第五十話 その上へ、もっと前へ
なんとか、転ばずに壇上まで来たレアは、眼鏡を外そうとするが……。
――ううん、ミーアさまがつけろ、と言っていたものだから……。
とりあえず、そのままにして顔を上げる。
理屈ではわかっていても、体が反応してしまうことなんて、よくあること。だから、とりあえずは、このまま、見えないままで……。
――って……原稿が、読めないや……。
度入り眼鏡のせいで、手元の文字が歪んで読めなかった。
――つまり、原稿をそのまま読むのではなく、私の言葉で語りかけろということ……かな。
小さく息を吸って、吐いてから、レアはゆっくりと口を開いた。
「みなさん、私が、生徒会長に立候補した、レア・ボーカウ・ルシーナです」
読まずとも、原稿の文章は頭の中に入っている。言葉に詰まることはない。記憶のままに、それを語ればいいだけだ……けれど。
――ミーアさまがお求めなのは、それだけじゃない。ミーアさまは、おっしゃったんだ。私は、しっかり考えられる人だから大丈夫だ、と。
ミーアの言葉を指針に、レアは考えながら、話し始めた。
「私は……前任生徒会長ミーアさまの政策を、とても素晴らしいものだと思います。ミーアさまの政策は、我らの神の慈愛を表すようなものです。貧しき子どもたちへの向き合い方、民への配慮、飢える者の無きように、助け合う仕組み……。どれも、一切の反論の余地なく、素晴らしいものです」
そこまではリオネルと同じだ。
けれど、レアはそこで立ち止まらない。彼女は、もう、考えることをやめない。
「私は、その、ミーアさまが築き上げてくださったものから始めて……それを土台として……さらに積み上げたいと思っているのです」
レアは言う……。さらに前へ、さらに上へ……と。
「ミーア姫殿下が始めた、特別初等部の試みは素晴らしいものでした。だから、私は……いずれこの『特別』の文字を取りたいと考えています」
彼女が告げた言葉……それに、生徒たちが、かすかにどよめいた。
「特別初等部に反対の方たちがいました。兄、リオネルを支持し、ミーア姫殿下に反対の意思を示そうとした方たちです。兄が言ったように、これは大きな誤りです」
そっと眼鏡の位置を直しながら、レアは言った。
「私たち、民を治める権能を、神から委託された者たちは……王や皇帝、貴族に連なる私たちは……民のことを知らなければならない。民の友でなければならない。時に剣をもって権威を示さなければならないとしても、それは、道を誤った友にするように、しなければなりません」
選挙戦が始まってから、レアは、ずっとミーアの宣言を、わかる限り調べてきた。
パン・ケーキ宣言も、特別初等部の子どもたちに、盗難の疑いがかけられた時の発言も、その言葉のすべてが学びだと思ったからだ。
……ちなみに、そのレアの後ろにこっそーりと寄り添い、一緒にメモを取るオウラニアの姿があったとかなかったとかいう話があるが、まぁ、それはともかく……。
そんなミーアの言葉の一節が、レアの心に残っている。
幼子に、罪を犯させるは親の罪。そして、そうせざるを得なくさせた、統治者の罪。
ゆえに裁くのではなく、過ちを犯さぬようにさせることが大事である、と。
では、そのように振る舞うのに必要なことは何だろうか?
レアは、考え……そして答えを出した。
それこそが、民を、友として扱うように、というものだ。
「この学園で、民と共に学ぶことは特別なことではない。孤児たちと、食卓を囲むことを、特別なことと考えてはならない。この学園にいる間だけの『特別』だと思ってはいけない。学園を卒業してからも、その心を持ち続けなければならない。そのために、特別初等部は特別ではなく、当たり前に子どもたちを受け入れるクラスにすべきだと思います。正式なクラスとして、子どもたちの受け入れを増やすべきです」
ミーアの始めた特別初等部の規模を広げ、さらに、そこに意義を付け加える。それは、リオネルがやらなかった……否、やれなかった戦略だった。
なぜならリオネルは、今でこそ支持しているものの、はじめはミーアの政策を否定するところから入ったからだ。
そのような者が、自分の考えに基づいて、政策をより前進させて……などと言えば、やはり、ミーアの政策を退けて、自分の思い通りにするつもりか、などと言われかねない。
ゆえに、リオネルは、ミーアのしてきたことを、何一つ変えることなく、忠実に継承する必要があった。
けれど、レアは違う。
レアは最初から、ミーアのやったことを正しいと主張していた。
そのうえで、それを土台として自らの考えを付け加えた。
ただ、ミーアの政策を擁護するだけでなく、自らが……生徒会長になる意義を主張したのだ。
「私は、ミーア姫殿下と同じことをしようとは思いません。できるとも思いません。それに意味があるとも思わない。受け継いだ物を守り抜くだけでなく、そこから一歩ずつ歩みを進めたいと、私は思っています」
それから、レアはそっと眼鏡に手をやり、それを外した。
はっきりと周りを見て……みなが、自分のほうを見つめているのを確認して、ちょっぴり、クラァッとしつつも……。その顔に浮かぶのは、やり切った、爽やかな笑みで……。
「ああ……本当だ。本当に、みんな、聞いててくれたんだ」
ため息を吐くように、つぶやいた。