第五十二話 形なき敵
生徒会長選挙も一段落し、ラフィーナも無事に送り出してから数日後のこと。
ミーアは、生徒会室に詰めていた。定例の会議のためだ。
「ふぅむ、しかし、ラフィーナさまも大変ですわね。もう少しゆっくりしていってもよろしかったのに……」
ものすごぅく、名残惜しそうな顔をしつつ、船に乗り込むラフィーナを思い出すミーアである。
「それは、仕方ありません。回遊聖餐は、とても大切な儀式ですから」
「そうなんですの?」
首を傾げるミーアに、説明してくれたのはレアだった。
「聖餐を授け、民の心を神へと向ける。民に、神の家族としての、連帯意識を持たせる。とても重要な儀式です」
「なるほど……。国をまとめるうえで重要な儀式ということですわね」
互いに、神の家族であるという意識があれば、確かに、革命を起こそうとまでは思わないかも……、などと、断頭台の姫視点で検証するミーアである。
「確かに、それは大切な儀式ですわね……。しかし、村々を巡って食事というのは、なかなか大変そうですわね」
訪れる村ごとに、大ご馳走でもてなされるのは、とても大変そうだった。出された物を残すなんてもったいないこと、ミーアにはとてもできないから……。
そんな意味で「大変そうだぞぅ!」と言うミーアであったが……。
「そうですね。人見知りの私には、とても真似できません」
レアは、別の意味での大変さで受け取ったようだった。苦笑いを浮かべるレアに、隣に座っていたリオネルが呆れ顔を見せる。
「まったく、そんなことでどうする。ラフィーナさまになにかあった時は、お前が代わりを務めることだってあるんだぞ。もっとその自覚を……」
ヴェールガ公爵家と血縁関係にあるレアやリオネルも、どうやら、儀式を執り行う資格があるらしい。
――選挙の時を思えば、なかなかレアさんには厳しい儀式っぽいですけど……。
なぁんて思いつつ、次なる資料に目を通す。選挙後から、ミーアは生徒会室で仕事に明け暮れていた。
「ガヌドスのほうのー、研究所作りも、結構、順調に行ってますねー」
オウラニアの報告に、ミーアは深く頷いて……。
「それは朗報ですわ。ミーア学園からどなたに行っていただくかは、ルードヴィッヒに一任しておりますし、セントノエルからは……」
っと、レアのほうに目を向ければ、
「司教さまに話は通っているはずですから、人選は進んでいると思います。私も夏にでも、見学に行ければと思いますが……」
「あー、それはいいわー。ミーア師匠の功績を、自分の目で見ることは、とぉーっても大切なことだからー。うふふ、もっとも、その当時の現場にいた私ほどに学べるかは、わからないけどー」
微妙なマウントを取ったりするオウラニアである。
さらに、ティオーナやラーニャ姫からの小麦供給の報告を受けつつ……サンクランドやレムノ王国のことを、それぞれシオンやアベルと情報交換しつつも……。
ミーアは、眉間に皺を寄せて唸った。
――ううぬ……やはり、先日、予想したとおり、以前より大変になってる気がしますわ。極めて、不可思議なことですわ。
むしろ、仕事の量は、自身が生徒会長をやっていた時よりも増えているような気さえする。
それもそのはず、今まではラフィーナが担っていたもろもろの仕事が回ってきているわけで……無論、それを一人で背負いこんだりはしないミーアであるが……仕事を各員に割り振るだけでも、なかなかの労働量になってしまい……必然的に……。
「……あーー、頭の使いすぎで、甘い物が欲しいですわ!」
そんなことを言い出す始末である。まぁ、それは大体いつものことではあるのだが。
そうして、公的な報告が一段落したところで、
「そういえば、ミーアさま、ご存じですか?」
話しかけてきたのは、クロエだった。真剣そのものの顔で、ミーアを見つめてから……。
「民の間では、じわじわと不安感が広がってきているようです」
「ふむ……不安感、ですの?」
「はい。食料が不足するんじゃないか、とか。今のうちに買い占めておいたほうがいいんじゃないか、とか……そんな空気がだんだんと高まってきているみたいで……」
「ああ、それは由々しき問題ですわね」
ミーアの言葉に、レアが小首を傾げた。
「それほど問題でしょうか? 事実、食料は足りているのですよね?」
レアの言うことは正論だった。
いくら不安に感じようが、食料自体は足りる計算なのだ。ならば、放っておいても問題ないのでは? というのは、理性的に考えればわかることなのだが……。
「レアさん……人というのは、いつでも冷静でいられるものでは、残念ながらありませんわ」
ミーアは知っている。
雰囲気……というのは、なかなかに厄介な敵なのだ。
貴族にしろ、民草にしろ、人というのは、割と簡単に雰囲気に乗せられて行動したりするものなのだ。
人は、自らの持つ心に従って行動するものであるが、雰囲気は、その心に作用する極めて厄介なものなのだ。
雰囲気の悪化を放置した挙句、なんかわかんないが、食料が不足してるっぽいから、食料輸送者をフワッと襲おうぜ! とか言い出されるのは、真っ平ごめんなミーアである。
一方で、
「多少、不安を感じたとしても、民が領主を信頼しているなら、持ちこたえられるのではありませんか?」
リオネルは、こう主張した。
「サンクランドのエイブラム陛下やシオン殿下、ミーア姫殿下のような人徳ある方がお声がけすれば、民は耳を傾け、そうそう愚かなことをしないと思うのですが……」
「ええ。それは正しい見識ですけれど……残念ながら、誰もが、エイブラム陛下のように信頼される統治者ではありませんわ。そして信頼構築を怠った代償は、その統治者に留まるものではない」
一国でその被害が留まるならば、自業自得と言えるかもしれないが、その手の火は、大抵、他国まで飛び火するのが常だ。
他国のやらかしで、帝国が傾くのは、ミーアの望むところではない。
「なるほど……。確かに、統治者の怠惰によって治安が悪化し、民が苦しむことになるのは避けるべきですね。さすがはミーア姫殿下」
飛び火する先が、民か自国かによって、若干の解釈の違いはあったが……まぁ、わかってもらえたので、結果オーライだろう。
「といって、その不安を払しょくするのも、そう楽なことではありませんわ」
もしも、食料不足の雰囲気が完全な間違いであれば問題はない。つまびらかに現状を開示すれば、それで解決だ。
けれど、実際にはギリギリ綱渡りなのが現状だ。
食料輸送などに不測の事態が起こらなければ、乗り切れる計算ではあるが、そのありのままの現状こそが、まさに、不安を煽る状況なのだ。不測の事態が起きなければ……というのは、不測の事態が起きたらヤバイということの裏返しなわけで……。
さらに、蛇のことも気がかりだ。
食料不足は、彼らも察してはいるだろうが、仮にミーアが認めてしまえば、その言葉を利用して、さらに混乱を助長するかもしれない。
「となると、やはり、現状を民に伝えるのは得策ではない。民との信頼関係維持に全力を尽くすのはもちろんのこと、なにか別の方法で、人々の目を逸らす必要があるのではないかしら」
ミーアの言を受け、いくつかのアイデアが検討されるも、答えは出ず。
ヘロヘロになりつつ、自室へと帰りついたミーアであったが……。