸各国の食料供給のキーマンであること……。
その握っている権威が、国を超えた、極めて巨大なものとなっていること……。
「これ、どこで描かれたものなのかしら? わたくし、とても気になりますわ」
「ああ、ここら辺の絵は、すべてセントバレーヌから運ばれてきたものだよ」
「セント、バレーヌ……ですの?」
その名を聞いて、思わずミーアとアベルは顔を見合わせた。
急ぎ、その絵を買ってから、ミーアたちは学園にとって返した。
「これは……ルシーナ司教の攻撃だろうか……?」
アベルの問いかけに、ミーアは、うーむむ、っと唸った。
「判断が難しいところですわ。確かに、これをわたくしが作らせた、などと難癖をつけることはできそうですけど……」
あるいは、ある種の風刺とも考えられるだろうか。ヴェールガの築いた価値基準が、ミーアという権威によって、揺らがされている、と……そんなことを表現するものかもしれないが……。
「やり方として、わからなくはないけど、しっくりしない、か。むしろ、人々が勝手にミーアのことを神格化している……そういうこともあり得るかもしれないね……。人々の間に不安感が広がっているというのなら、なおさら、こういったことが起きてもおかしくはない」
人は、見えやすく、わかりやすいものに頼りたがるものだ。中央正教会の目に見えない神と比べ、わかりやすいミーアを神格化する、というのはあり得ないことではない。
――うう、だとしたら、余計にルシーナ司教やラフィーナさまに知られる前にさっさとなんとかする必要がございますわ! ここは、潔白を証明するためにも……。
っとそこで、ミーアは小さく首を振る。
――いえ、これは、ラフィーナさまには、むしろ事前に連絡しておいたほうが良いですわね。
お友だちだから言わなくてもわかるだろう……などとは、ミーアは思わない。ラフィーナは、神ではないのだから、言わなければ当然伝わらないということはあるのだ。
――しっかり、わたくしが関与していないことを主張して……ついでに信じてもらえるよう、ちょっぴりお友だちを強調する文章にして……友情を確認するような内容にすれば……。
っと、すべきことを頭で整理しつつも……ミーアは、深々とため息を吐いて……。
「……しかし、これは、仕方ありませんわ。直接、セントバレーヌに行かねばなりませんわね」
やれやれ、と首を振るのだった。