第二十八話 ミーアは言う。怠惰を言い訳にするな、と。
さて、翌日、早速ミーアはレア……とオウラニアを引き連れて、セントノエル内を歩き回っていた。生徒会長候補として、必要なことをみっちり教え込むためである。
……ちなみに、オウラニアのほうはと言えば、どうも弟子一号として、レアの存在を看過できなかったらしい。
『自分が知らないところで、ミーア師匠が誰かに何かを教えているだなんて、許せないわー』
などとつぶやきつつ、なにげないふうを装ってついてきていた。
その姿は、こう、なんというか、どこかの聖女に似たところがないではなかったが、まぁ、それはともかく……。
「それで、レアさん、公約のほうは、もう出来上がったかしら?」
ミーアに話しかけられて、レアがビクンっと肩を跳ねさせる。それから、申し訳なさそうに肩を落として……。
「それが、その……。まだ、糸口も見つからなくて……」
「ふふふ、そんなに肩を落とす必要はございませんわ。はじめはそんなもの、わたくしだとて、似たようなものでしたわ」
かつて、食堂のメニュー改善を公約に掲げようとした日を思い出し、ミーアは静かに笑う。
「覚えておくとよろしいですわ。レアさん。一人ですべてをやる必要はどこにもないのだと……。自分でできぬことがあれば、誰かの力を借りればいいだけのことですわ」
ミーアは、人差し指を振り振り、大変偉そうに言った。
「それで、良いのでしょうか? それは、怠惰になってしまうんじゃ……」
「ふむ、怠惰…………」
痛いところを突かれて、思わず黙り込むミーアであったが、すぐに首を振る。
「それは、考え方が逆ですわね……」
「考え方が……逆?」
「ええ、そうですわ。まず、第一に言っておきたいのですけど、すべてを一人でやろうとするのは高慢というものですわ。だって、そんなことできるはずがありませんもの」
ミーアの言葉に、うむうむ、っとなぜか偉そうに頷くオウラニア。一方のレアは、少し驚いた様子だった。が、構わず、ミーアは続ける。
「そして、そのうえで、怠惰になることは、もちろん戒めるべきことではありますけれど、それ以上に大切なことは、自分が怠惰になっても機能する体制作りですわ」
「怠惰に……なっても?」
「そうですわ。上に立つ者が怠惰になったとしても結果が出せることこそが、肝要ですわ。なぜなら、人とは、時折、怠惰になってしまうものなのですから」
時折と言わず、いつでも怠惰で、GNYりしていたいミーアは力強く主張する。
「なにかを失敗した時、もっと自分が頑張っておけば……などと言うのは一つの自己陶酔に過ぎませんわ。頑張るのは当然としても、自分が頑張れなくても上手くいくように体制を整えることこそが真に必要なことですわ。なにしろ、わたくしたちは、時に失敗の許されぬ立場。自分が怠惰だったから、などと自分を責め、自己満足に立ち止まるべきではありませんわ」
「怠惰だと、自分を責めるのは……自己満足」
小さく喉を鳴らすレアに、静かに頷き、それからミーアは優しい笑みを浮かべる。
「ですから、肩の力を抜いて大丈夫ですわ。セントノエルには、レアさんが多少サボったとしても、きちんと手助けしてくれる人たちがたくさんいるのですから」
そう結んで、ミーアはふと食堂の前で立ち止まる。
「公約作りで悩んでいるということでしたけれど、現状の、このセントノエル学園を見て、問題点を把握し、その是正を訴える、という基本はわかっておりますわね?」
「あ、はい。それは、もちろん……」
「では、外のことはどうかしら? この大陸の、各国の様子を見て、なにか思うことはありますかしら?」
「国々の様子……ですか?」
「ええ、そうですわ。ここは、国を統治する王侯貴族の子女が集まる場所、セントノエルですから、より広く、世界を見渡す視野が必要ですわ。例えば、生徒会にいるクロエさん、ラーニャさん、ティオーナさんなどは、食料や流通に通じている。なぜ彼女たちを生徒会役員に選んだのかといえば、現在、大陸を襲っている農作物の不作が大きな理由ですの」
「大陸の問題解決のために……詳しい人を生徒会に……」
「ええ、そのとおりですわ」
ミーアは惜しげもなく、レアに生徒会のことを教え込んでいく。それこそが、未来の自分を楽にすることだと、ミーアの直感が告げているためである。
次に、ミーアは特別初等部の教室にやってきた。
ちょうど、ユリウスが教壇に立ち、基礎算術を教えていた。
まかり間違って、こちらに質問が飛んでこないよう、気配を消して子どもたちの姿を見守っていると……レアが囁くような声で言った。
「あの、ミーア姫殿下は、なぜ、特別初等部をセントノエルに作ろうとされているのですか?」
「え? あ、そうですわね……。ちなみに、レアさん、あなたは、蛇のことはご存じなのかしら?」
「え……蛇?」
きょとん、と首を傾げるレアを見て、ミーアは、ふむ、と頷いた。
――まぁ、レアさんもまだ子どもですし。混沌の蛇のことを知らされていなくても、不思議はありませんわね。
腕組みしてから、ミーアは話し始めた。
「わたくしたちは、民が安らいで生きるため、秩序を守らなければならない。そのことは、ご存じですわよね」
「神の与えた権威を持って秩序を維持し、それにより民の安寧を守れ、ですね。神聖典の『王族』に対する教えです。『民』は王が神に従う限り忠節を尽くせ。それが己が幸せのためである。なぜなら、その権威は神からきているのだから、と対を成す教えです」
神聖典をそらんじてみせるレアに、ミーアは、難しい顔で頷いてみせる。
ちなみに……ミーアはそれが神聖典に書かれていることなど、まったく知らなかった。
ミーアがそれを知っていたのは、ひとえに、前時間軸のルードヴィッヒの言葉によることだった。
革命の前夜、帝国が飢饉に襲われていた時代……。
ミーアに求められた役割は、学ぶことではなかった。
他国との外交や、商人たちとの交渉のために、言われた通りに行動する操り人形の役割さえ果たしていれば、それで足りる状況。むしろ、国の破滅を目前に、学ぶことなどなんになろうか?
されど……ルードヴィッヒは、そのような状況においても、教えることを諦めなかった。
それは、危機を乗り越えた先、ミーアが帝位を継いでも良いように、と考えたからだ。
彼は先を見据え、希望を捨てることなく、ミーアに教え続けたのだ。
その努力は断頭台により潰えてしまったかに思えたが……決してそんなことはなかったのだ。
ミーアの無意識化に刻まれた、厭味ったらしい言葉は種となり、今この時、花を芽吹かせつつあった。
「最も貧しく力なき者たちに、希望を与え、秩序のもと生きることの大切さを教える。それは、わたくしたち、統治者の義務だとわたくしは思いますわ」
ポケットに入れた眼鏡にこっそり手を当て、その権威を借りつつ、厳かに言うミーアである。っと、
「ミーア姫殿下! これは、どういうことですか?」
その時だった。
ミーアたちのもとに小走りに近づいて来る少年の姿が見えた。