第二十九話 成長の機会……誰にとっても
「あら、あなたは、リオネルさん。ご機嫌よう」
スカートの裾をちょこんと持ち上げるミーア。
「これは、ご丁寧に。ご機嫌麗しゅう、ミーア姫殿下……」
胸に手を当てて、丁寧に頭を下げるリオネル。であったが、すぐに、
「それで、いったい、これはどういうことなのでしょうか?」
満面の怒りを湛えた顔で噛みついて来る。が……。
――あら、しっかり挨拶を返した後に……ふふふ、意外と律儀な方ですわね、リオネルさん。
怒りの表情で睨んでくるリオネルであったが、セントノエルに入りたての子どもに睨まれたからと言って、どうということもなし。
革命軍やら、怒り心頭の民衆に責め立てられたこともあるミーアである。その程度の怒気など、涼しい笑顔で返せるようになっているのだ。
――というか、この子、そもそも、司教帝にもなりませんし……。
などと思ってしまえば、むしろ、レアのほうが警戒に値するわけで……。
余裕の態度で、リオネルに対峙するミーアである。
「説明してください、ミーア姫殿下。なぜ、妹が……レアが生徒会長に立候補などと……っ!」
っと、その目がレアのほうを捉える。
「レア、どういうことだ、これは……」
厳しい声でリオネルが言う。それを聞き、レアがビクンッと肩を震わせ……。
「兄さん、あの……、これは、その……ごめんなさい。私……」
などと、あわあわするレア。そんな彼女を庇うように、ミーアは一歩前に出ようとして……。
「あらぁ、駄目よぅ。そんなふうに、妹をいじめたらー」
声を上げたのはオウラニアだった。頭一つ小さいリオネルを見下ろして、オウラニアはニッコリ笑みを浮かべる。
「レアさんは、一応、ミーア姫殿下の弟子のようなもの。ということは、私のー、妹弟子みたいなものなんだからー、いじめるのは許さないわー」
「……どなたでしょうか?」
眉根を寄せ、不審げな顔で睨んでくるリオネルに、オウラニアはのんびりとした笑みを浮かべる。
「お初にお目にかかるわねー。リオネル殿。私はー、オウラニア・ペルラ・ガヌドス。ガヌドス港湾国の王女よー」
胸を張り名乗るオウラニア。不審げな目で見ていたリオネルだったが……その名を聞いた瞬間、
「ああ、あなたが、ガヌドスの釣り名人と噂の!」
うわぁっ! と、小さく歓声を上げた。
「サンテリさんから聞いています! 今度、ぜひ、一度、釣りの腕前を拝見できればと……できればと……はっ!」
っと、そこで何かに気付いたような顔で、ミーアのほうに視線を向け、咳ばらいを一つ。それから、しかつめらしい顔をする。
――ふむ、リオネルさん……案外、面白い子なんじゃ?
思わず、まじまじと観察してしまうミーアであったが……。
「ミーア姫殿下、あなたは……なんて、残酷なことをさせるんですか?」
「残酷……はて? なんのことですの?」
突然のことに、ミーアはきょとん、と首を傾げる。
「生徒会長になりたくば、実の妹を打ち負かせ、と言うことでしょう? そのような嫌がらせをせずに、素直に生徒会長の座を譲ってくださればいいのに……」
「それは、聞き捨てなりませんわね。リオネルさん、あなたは、ご自分が勝てるつもりでいるのかしら? レアさんのことは、ただの嫌がらせでしていると? 超えるべき、ちょっとした壁でしかないとでもお思いかしら?」
「なんですって?」
っと、眉を跳ねさせるリオネルに、ミーアはニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「ぼっ、いえ、私が……あなたならばいざ知らず、妹に負けると……そう言うのですか?」
「かもしれない……という話ですわ。結果が出るまではわからないでしょう? 選挙なのですから」
ミーアの言葉に、馬鹿馬鹿しい、と、リオネルは首を振る。
「私は負けません。負けるわけがない。確かに、レアと私は双子ですが……父上は、私に、セントノエルの生徒会長になれ、と言ってくださいました」
「あら、お父さまの言葉が……あなたが勝つ根拠なんですの?」
そう問えば、リオネルはスッと背筋を伸ばして頷く。
「そうです。父が、間違うはずがありませんから。私はただ、その期待に応えるだけです」
「そうかしら? あなたのお父さまだとて間違うことはあるのではないかしら?」
「父に限って、そのようなことはありません。それに、親を敬うは人として当然の理。そのように疑うなど、とんでもないことです」
「あら、敬うのと、何も考えずに従うのとは違いますわよ? そもそも、あなたの尊敬するラフィーナさまだって、時にはお父上のやり方が間違っていると異議を唱えていたはずですわ」
具体的には、肖像画とかについて……っと心の中でこっそりと付け足すミーアであるが……。
「なっ! ら、ラフィーナ、さまが……?」
リオネルは、がーんっ! っと衝撃を受けたように後ずさる。
ミーア、それを見てなんとなく思う。
――この子、よく見ると表情がコロコロしてて、面白いですわね。
リオネルは、再び咳払いしてから、
「……レアには生徒会長なんか、できやしませんよ。双子の兄の私が一番知ってる」
その言葉に、レアは、しゅんと肩を落とすが、ミーアは静かに首を振った。
「リオネルさん、こんな言葉を聞いたことはないかしら? キノコの森に、三日足を踏み入れずば刮目して見よ、と」
「……どういう意味でしょうか?」
不審そうに眉を顰めるリオネル……とレアとオウラニア。
構わず、ミーアは言った。
「キノコは、三日もあれば大きくなる。人もまた同じことですわ。人は、成長するのですわ、リオネルさん。そして、ここは、セントノエル。学び、成長する場所ですわ。どなたにとっても、ね……」
そうして、ミーアは静かにリオネルを見つめる。お前がレアの何を知ってるのか知らないが、彼女だってこれからぐんぐん成長していくんだぞ、この野郎……! という想いを、その眼光に乗せて……。
「成長……」
「ええ。そうですわ。これは、成長の機会である……とわたくしは思っておりますわ。そして、わたくしは、ラフィーナさまの想いを継いでおりますの。だから、これはラフィーナさまのお気持ちと同じであると言ってしまっても、間違いはないはずですわ」
ちょっぴりラフィーナの威を借りつつ、力強く言うのであった。