第三十話 聖なる俗物
さて、所変わってヴェールガ公国の公都ドルファニア、公爵邸の私室にて、ラフィーナは、ミーアからの手紙を読んでいた。
ウッキウキで手紙を受け取ったラフィーナは、当初、ミーアが生徒会長の座をレアに譲ろうとしていることに困惑した。
けれど、詳しく読んでいくと、その将来を見越したミーアの考えには、唸らざるを得なかった。
さらに、手紙の文面「ラフィーナさまと、わたくしたちが築いてきた、セントノエルの良き慣習を次世代に受け継ぐ」の文面に、彼女は深く心を打たれた。
「ミーアさんが、そこまでセントノエルのことを考えてくれていたなんて……思いもしなかったわ……」
セントノエルの生徒会長の立場への深い洞察はもとより、自分との学生生活を、そんなに大切に思っていてくれたなんて、思いもしなかったから……。
不覚にも感動してしまったラフィーナは、軽く目元を押さえた後……おもむろに立ち上がり!
「こうしてはいられないわ。やっぱり、私もセントノエルに……!」
「ラフィーナさま……」
ふと見ると、部屋付きの、老齢のメイドがこちらを見つめていて……。
「残念ながら、そのお時間はございません。村々を回る回遊聖餐の儀が迫っておりますから」
そう……割と忘れられがちなことかもしれないが、ラフィーナはヴェールガ公爵令嬢である。聖女と呼ばれる、立場ある人なのである。
卒業後の彼女を待っていたのは、ヴェールガ国内のいくつかの村を回り、人々と共に聖なる食卓に着く、回遊聖餐の儀であった。
数年に一度行われるその儀式は、人々に神の祝福を確認してもらうための、象徴的な儀式。それは、各地の孤児院や救護院の視察を兼ねた、とても大切な仕事だとわかっているのだが……でも……。
「ミーア姫殿下ならば、なにも問題ないでしょう。ラフィーナさまの、大切な親友なのでしょう?」
「それは……そうだけど……そうなんだけど……」
おずおずと、椅子に腰を下ろして……。
「それよりも、ラフィーナさま、例の肖像画のコンペの件ですが……」
っと言われ、ラフィーナの笑顔が引きつる。
そうなのだ、ラフィーナがミーアの手紙に目を通していたのは、気が進まない仕事が待っていたからなのだ。
「そう……また、今年も、アレの季節がやって来たのね」
聖女ラフィーナの肖像画は、毎年、ヴェールガ公爵家付きの何人かの画家によってデザインが決まっている。そのデザインをもとに、同様の肖像画が複製され、さらには版画も作られて、大陸の各地に広まっていく。
なかなかに、ラフィーナの忍耐力が試される行事である、のだが……。
「今年は、新人の画家が加わり、デザインにもかなりのバリエーションがあるようですね」
「新人の……ああ。確か、女性の方だったわね……」
「はい。シャルガールと言う女性画家ですね。かなり腕が良いらしく、仲間内での評判も良いようです」
「そう……。良い絵ができるといいですね」
涼やかな笑みと同様に、あんまーり熱量の感じられない涼しい声で言うラフィーナであったが……その、件の肖像画を見た時には、さすがに唸らざるを得なかった。
いや、唸るというか……呻くというか……。
おおぅ……っと、思わず、小さく息を吐きラフィーナは、
「……こっ、これは…………ええと、なっ、なに……かしら?」
震える声でつぶやいた。
「ラフィーナさまの勇ましさをイメージしたものだそうで……」
「そう……私の……勇ましさ?」
そうかー、勇ましさかー、そんなに勇ましいつもりはないんだけどなぁー! と思いながら、ラフィーナは改めて肖像画を眺めて……くらぁっとした。
「ええと、この……やたらと派手で、奇妙な衣装は、いったいなにかしら?」
その肖像画は、構図としては一般的(一般的?)なものだった。
よくある、ラフィーナが邪悪な悪魔を滅する図であった。
それは、まぁ、いい。いや、よくはないが……実際問題、ものすごーく凶悪そうな怪物を踏みつぶす自らの図を見るのは、精神的になかなか削られるものはあったが……、まぁ、慣れていると言えば慣れている。
問題は、ラフィーナの服装であった。
膝より少し上でひらりん、と揺れるスカート。その色は、珍しい桃色だった。
その上のシャツも同じハデな色で、さらに肩の部分は半分透けている。
腰には、宝石がいくつも組み込まれた大きめのベルト、髪型は頭の両側で結ばれた、ミーアのメイドアンヌのような髪型で、しかも、どでかいリボンがつけられている。
さらに、その手には謎の武器……武器? ヘンテコなステッキ状のものがあった。そのステッキの先端からはキラキラと七色の光が放たれていて……。
そして極めつけは、なんだか、全体的にやたらキラッキラしていた。こう、見る角度によって、色合いが変わる感じのキラッキラだった。
「なんでも、独自の絵の具を使っているらしく……」
「そう……それは、ものすごい技術ね!」
ヤケクソ気味に言えば、
「はい。ものすごい技術です」
メイドが極めて冷静な口調で返す。けれど、その目には、どこか同情の色合いが見て取れた。
ものすごーい技術で、キラッキラに描かれた自分の姿を眺めながら、ラフィーナは実に嫌そうな顔をして……。
「これ、絵も……とても、上手いと思うわ」
「はい。このラフィーナさまの表情とか、体のバランスなどは、ラフィーナさまそのもののように見えます」
「他のデザインより……圧倒的に出来がいいように見えるわ」
「そうですね。並べれば、この絵の勝利は揺るがないかと……」
「ちなみに……お父さまは、この絵、どう思われるかしら?」
「オルレアン公は、ラフィーナさまの美しさをいかに表現するかにしか興味がない方ですから……」
つまり、父のもとに持ち込めば、自然と、今年の肖像画のデザインはコレになってしまうだろう。
「では、お母さま……は……特に何も言わないでしょうね」
ラフィーナの母、ヴェールガ公爵夫人は、少し変わった人だった。
世間的には、聖女の母に相応しい無私の聖人として捉えられている母であったが、娘のラフィーナの見解はいささか異なる。
母は、聖なる俗物だ……というのが、ラフィーナが母に抱く印象だった。
ラフィーナの母は、定期的に国内のいろいろな村々を回る。そこで、人々の仕事を手伝ったり、不足がないか聞いて回ったり。時に家族を失った人と一緒に泣き、落ち込む者を励まし、対立する者の仲裁をする。
彼女の行動によって多くの人々が救われ、生きる希望を取り戻す、それはまさに聖人の所業だった。
そして……彼女は決して、決して! 報いを受け取ろうとはしなかった。
お礼でお金を渡されても受け取ろうとはしないし、ご馳走を自分に供してくれても、自分のお供や食べ物を作ってくれた人、あるいは、道行く子どもにあげてしまう。
彼女が受け取るのは必要最低限だけだった。なんだったら、場合によっては、身分や顔を隠してまで、善行を成さんとする徹底ぶりであった。
幼い頃、ラフィーナにはそれが不思議でならなかった。だから、ある日、聞いてみたのだ。
「お母さまは、なにゆえに、そんなふうに無欲に善いことができるのですか?」
それを聞いた母は、優しい……慈愛に満ちた笑みを浮かべて……。
「天に宝を積むためよ。決まっているでしょう」
こんなことを言った。
「地上で蓄えた宝は、盗人に奪われ、朽ちる。そんな不確かな形でしか働いた報いが受けられないなんて、面白くないでしょう?」
もしも、良い行いをし、その報いを人々から受け取ってしまったら、話はそこで終わりだ。行為があり報いがある。完結してしまう。
けれど、もし、誰にも知られず良い行いをし、報いを受けることがなければどうなるか? その行いは、決して無為にはならない。なぜなら、天の神がそれを見て報いを与えてくれるからだ。
それは、中央正教会の基本的な教理であり、母の行動の原点にあるものだった。
「本当はね。溢れる愛ゆえに、無償でやってます、とか言いたいのだけれど、私にはそんなに愛はない。ただ働きなんて御免だって思ってしまうし、お礼を言ってもらわないと、満足できない。私は、弱くて俗っぽい人間なのよ」
彼女は、悪戯っぽい笑みを浮かべて……。
「だからね、私は不満が積もらないように、報いは全部、後で神さまからもらうことにしているの。私が死んだ後、神さまから今まで積んだ分の報いをすべて受け取るの。私は、死んだ後に始まる永遠の日々のために、天に城を建てようと思っているのよ」
意外にも俗っぽい母の言葉に、当時のラフィーナは圧倒されたものであった。
ちなみに、それでは、なぜ、城を建てようとしているかと聞けば……。
「もちろん、天に宝を積めずに、身一つで天国に来た人を泊めて上げるためです。誰しもが聖人ではないのですから……」
などと答えたりするものだから、ただの俗物とも言い難い、なんとも言えない風格の持ち主であった。
ともあれ……である。
少し変わっていて、大変、おおらかな人でもあって……割と細かいことはどうでもいいと考えがちな人であることは確かであった。
だから、娘の肖像画が、ちょっぴりキラキラしてて、その服が珍妙なものであったとしても……。
「あら、綺麗ね。素敵じゃないかしら?」
ぐらいで、流したりするのだ!
まぁ、さすがに、人魚姫Verの時には、
「んー、少し露出が多すぎるわね。お腹とか出てるし……。これは描きなおしたほうがいいでしょうね」
と意見してくれたので、娘のことを気にしていないわけではないのだ。きちんと、言ってくれるのだが、その動き出すまでがとても長いというか……。
ラフィーナは、その肖像画をジッと見て、母が止めてくれるかどうか大いに検討した後……。
「このぐらいなら……オーケーを出してしまいそうだわ。お腹も、出てないし……」
この肖像画の恥ずかしさは露出の問題ではない。この、過剰にキラッキラした、珍妙なデザインのせいなのだ。
いや、よくよく見ると服装だけじゃなく、この髪型も微妙に恥ずかしいような……。
「ちなみに……もう少し、こう、全体的に抑え目な、普通なデザインには……」
「どうも、フィーリングに身を委ねるタイプだとのことで……筆が赴くままにしか描けないとか……」
「そう…………」
ラフィーナは、大変、悩ましげな顔をしてから……。
「ええと、私としては、この……最初のやつ……あの『スペシャルレア天使バージョン』のが、気に入りました。やはり、人々もあまり斬新なものより、恒例のもののほうが気に入るのではないかしら?」
かくて、ラフィーナの意向を受けて、今年の肖像画のデザインは決定するのであった。