第二十六話 あなただけ……あなただからこそ……
「えぁ……へ?」
口をぽっかーんと開けるレアに、ミーアは優しい笑みを浮かべてみせる。
――これは、我ながら妙手でしたわね。
などと、腹の内で自画自賛しつつも。
「わっ、私を、生徒会長に……?」
「ええ、そのとおりですわ!」
かつて、シオンに「生徒会長やったらいいじゃん!」とプッシュした時と同じ……否、それ以上の熱心さで、ミーアはプッシュを始める。
「セントノエル学園の生徒会長というのは、大変な重責が伴うもの。それゆえに、しっかりとした方にやっていただきたいと、わたくし、思っておりますの」
「そっ、そんなっ! 私、しっかりなんかしてません。無理。無理です。あ、兄なら、リオネルなら……」
「いいえ、それでは、駄目ですわ」
瞳を閉じ、断固たる様子で首を振るミーア。
なにせ、ミーアは直々にラフィーナから厳命を受けているのだ。リオネルを叩き潰して、ルシーナ司教の鼻を明かせ、と……。
獅子の笑みを浮かべるラフィーナを思い浮かべ、思わず、ぶるるっと体を震わせるミーアである。
――ラフィーナさまのご意向は、大前提。絶対的に重視すべきことですわ。
「でも、無理です。私は……」
なおも首を振るレア。ふと思いつき、ミーアは口を開いた。
「あ、もしかして、お兄さまの選挙の手伝いをしろ、とでも言われてるのかしら?」
「いえ……。それも必要ない、と言われています。私にできることなどないから、と……」
そう答え、レアは少しだけ寂しそうにうつむいた。
彼女は、紛れもなく父に……ルシーナ司教に選ばれなかった者であった。
――そう。それこそが、まさに重要ですわ!
ミーアは満足げに頷く。
ルシーナ司教の鼻を明かすためには、彼が思ってもみない人物を生徒会長につけねばならない。その点、レアは誠に好都合な人材と言えた。
ヴェールガ側には、自らが権力を欲していないことをアピールしつつ、ルシーナ司教の鼻を明かす。さらにラフィーナには、後進の育成という、かつてラフィーナがしたのと同じことをしようとしているのだ、とアピールすることができる。
――もっとも、ラフィーナさまには、きちんとお手紙を出してご理解を求める必要があるかもしれませんけれど……。
さらに、レアを推薦するにはもう一つの理由があった。言うまでもなく司教帝のことである。
「どうして……なぜ、私を推薦しようとなさっているのですか?」
困惑した様子でレアが言う。いかにも気弱で、おどおどした様子で問うてくる。
さすがに「いや、あなたが司教帝になりそうだから……」などと言えるはずもなく、ミーアはあらかじめ用意していた言い訳を披露する。
「あなたは、特別初等部の子どもたちにダンスを教えて欲しいと言った時に行ってくれましたわね。あれが大きな理由ですわ」
「え……?」
「嫌な顔一つせず、何の躊躇いもなく子どもたちにダンスを教えに行ってくれましたわ」
多少は躊躇っていた感はあったが、あえて無視して言い切る。
「あ、いえ、あの時はその……、パーティーのほかの方たちとダンスをするのが怖かったから……」
「しかし、子どもたちは怖くなかったんですの? あの子たちは、各国の孤児院で育った。あまり素性のよろしくない子だっているし、盗人まがいのことをしていた子だっておりますのよ?」
その問いに対しては、レアは静かに首を振った。
「生きるためには仕方ないことではありませんか。それに、ミーア姫殿下は、子どもたちに罪を犯された者こそが悪い、とおっしゃって、あの子たちを庇われたとお聞きしていますが……」
「別に、特別なことを言ったつもりはありませんわ。あなたも同意してくださると……、あなたは、そのような方であると、わたくしは見込んでおりますわ」
この理屈は、いささかズルいものであった。これはヴェールガの貴族なら、司教の娘ならば、否とは言いづらいことではあった。おそらく、リオネルに言っても頷くことだろう。
案の定、レアは……。
「それは……まぁ……」
遠慮がちに頷いた。それを満足そうに眺めてから、ミーアは続ける。
「けれど、リオネルくんは、彼らの存在を知っていても行かなかった。パーティーに慣れていなかった子どもたちのもとに駆け付けることはなかった。あなたを手伝おうともしなかった。無論、彼には彼なりの事情があったのでしょうけれど……」
社交界の華やかな場が苦手なだけ、とレアは主張する。それは、たぶん事実だろう。
特別初等部の子どもたちの相手のほうが気楽だった、苦手な場から逃げるための口実に過ぎなかった、と言うのも、おそらくは本音で、事実なのだろう。
だが……ミーアはあえて、レアに言う。それも一つの美点ではないか……? と。
「わたくしは、貴族の子女とのダンスより、特別初等部の子どもたちのことを親しく感じる、あなただからこそ、生徒会長をしていただきたいと思っておりますの」
「でも……だからといって、それで生徒会長の任が務まるとは限りません」
なおも首を振るレア。その肩にそっと優しく手を置いて、ミーアは言った。
「大丈夫。あなたならできますわ。できないところは、わたくしたちがサポートしますし」
サポートしながらも万が一、司教帝の兆候が現れれば、その都度、矯正する。万全の態勢に、ミーアはニヤリとほくそ笑む。
――ふっふっふ、考えれば考えるほど、完璧な態勢。我ながら見事ですわ。
「いえ、でも、やっぱり私には無理です。ラフィーナさまやミーア姫殿下のような振る舞いは、私には……」
「いいえ、できますわ。必ず」
きっちりと言いきる。そう、ミーアには根拠があった。
ミーアはレアの能力を知っているのだ。なぜなら、レアは司教帝として、ヴェールガ公国を手中に収めたからだ。
――あのラフィーナさまを追い出して、自分が国の頂点に就くなど、かなり高い能力を持っているに違いありませんわ。
ルードヴィッヒの日記帳を読む限り、レアが担ぎ上げられたただの神輿、という感じはしなかった。むしろ、レアは自分からラフィーナらを追い出し、その地位を簒奪している。
やったこと自体は決して褒められたことではないが、無能者にできることでもない。
であれば、その「能力」は十分に信用に値するはずである。ゆえに……。
「あなたができないと思っているのは、おそらくは今日までの自分の経験からのこと。されど、ここはセントノエル。学び、自らの能力を高める学園です。あなたが今日できなかったことだとて、明日にはできるようになるかもしれない。経験を積んだ一年後、二年後にできるかもしれない」
それは、以前、アベルを励ました時と同じ論理だ。そこに、ミーアは一つの要素を付け加える。それは……。
「だからこそ、わたくしは、あなたが今立っている場所は問いませんわ。あなたが目を向ける方向にこそ、わたくしは興味がございますわ」
「私の……方向……?」
「そう。進んでいく方向ですわね」
静かに、穏やかに、言う。
能力のほうは、おそらく申し分ないはず。であれば気にすべきことはなにか?
彼女の成長していく方向である。
――セントノエルでたくさん学んで、力を伸ばして、悪の司教帝にまっしぐら! などと言うことになられてはたまりませんわ。だからこそ……。
ミーアは穏やかな笑みを浮かべて言った。
「特別初等部の子どもたちと真摯に向き合い、彼らを守るために庇護するために行動すること。その思いを大切にしてくださるあなたであれば、間違うことはございませんわ。大丈夫」
確認するように、意識に刷り込むようにミーアは言う。
特別初等部の子どもたちにも優しくすること。
決して、あれを解散させようとか、思わないこと。
飢えた民を気遣い、きちんと食料を分け合うこと。
伝えたいことは山ほどあるが、それは追い追いでも構わないだろう
「でも、あの、えっと……」
目を逸らし、言葉を探す様子のレア。そんな彼女を見て、ミーアは察する。
――この方、実に押しに弱そうですわ!
であれば、ミーアは前に進むのみだ。土俵際に追い込むべく、前へ、前へ!
自分ファーストに、相手の事情など一切鑑みずに、ミーアはずずいっと前へ。前へ!
「大丈夫、大丈夫。怖いことなんか、まーるでありませんわ。わたくしたちがついておりますから、ね?」
そうして、にっこーり、悪い笑みを浮かべ……。
「大丈夫、大丈夫」
「大丈夫……? なのでしょうか……?」
「ええ、大丈夫ですわ。ぜんっぜん怖いことなんでないですわよー? うふふ、レアさんなら、必ずできますわ。むしろレアさんにしか、できないことですわ!」
あなただけに、あなただからこそ……っと、いささか詐欺師めいたことを言い、優しい笑みを浮かべるミーア。その顔は、若干、こう……胡散臭いものであったが……。
「私にしか……」
レアは、コクリと喉を鳴らして、
「わ、わかり……ました」
小さく頷くのであった。