第三十九話 帝国の叡智の勝利
図書室に入って来たリオネルは、眉間に皺を寄せたまま、近くのテーブル席に着いた。
特に本を読む様子もなく、何事か考え込んでいた。
「……ありえない。あの、特別初等部をつぶすなんて……でも。支持をまとめるためには……」
つぶやきつつ、悩ましげなため息を吐く。
「こんにちは、リオネルくん!」
たん、っと机に手をついて、ベルが明るく声をかけた。
「うわぁっ!」
突然のことに、思い切り後ろにのけぞったリオネルだったが……。
「あ、あなたは、ミーア姫殿下の……」
リオネルはベルのほうを見ると、露骨に顔をしかめる。
「なにか、私に用ですか?」
「いえ、なんだか、浮かない顔をしているな、と思いまして。なにかお悩みですか?」
興味津々、身を乗り出すベルに、リオネルは眉根を寄せる。
「なぜ、ぼ……私があなたに話さなければならないと? いえ、そもそも、別に悩んでなどいないですが……」
っと、ベルはすかさず、したり顔で、
「ふっふっふ、決まってるじゃないですか。ボクは、セントノエルの先輩として、後輩の悩みをしっかり聞いてあげないといけません」
などと言いつつも、野次馬根性を隠しきれていないベルである。
「それは……ミーア姫殿下の理屈です。私がそれに従う必要などない」
「いいえ、誰が言ったか、ではなく、言葉の中身で判断するべきです。君は、ミーアおば……お姉さまの言葉が間違っていると思うのですか?」
ベルは実に楽しげに言った。別に、年下の少年を正論で殴るのが楽しい……わけではない。ただ、単純に物のわかっていない後輩に、正しき道を教えるのが楽しいだけだ。ミーアと同じく、ベルも他人に偉そうに教えるのは楽しいのだ。
「次の世代に教えるべきことを教え、次なる世代を担う者としてみなで育てていく。その言葉のどこかに、間違いはありますか?」
再度の問いかけ。リオネルは、うぐぐぬ、と唸りつつ、
「いいえ……。間違っていないと思います」
しぶしぶながら頷いた。
「ふふふ、そうでしょう。ならば、さぁ、この先輩に悩みを話してみてください」
ドヤァッと笑みを浮かべて、ベルが自らの胸をぽふん、っと叩く。
「……ちなみに、今から話すことは、全部、ミーア姫殿下に伝わってしまうのですか?」
ジロリと見つめてくるリオネルにも、ベルは涼しげな顔で首を振った。
「いいえ、黙っていてほしいというならば、黙っています。それが、セントノエルの先輩としての度量です」
そんなベルの様子にリオネルは、半ば呆れたような、諦めた様子でため息を吐いてから、
「まぁ、いいでしょう。もし、あなたが約束を違えれば、そのことで、ミーア姫殿下を責める口実になりますし……」
釘を刺すように言ってから、リオネルは話し始めた。
「実は、選挙のため支持層を固めているのですが……正直な話、改めて、ミーア姫殿下の恐ろしさを実感しています」
それを聞き、ベルはドヤァッと胸を張った。
帝国の叡智、ミーアお祖母さまは、ベルの中で揺るがぬ誇りなのだ。
「なぜ、あなたが偉そうにしているのかは理解に苦しみますが……、ともかく、ミーア姫殿下の影響は巨大です。それは認めざるを得なかった。だから、ミーア姫殿下の支持を受けたレアに勝つために、ミーア姫殿下に反感を持つ層の票を固めるのが、最低条件だと思いました」
「なるほど。考え方は正しいと思います」
極めて冷静にそう評したのはベル……ではなく、いつの間にやらそばにやってきたシュトリナだった。どうやら、ベルよりシュトリナのほうが賢そうだぞ……と判断したかどうかは定かではないが、リオネルはシュトリナのほうにチラリと視線をやってから続ける。
「だから、彼らと積極的に話し合い、彼らの意に沿う選挙公約を作ろうと思ったのです。妥協できない部分はなかったし、彼らの考え方にも一理はあるのかもしれない」
と言いつつも、リオネルの顔には苦悶の表情が浮かぶ。どうやら、なかなかに無茶なことを要求されているらしい。
「……けれど、彼らは言ったのです。特別初等部の存在が、セントノエルの格を貶めている、と。だから、私が生徒会長になったら、それを潰すことを公約にしろ、と……。それだけは……受け入れ難かった」
リオネルは眉間に皺を寄せて言った。
「そのような者たちと、手を取り合って戦うことができるでしょうか? もし、それで勝利できたとして、私は、どうすればいいでしょうか……?」
意外とまっとうな悩みに、シュトリナは感心した様子だった。一方で、ベルは……。
「ふむ…………」
腕組みしつつ唸ってから……。
「ここは、釣りでもしたらいいんじゃないでしょうか?」
「……は?」
思わぬ答えだったのだろう。リオネルが口をポカンと開ける。
「釣り大会、ミーアお姉さまがやりましたけど、あれはとても楽しかった。あれの規模をもっと広げて開催することを公約にするとか……」
「……ふざけているのですか?」
リオネルがムッとした顔で睨んでくる。それから、すぐに肩をすくめて、
「いえ、敵であるあなたに相談した私が愚かでした」
諦めたようにため息を吐く。けれど、ベルは、静かに悟りを開いたかのような顔で首を振った。
「いいえ、ふざけてません。そうですね……一つ、ミーアお姉さまのお話をして差し上げましょう。ラフィーナおば……さま、と最初に選挙で競い合った時のことです。ミーアお姉さまは、当初、公約として『学食の充実』を掲げようとなさっていました」
「学食の……?」
「はい。特にスイーツを……」
「すっ、スイーツの!?」
目を丸くするリオネル。
どうやら、こいつぁ甘い物に弱そうだぞ? と看破するベルである。まぁ、それはともかく……。
「聞くところによれば、ラフィーナさまの選挙公約が完璧すぎて、対抗する公約が思いつかなかったんだそうです。もちろん、賄賂や卑怯な手を使えば勝てる可能性はあったかもしれない。けれど、ミーアお姉さまはそれをしなかった。それをして勝ったところで、意味がないから。今のリオネルくんと、ちょうど同じ状況です」
同じ状況……なのだろうか……? 疑問の余地がないではなかったが……。
「だから、釣りを……? 確かに、レアが完全に正しい選挙公約を出して来たら、その正反対のものは出せない。かといって似たような選挙公約であれば、ミーア姫殿下の支持を取り付けているレアが有利。だからこそ、まったく違う方向の公約にする、と。なるほど……」
顎に手を当て、考え込んだ様子のリオネルに、ベルは厳かに告げる。
それはかつて、廃墟となった帝都で、誇らしく名乗りを上げた皇女ミーアベルの高貴さを彷彿とさせるような、極めて珍しい光景だった。
「卑怯な手を使ったら、リオネルくんは絶対に勝てません。仮に、ミーアお姉さまに勝てたとしても、君は負けるんです」
その言葉に、リオネルは思わず目を見開いた。
「けれど、正々堂々と戦えば、君は大切なものを守り抜ける。そして、選挙でも勝てる可能性がゼロではない。だけど……もし、リオネルくんが正々堂々と戦うことを選ぶなら、その時点で、ミーアお姉さまの勝利なのです」
「……どういう意味でしょうか?」
「リオネルくんが生徒会長として、正しく振る舞えるのであれば、ミーアお姉さまはご自分のことに集中できる。帝国のこと、大陸の、世界のこと……。ミーアお姉さまは、とても多忙なので」
帝国の叡智、祖母ミーアは、いつだってベルの誇りだ。ゆえにベルは、胸を張り、朗らかに語る。
「ミーアお姉さまは、この大陸から飢餓をなくすおつもりです。貧しき者たちに手を差し伸べ、教育を施し、生きていくのに困らないようにしようとなさろうとしています」
「なんと……そのような、ことを……?」
「はい。それは、ミーアお姉さまのされてきたことを見れば明らかなことです」
ベルは一切揺るぎなく自信満々に頷いて……。
「だからこそ、信用できる方に、セントノエルの生徒会長を任せられるなら、それだけでミーアお姉さまにとっては勝利なのです」
そうなのだ。ベルはベルなりに考えていたのだ。
どうして、素直にリオネルに生徒会長を譲ってやらないのか、と。
――ラフィーナ大おばさまとの約束と言うのは、もちろんあるでしょうけど、それだけと言うのは不自然。おそらく、リオネルさんでは力不足だった。だから、もし譲るのだとしても、選挙でリオネルさんが成長した時とお考えなんだ。
「僕が、勝っても負けても勝利する……? それが、帝国の叡智の戦略……?」
ベルの言葉を聞き、ゴクリ、と喉を鳴らすリオネルであった。
 




