第四十七話 勝負の日
セントノエル学園において、生徒会長選挙というのは、神聖なる儀式だ。
立候補者は、それぞれに、学園地下の清めの泉で身を清め、投票に臨むことになる。応援演説の者が立つ場合には、その者も同様に身を清め、純白の衣装に着替える必要があった。
さて、衣服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿となったミーアは、レアと共に泉へと降りる。
白い石が敷き詰められた中を進んでいき……っと、先に、そこにいた人物に思わず驚きの声を上げる。
「あら……ベル。今日の応援演説は、あなたがしますの?」
てっきり、応援演説はシオンがやるものとばかり思っていたから驚いてしまうミーアであるが……。
「ふふふ、当然です。リオネルさんが最初に声をかけたのは、ボクなのですから」
ドヤァ、という顔で胸を張るベル。
それを見て、ミーアは首を傾げる。
――ふむ、ベルはいい気になっているみたいですけど……これは戦略としてはどうなのかしら?
思考を深めるため、ミーアは、清めの泉の水に身を沈める。
清めの泉の地形効果……すなわち、水風呂効果により、知能レベルを上昇させるために!
――素直にシオンに応援させたほうが、サンクランド貴族の支持を得られそうな気がしますけれど……しかし、逆にそれでは露骨に過ぎるのかしら? 他の生徒は事情を知らないでしょうけれど、リオネルさんが先に声をかけたのがベルであること、シオンは知っているでしょうから。
かといって無理にシオンに応援を頼むのは逆効果。むしろ、潔く最初に声をかけたベルにお願いするのがベスト……。なかなかの好判断に、ミーアは唸ってしまう。
――しかし、考えたのはリオネルさんかしら? シオンが進言したのか……案外、リーナさんということも考えられますわね。
そう推理するミーアであったが……ちなみに、正解はシュトリナであった。
もっとも、深い計算があったというわけでもなく、ベルちゃんの晴れ姿が見たいわ! というちょっぴりアレな思惑に基づいたものであったが……。まぁ、それはさておき。
「ふっふっふ、ボクの応援演説、ちゃんと見ていてくださいね。ミーアお姉さま!」
そう言って、颯爽と出ていこうとするベルに声をかける。
「ああ、ベル。どうでもいいですけど、髪はきちんと拭かないと傷みますわよ?」
っと、適当にザーッと髪を拭いただけだったベルが、おずおずと戻ってきて、タオルで拭き始め……。
「ミーアお祖母さま、意外と細かいです……」
などと、ぶつぶつ言うのであった。
さて、汚れなき衣装に身を包んだミーアたちは、聖堂に足を運んだ。
生徒たちの視線を受けて、レアが、くらぁっとしかけたのを、何とか支えつつ、椅子に座らせる。
どちらが先に最終演説を始めるのか、その順番は、まだ、決まっていなかったが……。
「司教さま、妹は、少し緊張してしまっているようです。私が先に演説をしてもよろしいでしょうか?」
そんなリオネルの問いかけに、司式を担当する司教は穏やかな顔で頷いた。
――むぅ……。堂々たる態度はご立派ですけれど、あれで、みなの心をがっちり掴まれてしまっていないか心配ですわね。まぁ、レアさんもこんな様子ですし、アンヌもまだ着いていないから後攻なのは望むところですけど……。
レアの背中をさすりながら、ミーアはリオネルの演説と孫娘の晴れ舞台を見守った。
「ボクは、リオネルさんのことを生徒会長に推薦します。彼は…………」
っと、そこで、ベルが瞳を閉じた。まるで、リオネルのこれまでの選挙活動を思い出すように、一瞬黙ってから、
「彼は、自分の間違いを改め、ミーア生徒会長の政策を引き継ぐことを表明しました。自分の過ちを認め、改めるというのは、なかなかにできることではありません。それが、自らの支持層を遠ざけることになるならば、なおさらです」
ベルは、ここでグッと拳を握り、続ける。
「しかし、リオネルさんは、それをすることで、かつての仲間、自らの支持者だった人たちをも訓育しようとしている。彼は生徒会長の資質を備えた人だと、ボクは考えます」
特に噛むでもなく、最後まで堂々とやり切ってから、ドヤァッという笑みを浮かべるベル。やや短くも、コンパクトにまとまった応援演説に、ミーアは思わず唸る。
それに続いて、リオネルの演説が始まる。
「私はミーア姫殿下の政策を支持します。各国から孤児を集め、教育を施す、特別初等部の試みをセントノエルでやることはとても意義深い。よくぞ、やってくれました、と言いたいです。そのほかの振る舞いも、中央正教会の教理に完全に則ったもので、反対する余地のない素晴らしいものです。だからこそ、私は訴えたいのです。それをしっかりと引き継げる者が次の生徒会長になるべきであると」
それは、今までの彼の主張と同じだったが、十二分に説得力のあるものだった。
ミーアの政策を引き継ぐことができるのは自分だ。妹には無理だ、と彼は繰り返す。
妹はミーアには遠く及ばず、その偉業を守っていくことはできない、と。それが可能なのは、自分のほうである、と。
今、椅子の上に座り込んでぐったりしているレアの姿が、そこに一定の説得力を付け加えていた。
――ふむ……ベルの応援演説がきっちり様になっていたのも想定外でしたわ。てっきりもっと適当な感じかと思いましたのに。
……ベルが、用意していた原稿の一部をすっ飛ばしたため、結構なアドリブが入ったことを知るのは、すべてが終わった後のことになるのだが。
まぁ、それはともかく。
会場の空気の波を、ミーアは敏感にキャッチする。
――これは、なかなか厳しい状況ですわね。
うつむくレアの顔を見てから、ミーアは会場に目を向ける。
――ふむ……。アンヌは、もう少し時間がかかるかしら……。
っと、その時だった。聖堂の後方、扉が開き、アンヌが姿を現した。
――来ましたわね。何とか、間に合って良かったですわ。
幸い、リオネルの演説は続いている。ミーアはさりげない様子で席を立ち、聖堂の壁沿いに小走りで向かってくるアンヌのところへ。そこで、例の木箱を受け取ると、再び、自らの席に戻る。
タイミングよく、リオネルの演説が終わった。
――さて、行きますわよ。反撃開始ですわ!
ミーアは鼻息荒く、席を立った。