第三十二話 ミーアの油断と野菜のケーキ
かくして、選挙戦が始まった。
レアが選んだ戦略は、ミーアの思惑通り、現生徒会の政策の継続だった。
それに対して、ミーアが立候補しないことで、大義名分を失ったリオネルであったが、すぐに軌道修正をかけてきた。
「ミーア姫殿下が、我が妹レアを生徒会長として立てようとしているのは、レアの実力が不足しているからです。そのレアに力を貸す形で、自らの影響力を維持したい、ミーア姫殿下の思惑がそこに見て取れます。このようなことを許してはいけません」
それは、当初の構想であった反ミーアの者たちを支持の中心に置くという基本は変えずに、さらにレアの能力不足をも主張していく形だった。
選挙対策本部として借りた教室にて。ミーアは唸り声を上げていた。
「つまりは、わたくしとの全面対決の感じを崩したくないわけですわね。ふぅむ……」
「ミーアさまの存在は、とても大きいですから、旗印にしたくなるのは仕方ないと思います」
そう話すのは、かつて、ミーアの選挙活動を一番に支えた、ティオーナだった。
「味方であっても、敵として対峙するにしても、使わない手はないです」
「そ、そう……ですのね」
前時間軸で、革命軍を率いた彼女に、そう評されるのは……若干、微妙なところがあるミーアであったが……。
――というか、敵として代表者扱いされた挙句、断頭台送り、などと言うのは、あまり嬉しくないのですけれど……。
まぁ、それはさておき。
「当初の構想にしがみつく、と言えば頑固者のそしりを免れないところだが。一方で、急な作戦変更は混乱を生む。もしそう考えてのことならば、リオネル少年は、なかなか侮りがたいかもしれないな」
腕組みして、シオンが言う。同意するようにアベルが微笑み……。
「そうだね。もっとも、自分自身の構想に固執して全軍を崩壊に招いてしまう、なんてこともあるから、どちらがいいとは一概には言えないが……。ちなみに、レア嬢、君のお兄さんのタイプ的にはどちらだろうか? 考えたうえでのことか、それとも思考停止ゆえの頑固さか……」
突然、話を振られて、レアは、あわわ、っと口を動かした。
「あ、あの、え、えっと……その……」
こんな具合で、レアは、時折、緊張で言葉が出なくなることがあった。ミーアは彼女を落ち着けるように穏やかな声で言う。
「大丈夫ですわ。レアさん。ゆっくり、考えをまとめてからで……。ああ、考えをまとめる時間が欲しければ、お茶菓子など食べながらでも……」
きょろきょろ、とテーブルの上を探すミーアであったが……あいにくと、ちょうど今、アンヌが用意しに行っている時だった。
ごく自然に、お菓子を口に運ぶ流れを作り出したミーア、思わずしょんぼりする。
一方で、レアは目を閉じて考えていたが……。
「そう、ですね。兄は、確かに頭がいいと思います。私よりも、ずっと……。でも、ミーアさまを敵として、支持者を固めるという構想は、父から言いつけられていることだと思います」
難しい顔で眉間に皺を寄せるレアである。
「ふぅむ、噂のルシーナ司教ですわね。以前からわたくしを敵視しているという……。しかし、どこかで、恨みでも買うようなことがあったかしら……?」
基本的に、ミーアは、ヴェールガとは仲良くしていたい人である。自国の教会の神父や、ガヌドスのヨルゴス神父あたりとも友好関係を築けていたはず。
孤児院への寄付や、配慮も欠かしたことはないのだが……。
「知らぬ間に誰かの恨みを買ってしまうということもあり得ますけれど……ふーむ」
っと、唸っていると、レアが慌てて首を振った。
「いえ、その……、ミーア姫殿下を完全な敵として見ている……というのとも少し違うかもしれません。父は、ミーアさまのされたことを褒めていましたから……」
「あら、そうなんですの? それは、意外ですわ」
思わぬ言葉に、瞳を瞬かせるミーアである。
「はい。帝国でされたこと、食料支援の体制作りや、セントノエルでの言葉なども、すべて興味深く、感心して読んでいたように思います」
「ふむむむ……」
ということは、どこかに妥協点が見出せるだろうか……? と、ミーアは首をひねる。
――それに、レアさんのことも気になりますわね。選挙自体には、たぶん勝てると思いますけれど……。
司教帝と言う災厄になってしまうのは、ルシーナ司教でもリオネルでもない。レアなのだ。
ミーアが一番しなければならないのは、レアが司教帝になるのを防ぐことだ。それはなんとしてでも避けたいところなのだが……。
――今のところ、その傾向は見当たらないのですわよね。このままで良いものか、どうなのか。
腕組みしたミーアは、ウームウーム、と唸りつつ、考え、考えて……昼食分のエネルギーが頭脳活動によってすっかり消費されそうになったところで……。
「どうぞ、みなさん。お茶の用意ができました」
アンヌがおやつを引き連れて戻って来た。
「おお……。お待ちしておりましたわ。やはり考え事をする際には、お菓子が必要ですわね。どうもありがとう、アンヌ」
今日のお菓子は、料理長考案の寒月キャロットのケーキだった。寒さに強い冬野菜である寒月キャロットを使ったケーキは、素材本来の自然な甘みを生かしたものである。
フワフワした舌触りもさることながら、やはり、この素朴な味には好感が持てる。
フォークで、すっすっと三口大に切った生地を一口。モグモグした後、ほわぁっと笑みを浮かべて。
「うふふ、やはり料理長のレシピは素晴らしいですわね。どうかしら、レアさん」
「とても美味しいケーキですね」
ニコニコ微笑むレアの顔を見て、ご満悦のミーアである。
「そう言っていただけると嬉しいですわ。やはり、美味しいケーキは誰かと一緒に食べてこそ、ですわね」
良いものを相手に勧めて、喜んでもらうのは、やはり嬉しいこと。ついでに、仮に食べ過ぎたとしても、怒られるのを分散できれば言うことなし! なのだ。
「それにしても、ケーキと言えば、パン・ケーキ宣言を思い出しますけれど、ミーア姫殿下の演説は、すごいですね」
不意に、レアが感心した様子で言った。
「あら、そうですの?」
「はい。あんな素晴らしい内容のことを堂々と人々に声を届けるなんて、私にはとてもできないことです。私、緊張して上手く話せなくなってしまうので」
などと言うレアの言葉を、半ば聞き流しながら、ミーアは思っていた。
――まぁ、とりあえず、レアさんの選挙公約は妥当なものですし。演説をしていただいて、わたくしたちがそれをサポートする。堅実にしていれば、勝てるのではないかしら?
そんなことを安易に思っていたミーアであったが……。