第四十二話 海月の励まし
そうこうしているうちに、デザートがやってきた。
深めの小皿に入ったそれは、ヨーグルトにブレスベリーのジャムをかけたものだった。
早速ミーアはスプーンを手に取り、心持ち、ジャムを多めに絡めたヨーグルトを口に運ぶ。
舌の上で溶けていくヨーグルト、広がるのは優しい酸味だ。そこに、砂糖漬けにしたベリーの甘みが加わり、絶妙なハーモニーを奏でる。
ミーアが特にお気に入りなのは、ジャムがしっかりとベリーの形を残しているところだ。小さなブレスベリーは弾力があり、ヨーグルトとは全く違う歯応えを返してくる。それをぷつん、っと噛んだ瞬間、一転、口に広がるのはヨーグルトとは別の酸味だ。
――うふふ、これは、単純に見えてよく考えられたお料理ですわ。ジャムぐらいでしたら、わたくしでも作れそうですし、そのうち、試してみてもいいかしら。いえ、でも、普通のジャムでは面白くない……となると、やはり入れるのはキノコが無難か……。
などと、ちょっぴりイケナイことを考えてから、ミーアは改めてレアに目を向けた。
「実は、演説の練習の前に、お話ししたいことがございましたの」
これは、少々、話しづらいこと。されど、後になればもっと話しづらいうえ、万が一、ミーアが話すより先に誰かから聞いたりしたら、きっとレアはショックを受けるに違いない。
タイミングは今しかない。
「はい? なんでしょうか?」
きょとりん、っと小首を傾げるレアに、ミーアは手短に、リオネルのこと、ベルとシオンが彼の応援に回ることなどを話す。
暗に、リオネルとレア、どちらが勝ってもミーア的には問題ない状態にあることをほのめかすことで、探りを入れることにしたのだ。
ミーアのミッションは、あくまでも、ラフィーナ及びレアを司教帝にしないことにある。
選挙結果が、レアにどのような影響を与えるのか様子を見てみよう、というわけなのだが……。
「では……ミーアさまが、私を支持する理由は、もう、ないのですね……」
ず、ずぅーん、っと沈んだ顔をするレア。せっかくやる気を出したところだったのに……思わぬ状況に、へこんでいるのだろう。いや、へこんでいるというか……、その瞳に映る色は、もっと暗い感じがした。それは、そう……ちょうど、司教帝とか名乗る悪の帝王は、こぉんな目つきしてるんだろうなぁ! とミーアに確信させるもので……。
「いえいえいえ、わたくしがあなたを支持することに変わりはありませんわ! あなたには生徒会長になっていただきたいと、わたくし心から思っておりますのよ?」
ぶんぶん、っと手を振り、ミーアは言った。それを聞いて、レアが、少しだけ表情を明るくさせる。が……。
「でも……ミーアさまの政策を兄が引き継ぐのであれば、なにも、私なんかを推薦しなくっても……。それに、ミーアさまは誤解されているかもしれませんが、兄は決して悪人というわけではありません。特別初等部を潰そうなどということは言わないと思います。ダンスパーティーの時だって、兄のほうに声をかけていれば、きっと兄は子どもたちのところに行ったはずです」
「ええ。それは存じておりますわ。それでも、わたくしはあなたを推薦いたしますわ」
「それは、なぜですか?」
じぃっと……上目遣いに見つめてくるレア。それを見てミーアは、察する。
――これは、適当なことを言うと、後で面倒なことになる場面ですわ!
そのうえで、ミーアは整理する。現状、しなければならないこと……。それは……。
――万が一、リオネルさんに選挙で負けた時、レアさんが司教帝堕ちしないようにすることですわ。そうじゃないと、ラフィーナさまとダブル司教帝が誕生してしまう可能性も……それは悪夢ですわ!
選挙で負けた時には、できれば、ラフィーナのことにだけ集中したい。ゆえに、レアは選挙で負けたとしても、傷つかないようにしたい。
条件を確認したうえで、ミーアは話し始める。
「そう……ですわね。月並みな言い方になってしまいそうなのですけど……、あなたが投げ出さなかったから、かしら……?」
「投げ出さない……?」
「ええ。そうですわ。これは、わたくしの思い違いかもしれませんけれど、レアさんは、生徒会長になることに、そこまで乗り気ではありませんでしたわね?」
「それは……」
言い淀むレアに、ミーアは構わず続ける。
「別に、否定する必要はありませんわ。わたくしが、勝手にあなたを後継者に推薦した。あなたは、ただ、それに流されただけ、そうではなくって?」
その指摘に、レアは、こくん、と頷く。それから、小さな声で……。
「すみません……」
「あら、なぜ謝るんですの?」
「だって……私には、立派な志なんか、ないから……。ただ流されて、断れないだけで、生徒会長選挙に出てしまいました……。だから……」
「レアさん、それは、別に恥じる必要のないことですわ」
ミーアは、本心から、レアの言葉を否定する。
なぜなら、状況に流されつつ、その中で最善を目指すのは、ミーアの海月戦術そのものであるからだ! 流されて何が悪い? 波に逆らうのは疲れるし、そもそも、流れに逆らったところで、激流からは逃れられないのだ。ならば、滝に落ちる直前で頑張って泳ぐより、滝から落ちた時に滝つぼに落ち込まないようにすることこそが、むしろ肝要なのだ。
「あなたは、与えられた状況の中で最善の努力をしようとした。わたくしから学び取ろうと懸命に努力している。それは、賞賛に値する姿勢ですわ」
そして、それは、かつての自分とも重なる行動でもあった。
あの帝国革命の時期。ミーアは決して、自分で考えて行動はしなかった。ルードヴィッヒに言われたことをこなすように、全力を尽くすことしかできなかった。
状況から逃げられなかっただけ、断れなかっただけ……されど、そこで懸命に努力したことが否定されるわけではない。それは自分と、あのクソメガネの頑張りを否定することだからだ。
「やりたくて立候補した者が職務を勤め上げることは、立派ではあっても、当然のこと。気が進まなくとも、与えられた課題と向き合い、逃げずに懸命に努力する人のほうをこそ、わたくしは評価いたしますわ」
そうして、ミーアはグッと拳を握りしめ、締めの言葉を口にする。
「あなたは、逃げずに課題を乗り越えようと努力している。しっかりと考え、助言を求め、成長しようとしている。立派なことですわ。だから、まぁ、その……選挙で勝てなくっても……」
「ミーアさま……」
「うん? なにかしら……?」
「私は……本当に、このまま、選挙戦を続けていいのでしょうか?」
レアの放った言葉は、思いのほか、重くミーアの耳に届いた。