第九十六話 皇女ミーアの名によりて、それをなせ!
「……それは、穀物を民衆に配る際、ミーア姫殿下のお名前で、それをなせと、お名前を使ってもよいと、そういうことでしょうか?」
ルドルフォンは、久しくなかった感動に身を震わせながら言った。
「そうですわ。ぜひ大々的に、わたくしの名でやっていただきたいですわ」
「感服いたしました。姫殿下」
自らの娘と同い年の、小さき姫の見せた知恵に、彼は驚嘆を禁じえなかったのだ。
ルドルフォン辺土伯は、広い領地をもち、その領民のほとんどは農民。そのことは広く知れ渡っていることである。
それゆえに今までも、農作物の不作などで食料が不足した時には大貴族たちがやってきては小麦を奪っていった。
帝室に献上するゆえに、という名目で、実際には自らの貯えとするために。
彼らは、民が飢えようとも関係ないのだ。
自分たちが飢える可能性があるというのに、民草に食料を配るなど考えられぬこと。そのような常識で大貴族は動いている。
厄介なのは、彼らの大半はそこまで贅沢をしようとは考えていないことである。
確かに民からすると貴族の生活は贅沢ではあるのだが、なにもその贅沢さを維持するために小麦を欲しているのではないのだ。
ではなぜか、といえば、不安だからだ。
不作がいつまで続くかわからない状況、自分たちが飢えないために、できうる限りの食料をため込んでおこうとするのだ。
自分たちの「安心」のために、民を苦しめるのだ。
贅沢ならば咎められる。けれど、飢えぬための備えと言われては、誰も文句は言えない。
そのような状況で、無償で民に食料を配ったりしたらどうなるか? 下手に訴えられれば、帝国に対する反逆と言われかねない状況だ。
それを見越して、ミーアは言ったのだ。
自らの名によって、それをなせ、と。
皇女の命令として、それを行えと。
「大変、ぶしつけなことですが、それは、書面にしていただいても?」
「書面? ええ、構いませんわ。確かにそのほうが安心というものですわね」
と言いつつも、ミーアは首を傾げる。
なにしろ、自分が求めているのは、面倒ごとはそっちでやって手柄だけ自分によこせ、という、ミーアでも多少やりすぎかな? と思うぐらいに都合のいいことだ。
学校に入学させるお礼というから、このぐらいは許されるかな? とは思ったものの、内心ドキドキしていたのだが。
――そこまで下手に出られると、ちょっと怖いですわね。何か企んでいるのかしら?
じっとりと疑いのまなざしで、ルドルフォンを観察するミーア。
――それとも、忠誠心をささげるから厚く取り立ててください、とでも言うつもりかしら?
セロ・ルドルフォンの知識は確かに欲しいが、さりとて慣れ合うつもりはない。
相手は、自らの仇の家、ルドルフォン家である。
――そんなにすり寄ってこられても迷惑ですわ。ここは、きっちりとケジメをつけておく必要がありますわ!
ミーアは、ふんすっと鼻息を荒くして言った。
「誤解がないように言っておきますけれど、セロくんを通わせる学校、大貴族の方が通うような豪華さはございませんわよ? むろん、知識のレベルはセントノエルに劣らぬように手配は致しますが、近隣のルールー族や民衆からも広く生徒を受け入れようと思っておりますの」
だから、お前の息子を取り立てて、立派な名のある学校に入れてやるわけじゃないぞ、と。
しょせんは、お前の家など民衆と扱いは変わらないんだから、調子に乗るな、この野郎……。
そんなメッセージを込めて、ミーアは言ったのだが、
「それは……、重ねてのご配慮、感謝に堪えません」
ルドルフォンは、感動の涙すら浮かべつつ、言った。
――セロが中央の大貴族の子弟に気兼ねなく学べるよう、環境を整えようというのか。しかも、近隣のルールー族と同じ学校に通うことで、かの部族との友好関係にもご配慮いただけるとは……。
正直なところ、ルドルフォンはあまり帝室に好感を抱いていなかった。けれど……、
――私は、忠義をささげるべき方を、ようやく見出し得たのかもしれないな。
腹の奥底からあふれ出す喜びに、その瞳は熱く滲んでいた。
……それを見たミーアは…………、若干引いていた。
――こっ、この人、もしかして、あれかしら? いじわるとか、痛いこととかされると気持ちよくなってしまう方なのではないかしら……?
これだけ突き放しても、なんだか嬉しそうなおじさんを見て、ちょっとだけ怖くなってしまうミーアである。
――ま、まぁ、ティオーナさんの御父上ですし、別に驚きませんけれど……。
なんにせよ、セロ・ルドルフォンを手中に収め、ルドルフォン家の所有する穀物類をも、実質手に入れることができたのだ。
――直接やってきて、大正解でしたわ!
満足げに微笑んで、馬車に揺られつつ帝都に帰還するミーアであった。
……かくて、すべての準備は整った。
運命の大河は新たな流れに移り行き、そして……。