第二十四話 目覚める、海月馬!
さて、入学にまつわるもろもろの行事が終わると、いよいよ、選挙期間へと突入である。
生徒会室にこもったミーアは、そこで公約の草案を練っていた。のだが……。
「ううむ……うううむ……」
眉間に皺を寄せ、ミーアは唸る。彼女は、未だに方針を決めかねていた。
――もう、いっそのことリオネルさんに、生徒会長の座を譲ってしまうのがよろしいのではないかしら……?
そんなことすら思ってしまう。
ベルの存在は、すでに明かしてあるのだ。彼女が消えてしまうかもしれない、と言えば、反対はされないだろう。
……ただ、不安もある。レアが司教帝になった、その経緯である。
――ルードヴィッヒの日記帳には、あくまでも、今回の選挙以降、ヴェールガとの緊張関係が大きくなる、という視点の推論が書かれていましたわ。
その緊張の高まりが、司教帝という存在を生み出し、両国の関係がこじれると……そんな具合の推論が書かれていた。
それは一面真理なのだろうが、あくまでも一つの側面でしかない。
――あのレアさんが……司教帝になった経緯は書かれてないのですわよね。リオネルさんではなく、レアさんが司教帝になるというのは、なんとも解せない話ですわ。
ルードヴィッヒの日記帳は極めて強力な情報源だ。けれど、彼も人間。限界はある。
――この時期のセントノエルにルードヴィッヒはおりませんわ。したがって彼は、誰かからのまた聞きで、司教帝レアの出現理由を推測しなければならなかったわけで。
ミーアは、そこで考えてしまう。
「情報源が、わたくし……?」
まぁ、アンヌほか、何人かから情報を得る可能性はあるだろうが、やはり最重要の情報源として扱われるのはミーアだろう。
自分の与えた情報をもとにルードヴィッヒが組み立てた推理……それは、はたして信用に値するものなのだろうか?
ミーアは思う。それって、すごぅく、信用できなさそうっ! と。自分自身のことが、いまひとつ信用できないミーアなのである。
「それに、ラフィーナさまのこともございますし……」
ラフィーナから受け継いだ生徒会長である。それを彼女の意に沿わぬ形でリオネルに渡してしまうことは、躊躇われた。
――せっかく、ラフィーナさまが、わたくしを信用してくれた。その信頼に反するようなことは、してはいけない気がしますわ!
それは、なんだか、あまり良い気分はしなさそうだし……それ以上に……っ!
――怒りのあまり、ラフィーナさまの中の獅子が目覚めても恐ろしいですし……。
司教帝レアが出現しない代わりに、司教帝ラフィーナが復活する、などと言うことになったら目も当てられない。
いや、たぶん、その二人ならば、司教帝レアのほうが敵にするのは楽なはずで……。ならば……どうしたものか?
ちなみに、ミーアが悩んでいる間に、リオネルの側はすでに動き始めているらしい。
対立軸を明らかにし、ミーアの急進的な考えに反対する勢力を糾合しようと動いているらしい。
――そのロジックは、ラフィーナさまが嫌われるもののような気がしますけど……。
などと、他人事ながら心配になるミーアである。
ともあれ、どちらにとっての幸運かは定かではないが、リオネルのほうも上手くはいっていないらしい。
新入生の間では一定の支持を得られているものの、在校生に関しては、実績の巨大さがまるで違う。
実際にミーアに救われた者も数多くいるわけで……むしろ、リオネルの物言いは反感を買いかねないものであった。
だからこそ、悩ましい。この、余裕で勝ててしまえそうな状況が、悩ましくて仕方ないミーアである。
「ふぅむむむ……」
腕組みし、天を仰ぐミーア。そこへ、
「どうかしたのか? ミーア」
部屋に入ってきたシオンが不思議そうに首を傾げた。
「そんなふうに、君が悩むなんて、珍しいじゃないか」
「もしかして、ミーア、この前のことかい?」
シオンと一緒に入ってきたアベルが、心配そうな顔をする。
「へ? ああ、いえ、別にそんなことは……」
「この前のこと? いったいなんのことだ?」
眉を潜めるシオンに、アベルが先日のリオネルとのやり取りのことを説明する。
「なるほど……。ヴェールガが疑念を持っている……か。確かに、あり得そうなことではあるが……だからといってこの時期にミーアに揺さぶりをかけてくる理由がわからないな」
顎に手を当てて、シオンがつぶやく。
「恐らく、リオネルという少年か、その父、ルシーナ司教が勝手に言っているだけ……。せいぜいが、くすぶっている不安、不満を誇張して言っているぐらいだろう。いずれにせよ、このような状況で何か動きがあるとも思えないが」
そう、未来を知らなければ、ヴェールガの疑念など無視しても問題ない代物のはずで……。ラフィーナに任せておけば上手くやるだろうと、ミーアだって考えていられたわけだが。
――ベルが生まれなくなる……帝国から皇女をセントノエルに送れないほどに、関係が悪化する、と……。それほどヴェールガの疑念が大きくなるというのであれば、やはり対策は必要ですわ。
蛇に煽られた可能性は否定できないにしろ、やはり、その根はこの時代、今回の選挙にあるのだろう。情報源がミーアという、若干の(……若干の?)不安要素はあるにしろ、ルードヴィッヒがそう言っているのだ。信頼に値すべき情報だろう。
さらに今までの経験上、ミーアは知っている。
転がり落ちる大岩を止めるのは困難。山頂でぐらついている大岩が落ちないようにするほうが遥かに容易なのだ。
ヴェールガとの緊張関係が大きく育つ前に、それを排除するほうが楽なのだ。
そうなのだ。要するにミーアは楽がしたいのだ。
楽が! したいのだ!!
再び考え込むミーアに、今度はキースウッドが話しかけてきた。
「しかし……、ミーア姫殿下が気にされているのは、そのことではないのではありませんか……?」
「ほう……?」
ミーア、瞠目しつつ、キースウッドのほうに顔を向ける。続けて、続けて! というように手で促すミーアである。
他に、自身が気にしておくべきことがあるのであれば、ぜひとも把握しておきたいミーアである。
生徒会長ミーアは他人の意見によく耳を傾ける人として、知られている。
自身が考えなかった可能性、よいアイデアを出してくれる者を、ミーアは重宝する。そしてミーアの知るところ、キースウッドという男は、なかなかにできる男だ。かなりの洞察力の持ち主だ。これで、眼鏡さえかけていれば、知恵袋としては完璧なのに、残念なぐらいである。
まぁ、それはともかく、キースウッドの口から出たのは意外なことだった。
「もしや、ミーア姫殿下は、後継者を育てようとされているのではありませんか? 先日の、生徒会で話をされた時から、ずっと気になっていたのですが……」
「後継者……」
「はい。シオン殿下に生徒会長を譲ってもいい……と、そのように言った後、なにやら思案げな顔をされているな、と……。そう思いました」
それは、ちょうどミーアが……。でもなぁ、生徒会長とか、面倒くさいんだよなぁ! と思った瞬間であったのだが……それはともかく。
「シオン殿下のお名前を出した後、なにかに気付かれていた……。それは、もしや、シオン殿下ではなく、別の……自分より年下の後進にこそ、むしろ生徒会長の座を譲りたいと……そのようなことをお考えだったのではありませんか?」
「……ふむ」
ミーアは、深々と頷いた。
威風堂々、一切の躊躇もなく頷いた。
まるで、先ほどからずっとそのことについて考えてましたが、なにか……? という顔で、いけしゃあしゃあと頷いた!
乗れ……っと頭のどこかで声がしていた。
キースウッドの言葉、その中に見た乗り心地のよさそうな波に、ミーアの海馬が……否、海月馬が目を覚ました!
「そう……ですわね。実は、今回の選挙、わたくし自身が立候補しても、まぁ悪くはないのですけど……いろいろ思うところがございますの」
話しつつ、ミーアは検討してみる。この方向で考えを進めると……どうなるのか?
――後継者……後任、なるほど……。盲点でしたわ。
大浴場で抱いた不安感、その答えが今、目の前に提示されているかのようだった。
――そうですわ。わたくしの後任を立て、そして、わたくしはその後見人を務める。これですわ!
それは、ある種の、院政に近いものであった。ミーアは、セントノエル学園生徒会に、院政を敷こうとしているのだ。
そして、そのための生徒会長候補は……。
「わたくしは……ヴェールガ公国の、レアさん……リオネルさんの双子の妹を生徒会長に推薦しようと思いますわ」
ミーアの言葉に、その場にいたアベルら三人は、驚きの表情を浮かべた。