第四十五話 MNY
そうして、投票日当日になった。
この日の朝、ミーアは港に待機していた。
本日、やってくる予定のラフィーナを待つためである。
「まさか、ラフィーナさまがいらっしゃるとは思っておりませんでしたけれど……上手いこと話しをしておければ、仮に負けたとしても、許していただけるかもしれませんわね」
むしろ、負けた後、手紙で言い訳するよりは、そちらのほうが良い、とミーアは気持ちを切り替える。
ともかく、事前言い訳を成功させるためには、ラフィーナを出迎え、気持ちよく過ごしていただくことこそが肝要。
「投票の儀は午後からの予定ですし。今日は心から歓迎して差し上げなければ……」
熱く燃えるおもてなし精神を胸に、気合を入れるミーアである。
やがて、船が到着した。
そこから降りてきたラフィーナは、ミーアの顔を見て、一瞬、ぱぁあっ! と顔を輝かせるも、すぐに、お付きの従者たちの手前、スゥっと涼しい笑みを浮かべて、
「ご機嫌よう、ミーアさん」
「ご機嫌麗しゅう、ラフィーナさま。ご無事の到着、心よりお喜び申し上げますわ」
そのミーアの言葉に、ラフィーナは再び嬉しそうに微笑んで……。
「ありがとう。本当は、ミーアさんからお手紙をいただいてから、すぐに来たいと思っていたのだけど、いろいろと都合がつかなくって」
「回遊聖餐、でしたわね。近隣の村々を回っておられるとか……。大変なお仕事ですわね」
そう言いつつ、ミーアはラフィーナの服装を見た。
ラフィーナは旅装用の外套こそ身に着けているものの、その中には白い儀式用の服を身に着けていた。上下一帯の純白のローブを、青い帯で締めたその姿からは、どこか、侵しがたい神聖な雰囲気が感じられて、ミーアは思わず気圧される。
かつて、ミーアも一時期、なんちゃってご当地聖女もどきに化けていた時期があったわけだが、そんなミーアでは決して出せないような、神聖なオーラをまとっているように見えた。
――ふぅむ、久しぶりにお会いすると、改めて、ラフィーナさま、聖女という感じがしますわ。なんだか、少し近づきがたい、遠くの方になってしま……うん?
っと、そこでミーアは重大なことに思い至る。その清らかな服装の、秘密に……。
――ふむ、回遊聖餐というのは、近隣の村々を巡って、食事を一緒にするということでしたけれど……。もしや、あのダボっとした服の感じは……食べ過ぎた時に、お腹が苦しくならないようにということなのかしら……? 帯を緩めるのも簡単そうですし。ということは、ラフィーナさまも、食べ過ぎてお腹が苦しくなることって、あるのかしら?
さりげなく、あの帯を緩めて食事するラフィーナを想像し、一気に親しみが増してくるミーアである。ミーアの中で、勝手にラフィーナが唯一MNYの友にされようとしていた!
「それにしても、なんだか懐かしくなってしまうわね」
ミーアが心の中で、ちょっぴーり失礼なことを考えていようとはつゆ知らず、ラフィーナは、学園の校舎を見上げながら、ポツンとつぶやいた。
「こうして、セントノエルに来ると、あの日々がとてもかけがえのないものだったんだなと、改めて思わされるわ」
それから、悪戯っぽい笑みを浮かべて、ラフィーナは続ける。
「ふふふ、いっそ居をここに移して住みたいぐらいだわ」
「それは……とても素敵ですわね……ふふふ」
と笑みを浮かべつつ……ミーアの背中をつめたぁい汗が流れ落ちる。
なぜなら、ミーアはベルから聞いていたからだ。
司教帝ラフィーナがセントノエル島に自らの城を建てたということを。
――え、ええと、これは、たまたま、ですわよね? 刻一刻と司教帝が目を覚まそうとしているとか、ラフィーナさまの内なる獅子が今まさに伸びをして立ち上がろうとしているとか……そういうこと、ございませんわよね?
などとちょっぴり震えつつも、ミーアは、ラフィーナに言った。
「さ、立ち話もなんですし、とりあえず、参りましょうか」
二人が向かったのは、懐かしき、生徒会室であった。
用意されている紅茶の香りにて、心を落ち着け、ついでにお茶菓子で頭をスッキリさせてから、ミーアは口を開いた。
「すでに、お手紙でお伝えしていることではございますけど、今回の選挙、わたくしはレアさんを応援するつもりですわ。わたくしが生徒会長として、セントノエルを導く、というラフィーナさまのお考えとは、少し外れてしまったかもしれませんけれど……」
ミーア、そこでチラリと視線を転じる。っと、ラフィーナはかすかにうつむいたまま、
「ミーアさん、私……怒ってるのよ」
静かな声が……響いた。
思わず、ミーア、震え上がる! ああ、やはり、納得してくれていなかったか! 一応、手紙では、応援すると書いただけで、やっぱり、眠れる獅子を目覚めさせてしまったか!?
ミーアの体が今まさに灰と化し、さらさら―っと崩れ落ちそうになった、次の瞬間……。
「私、怒っているの。自分自身に……」
ラフィーナのちょっぴり苦しげな声が耳に届いた。
ミーアは、ハッと目を瞠る。サラサラになりかけていた体が、モチモチのいつものミーア肌に戻った。
「私は、ルシーナ司教への私怨から、ミーアさんを縛ってしまった。ミーアさんは、こんなにもセントノエルの、大陸各国の未来のことを考えてくれたのに……」
それから、ラフィーナは真っすぐにミーアを見つめ、ミーアの手を取って言った。
「さすがね、ミーアさん。ぜひとも、レアさんを生徒会長にしてあげて。私も全力で応援するから」
「ご理解いただけて嬉しいですわ。でも……」
シオンとベルのことを説明して、もしかしたら、負けるかも? と、におわそうとするミーアであったが……。
「レアさんのことは、私も昔から知ってるわ。少し内気な彼女の自信にもなることだし、リオネルさんに勝って、ルシーナ司教の思惑をぶっつぶ……ぶっとば……。うん、頑張って!」
グッと小さく拳を握り、そんなことを言うラフィーナ。その勇ましい応援を耳にして、ミーアはかすかに笑みを浮かべた。
それは、一見すると、任せとけ! という笑み……のように見えて、けれど、よくよく見ると、ああ、まぁ、そうだよね……という諦めの笑みだった。
「……もちろんですわ。ええ、絶対に勝ちますわ!」
勝つしかありませんもの……。と、心の中で付け足しつつ……。
「例の手が、間に合えばいいのですけど……」
ミーアは、静かにつぶやくのだった。