第五十一話 ……と、ミーア
――おお、レアさん、なかなかすごいですわ……。
じっくりと、固唾を飲んで見守っていたミーアは、聖堂内の空気が変わるのを感じていた。
最初、あざとくも転びかけ、上級生の庇護欲をくすぐった直後、レアは立派に、堂々と演説をやってのけた。リオネルの演説の中で、頷けるものはきちんと取り入れつつ、それを上回る論理を展開してのけたのだ。
途中、もともとの原稿から外れた時にはどうしようかと一瞬焦ったが、レアのほうはまったく慌てる様子は見せなかった。
その威風堂々たる話しぶりは、今までの応援演説とは一線を画すもの。ずっとうつむき、目を合わさず、ただ原稿にだけ集中していたレアとは違い、今日のレアには、清らかな威厳があった。
それを見た誰もが思った。
「これは、本当にあの、自信なさそうにしていたのと同じ少女だろうか?」
と。
そして……感じた。
ミーアの言葉の正しさを……。
なるほど、このレアという少女は、確かに弱々しく頼りなかった。けれど、今日、演説をした彼女は十分に、人の上に立つ風格を備えていた。成長が、あったのだ。
であれば、ミーアの言うことも頷けるのではないか、と。
レアの成長を信じる、レアならば必ず生徒会長ができると信じる、みなの支えと助けを受けて成長するから、と、その言葉に一定の説得力が生まれた。
さらに、話し終えた、まさにそのタイミングで、レアが眼鏡を外した。瞬間、何人かの生徒たち……特に、男子生徒たちが息を呑んだ!
そう、俗に言う「分厚い眼鏡を取ったら美少女でした」というやつを、目の当たりにしてしまったからである。選挙演説で回っていた間は、いつも、ちょっぴりうつむき気味であったゆえに、あまり見てはいなかったが……こうして見ると、レアはとても愛らしい顔をしていた。
しかも、レアのまとう空気感も微妙に変わっていた。なんというか、こう、弱々しくて、つい守ってあげたくなるような、小動物めいた雰囲気が戻ってきたのだ。
レアは……ギャップの塊だった。
少し前の立派な演説との間に生じた激しい落差に、何人かの生徒がクラァッと来ていた。
……大丈夫なのだろうか? セントノエル……。
……大丈夫なのだろうか? 大陸の未来……。
まぁ、それはともかく。
その後、司教の祈りの後、投票の時間に移った。すべての生徒が、前方の投票箱に票を投じた後、集計作業が始まる。作業にあたるのは、ヴェールガ本国から選挙のために派遣された司教たちだ。
そうして、しばしの静寂の後……司教の口から告げられたのは、レアの勝利だった。
「ミーア姫殿下……」
投票の儀の終了が告げられ、にわかに生徒たちにざわめきが戻って来たところで、リオネルが歩み寄ってきた。
ミーアのそばまでやって来た彼は、一瞬、悔しそうに唇を噛んだが、すぐに首を振り、深々と頭を下げる。
「どうか、レアのことを、よろしくお願いします」
それから彼は、レアのほうに目を向ける。
「しかし、本当に大丈夫か? レア……。父上が期待した生徒会長の大任を、本当に……」
っと、そこまで言ったところで、彼は口をつぐんだ。
「いや、なんでもない……。これじゃあ、ただの負け惜しみだ。選挙で負けた私に、何を言う資格もないな。負けたんだから……」
悔しげに唇を噛むリオネル。しょんぼりと肩を落とした、その居たたまれない姿を見たミーアは、ちょっぴり可哀想になって……声をかけようとして……。その時だった。
「お二人とも、見事な選挙戦だったわ」
涼やかな声が響いた。
「らっ、ラフィーナさま!?」
ぴょんこっと跳びあがり、姿勢を正すリオネル。
つい先ほどまでの悲壮な顔はどこへやら……その顔に浮かぶのは、憧れの舞台女優に会えた少年のような……ウキウキのワックワクの顔だった。
そんなリオネルに微笑ましげな視線を向けて、ラフィーナは続ける。
「リオネルさんも、素晴らしい演説だったわ。さすがは、将来のルシーナ伯。立派でしたよ」
それから彼女は、そっとリオネルの頭に手を置き、優しく撫でた。
それは、聖女がするような慈愛の行為ではなく、少しだけ親しみのこもった、親戚のお姉さんが、傷ついた少年に向ける優しい仕草だった。
「だから、そんなに自分を卑下しなくてもいいのです。セントノエルは生徒の成長と学びの場。であれば、あなたの成長だって、ミーアさんは考えていた。そうよね、ミーアさん」
ラフィーナの言葉に、ミーアは、一瞬、あら? そうだったかしら? と思わないでもなかったが……そんなのはおくびにも出さずに、澄まし顔で頷いて、
「ええ、そのとおりですわ!」
いけしゃあしゃあと言い切った!
それを聞いて、騙されたリオネルが、驚愕の表情を浮かべる。
「ぼ……私の、成長を……?」
「ええ、そうよ。あなたは、ここに立つ前に、すでに一つの成長をしている。そうでしょう?」
ラフィーナは、まるで、自分のことのように誇らしげに言った。
「あなたは、ミーアさんが成したことを見て、知った。そして、それを維持するのが正しいことだと考えた。これは立派な成長だわ。だって、あなたは、この学園に来る前、ミーアさんのしたことを悪しきことと思っていたのでしょう?」
「それは、確かに……」
「それに、ミーアさんのあの応援演説……あれは、あなたの問題を指摘したものだったでしょう?」
「はい……」
「あれは、あなたの成長を期待してのもの。あなたがすべきことを、指し示すものだった。あなたは、もっと妹を信じなさい、というミーアさんのメッセージを、しっかりと吟味するといいでしょう。妹を大切にすることと、信用せず、何もさせないこととは違うのだから」
それから、ラフィーナは何かを思い出すように、遠くを見つめて……。
「なんでも自分でやることは簡単よ。そして、気も楽でしょう。けれど、それはレアさんのためにならない。レアさんの可能性を潰してしまう。そして、あなた自身も……」
「私、自身も?」
「そう。一人ですべてを背負い込んでは、いつか潰れてしまう。人は神ではない。なんでも自分一人ではできないの」
諭すように言うラフィーナ。
「だから、あなたは、信じて任せることを学ばなければならない。そのために、今回の選挙は良い機会だったでしょう。この選挙は、神意を明らかにするための儀式。であれば、その結果は最善であり、すべての人に意味があるものとなる。生徒会長に選ばれた者にも、選ばれなかった者にも、ね」
その言葉を噛みしめるように、一瞬黙ってから、リオネルは再び頭を下げた。
「お心遣い、ありがとうございます。ラフィーナさま。考えてみます」
そう言って、踵を返そうとした彼を、レアが呼び止めた。
「待って、兄さん」
遠慮がちに、けれど、しっかりと届くように……。
「あの、生徒会の副会長を、お願いできますか?」
その言葉に、リオネルは驚いた顔をする。
「いいのか? レア、それで……。それじゃあ、今までと何も変わらないんじゃないか?」
「確かに、兄さんの力を借りたら、振り出しに戻ってしまうのかもしれない。だけど、これはもう、私がどうこうじゃないから。生徒会長の地位は私にとって挑戦で、成長の機会かもしれないけど、それよりも大切なものがあるから……」
そうして微笑むレアは、けれど、もうすでに、与えられ、守られてばかりの者ではなかった。
彼女にはやりたいことがあり、そのために力を欲していた。
だから、一番、信頼が置ける兄の力を借りようとしている。それこそが、レアの成長の証であった。
そして……。
「妹を裏から支え、その想いの実現のために尽力する……。それが、神の意思だというなら……」
リオネルは、静かにそれを受け入れるのであった。
こうして、新生徒会長レアのもと、新たな生徒会が活動を始める。
副会長には兄、リオネル…………とミーアを迎え、さらに、セントノエル・ミーア学園の共同研究プロジェクト担当として、オウラニアを迎え入れた生徒会メンバーは……概ね今までと変わらない顔ぶれになっていた。
「……妙ですわね、楽ができると思っておりましたけれど、これじゃあ、なにも変わらないんじゃ?」
などとしきりに首をひねるミーアであった。