第五十三話 絶望を照らす光
ヘロヘロになって、部屋に戻ったミーアは、そのまま、ベッドの上にポテンと落ちた。浜辺に打ち上がった海の月のように、儚く、しんなりしてしまうミーア。そんなミーアに、アンヌが話しかけてきた。
「あ、おかえりなさい。ミーアさま。お疲れのところ申し訳ありません。帝都から、ルードヴィッヒさんのお手紙が届いていますが……」
基本的に、アンヌは、ミーアが疲れていそうな時には、不必要な報告を上げてこない。けれど、帝都から、特にルードヴィッヒからのものは、ノータイムでミーアに届けるようにしていた。
彼からの連絡は、ほとんどの場合、大切なものが多いからだ。
「あら、ルードヴィッヒから? 確か、つい先日、連絡をもらったばかりだったはずですけど……なにかあったのかしら?」
定時ではない連絡、緊急度は高そうだった。
「それと、エリスからの原稿も届いていますが……」
「まぁ! もしや、新作が……!?」
これは、生徒会で頑張ったご褒美か? と顔を輝かせるも、アンヌは申し訳なそうな顔で首を振り……。
「いえ、どうやら、今までの原稿をまとめて推敲したものみたいです」
「なるほど、ということは、本の形になる直前の原稿ということですわね……」
ミーアはアンヌから原稿を受け取って、表紙を軽く撫でる。
「ああ、確かに、この書き出しは、最初のお話ですわね。しかし、これがいよいよ本に……そう考えると……ふふふ、少しだけ不思議な感じがしますわね」
ミーアがこの物語と出逢ったのは、あの地下牢でのこと。あの時、聞いた物語が、いよいよ本の形になろうとしているというのは、なんとも言えぬ感慨深さがあった。
いずれにせよ、この物語は、ミーアにとって非常に重要で思い入れのあるものである。
良い本に仕立て上げなければならないだろう。
「良き表紙をつけてあげて……。装丁は、そうですわね。重厚な革がいいかしら? 木の表紙というのもあるみたいですけど……いえ、黄金の竜だから、やはり、金の表紙で……? あとは、キノコ形のしおりをつけるとかどうかしら? ううぬ、やはり、クロエに相談するのが良いですわね……。ふふふ、完成が楽しみですわ」
っと、いったん楽しい気分に浸って、多少は気力を回復させてから……。
「それと、ルードヴィッヒからの手紙でしたわね。アンヌ、すみませんけれど、読んでいただけないかしら?」
「わかりました」
そうして、アンヌが読み上げた内容は、概ね、先ほど生徒会で話が出たのと同じようなものだった。
「帝国内でも不安の声が上がっている……なるほど。ルードヴィッヒも、その対応が必要であると考えているわけですわね」
あの、ルードヴィッヒが必要あり、と認めているならば、これはもう間違いない。
ミーアとしては、より気を引き締める必要があるわけで……。
「あるいは、蛇の介入があるのではないか、とも書いてあります。帝国内では、ミーアさまへの深い信頼があるのに、それでも不安が広がるのはおかしい、と……」
「ああ、隠れていた蛇の手の者が、ここぞとばかりに不安を煽っているというわけですわね。あるいは、食料輸送網に攻撃を仕掛ける……それも十分に考えられることですわね」
そうは言いつつも、ミーアとしては半信半疑だった。
確かに、ミーアは民との関係を大事にしてきた。誕生祭などで、民からの人気を得るべく、尽力してきたつもりだし、新月地区のことをはじめとして、できるだけ慕われるように振る舞ってきたつもりだ。
されど……それをもって民の不安感を完璧に拭えるかというと、ミーア的には甚だ疑問であった。
――人は、理由もなく明日が心配になる生き物ですわ。
その気持ちは、ミーアの知る限り、とても強い。そして、理屈ではないために、厄介だ。
――蛇ならば、情報を流している者を叩けばいい。原因となる人間がいるならば、いくらでも対処できますわ。けれど……もしも、漠然とした、理由のない不安感だというのであれば、対処はより難しいですわ。
それこそ、本当のことを言って、落ち着いて行動すれば大丈夫、と納得させるしかないかもしれないが……。
「ふぅむ……しかし、あくまでも気分的な問題、なんですのよね……」
ミーアは、思わず考え込む。腕組みし、眉間に皺を寄せつつ、ムムムッと唸る。
考え、考え、考え込んで……ぷしゅー、っと萎んていく。
「だ、駄目ですわ。お腹が減って考えがまとまりませんわ。ケーキ、ケーキが足りませんわ! わたくしのケーキはいずこ?」
「もう少しお待ちください。ミーアさま。もうすぐ、お夕食ですから……。気を紛らわすために、エリスの原稿でも……」
「あ……ああ、そうですわね。確かに、貧しい王子と黄金の竜は、何度読んでも楽しい名作ですし……」
あの地下牢でも、空腹を紛らわすために読んでたっけなぁ! と懐かしく思いつつ、ミーアは原稿を手に取りかけて……。
「ふむ……エリスの小説は、とても楽しいですわね……」
それは、とても楽しい読み物。地下牢の、あの絶望を、あの、死にそうなほどの退屈を癒してくれた、無限の楽しさを持つもの……。
ミーアは原稿に目を落として、ふとつぶやく。
「そうですわ……。エリスの小説を……本として出版して、世に広めれば……それが、大ヒットすれば……漠然とした不安を打開するとっかかりになるのではないかしら? 不安感を楽しさで上塗りしてしまえば、あるいは……!」
ぶつぶつとつぶやきつつ、ミーアは静かに立ち上がる!
「ミーアさま、どちらへ……?」
「ええ……少し、その……食堂へ」
厨房の香りで、空腹を紛らわそうと考えたミーアであった。
逆効果だと思うが……。