第三十一話 原点回帰を促して
セントノエル学園の生徒会選挙は、全二十日間にも及ぶ長大な儀式だ。
それは、選挙を通し、生徒会長を誰にするか、神の御心を問うための儀式なのだ。
その期間は、厳粛な開会ミサによって始まる。
厳かなオルガンと学園付き神父による神聖典の説き明かし。その後、現生徒会長による開会宣言がなされることになっている。
名前を呼ばれたミーアは静かに立ち上がり、壇上に進む。
みなの視線を一身に受けたミーアは、かつての生徒会長選挙を思い出し、なんとも言えない懐かしさを覚えた。
――うふふ、あの時は、緊張しましたわね。
胸に芽生えた思いを噛みしめながら、
「みなさん、ご機嫌にょ……」
セリフまでも噛みしめた(噛んだ!)。
けれど、そこはミーア。慌てず、騒がず。何事もなかったかのように、続ける。
「……などと、このように挨拶の言葉を噛んでしまうぐらいに、みなさまを慌てさせてしまったのではないかと、わたくし、危惧しておりましたのよ? 次期生徒会長選挙に立候補しなかったことで、みなさまを驚かせてしまったのではないかと心配しておりましたの」
まるで、わざとですよぅ、という笑顔でミーアは言った。
それに合わせて、みなの顔に小さな笑みが広がる。みなをリラックスさせるための、ミーア式のジョークだと思ったのだろう。
「今日は、生徒会長選挙の開会を宣言すると同時に、そのあたりのことも少しだけお話ししたいと思っておりますわ」
一度、言葉を切って、目を閉じてから、ミーアは続ける。
「この大陸に迫りつつあった危機、天候の不順と穀物の不作、それによって起こり得る大飢饉……そして、その対策……。わたくしは多くの方に声を届ける必要があった。いわば必要に迫られて、みなさまに声を届けるために、今日まで生徒会長の座を務めていた、といっても過言ではございません。けれど、その役割ももうおしまい。みなさまには、わたくしの考えを余すところなく伝えることができたと、わたくしは信じておりますわ。ゆえに……生徒会長を、本来の形に戻そうと考えていますの」
それから、静かに目を開けて、ミーアは言う。
「では、本来の形とはなにか? そんなの、決まっておりますわね、そう……ここはセントノエル学園。その役割は教育を施すこと。後継者を育成することが、セントノエルの意義。であれば、生徒会長という役職もまたしかり、ですわ」
ここまでは、生徒会役員に語ったのと同じである。
けれど、ミーアとしては、さらに突っ込んで言っておきたいことがあった。
「わたくしには、この方が次の生徒会長になればいい……という考えはございますけれど、それが受け入れられるかどうかは神のみぞ知ること……。それこそが、この選挙というものですから。ですから、今は誰を推薦する、とは申しませんわ」
ここで、自身が推すレアの名を出すのはルール違反になる。それ以前に、やり方としても、嫌われる可能性が高い。ゆえに、そのことにはあえて触れず、むしろミーアが言っておきたいのはここから先のことだった。
「今、ここに二人の候補者が立てられておりますわ。一人は、ヴェールガ公国出身の新一年生、リオネル・ボーカウ・ルシーナさん。もう一人は、同じくヴェールガ公国出身で、リオネルさんの妹さんである、レア・ボーカウ・ルシーナさん」
名前を呼ばれた双子が、一瞬、驚いた顔をするも、すぐに生徒たちのほうに顔を向け、小さく頭を下げる。
「わたくし、みなさんにお願いしたいことがございますわ。それは、お二人のうち、どちらが選挙で勝ったとしても、先輩として、教え、支えてあげていただきたい、ということですの」
そう……。ミーアは……危惧していた。
レアの能力に関しては疑っていないものの、万が一、失敗した場合、その責任はレアと、彼女を推薦した自分にかかってくる。
それは……できれば避けたい。
できることならば、一年生を生徒会長に推薦するとかいう無茶なことをやらかした自分に……、ではなく、みんなで、分担して責任を取ってもらいたい。ぜひ、そうしたい!
ということで、ミーアは、高らかに言う。
「そんなわけですから、わたくしたちみなで、新しい生徒会長を支えていく。間違いに気づけば、きちんと話し、教える。それこそが、わたくしが、みなさまに望むことですわ。セントノエルの先輩に相応しい働きを、期待しておりますわ」
そう言ってから、ミーアは厳かな声で続ける。
「これより、セントノエル学園、生徒会長選挙を始めます」
さて……ミーアの言葉を聞いた時、在校生たちは、一様に首を傾げた。
なるほど、後継者を育てたい、というミーアの考えはわかった。しかし、それでは、ミーアは、なぜレアを生徒会の他の役職にしなかったのだろうか? と。
それは、誰しもが思うことだった。だって、それが自然な流れだから。
最も、失敗の少ないやり方だから……。
いったいどういうことだろう……? っと、ミサが終わり、教室に帰った後も疑問はくすぶり続ける……かに思えたが、そうはならなかった。
何人かの勘のいい生徒たちが、気が付いたからだ。
「なんだ、お前ら、まだわからないのか?」
訳知り顔の彼や彼女は、思い思いの言葉で、こんなことを言った。
「誰か、他にも生徒会の経験なく、会長の座に就いた者がいなかったかな?」
疑問の答えはすぐに出る。
そう、他ならぬミーア自身がその経験者だったのだ。
であれば……これはどういうことか? そんなの、考えるまでもない。
「ミーアさまと同じ境遇を体験させることで……レアという少女に何かを教えようとしている、ということか」
それならば納得である。その狙いまではわからないが、今までのミーアの実績を考えれば、まさか、なにも考えていなかったはずがない。きっと深い洞察があるに違いない。
そういうことならば、自分たちも協力しよう、と、ほとんどの者たちは一応の納得をすることになるのだが……。
けれど……後に、彼らは気づくことになる。
それは、レアに対しての教えだけではなかったということに。
むしろ、自分たちに対してこそ、ミーアは教えようとしていたのではなかったか? ということに。
卒業し、領地に戻った彼らの多くが、その後の人生でこうつぶやくことになった。
「ああ……そうか。そうだった。確かにセントノエルで、我々は、学んだのだった……」
それは、家臣から、忠言を、時に諫言を受けた時のことだった。
若き領主への遠慮がちな忠言、それを聞いた時に胸に生じかけた小さな怒り……。されど、その瞬間を狙って、まるで自身を咎めるように頭を過ったのはセントノエルでのことで。
そもそも、セントノエルとはなにか? そこは各国の次世代を担う、王侯貴族の子弟を教育する場所だ。
それゆえ、生徒会長の立場はかなりの力を持ち、その分、重責も負うわけだが……されど、学生であるがゆえに、ミスも許されるものなわけで。
生徒間で多少のもめ事が起きたとしても、大目に見てもらえるわけで……。
「生徒会長と、その行動を咎める我らという関係性で、ミーア姫殿下は、仕える者の心を学ばせようとお考えになったのか……。我々が卒業し、爵位と領地を継ぐ時のことをお考えになっていたのか」
レアに進言した者は、その時の気持ちを忘れずに国に帰るだろう。そして、同じように自分が進言を受けた時、きっと思い出すだろう。自分がどんな気持ちでそれをしたのか……。自分たちが新しい生徒会長を、どんな目で見ていたのか、と。
翻って考えるだろう。
自分は家臣たちからどのような目で見られていて、家臣はどのような気持ちで、この進言をしているのか、と。
彼らは、そうして思い知るのだ。
ミーアが成そうとしたことの意味を。
すなわち、あの生徒会選挙は、本当の意味で「大陸の次世代を担う王侯貴族を育て上げるための策」すなわち、セントノエル学園を原点回帰へと向かわせるための策であったのだ、ということを。
同時に、彼らは思うのだ。
何度でもあの場所に帰ろう、と。
セントノエルでの日々は、あそこで学んだ多くのことは……すべて、人の上に立つうえで大切なことなのだから。
あの帝国の叡智が、そう教えようとしたことなのだから、と。