第二十三話 兄の視線
タチアナの前から速やかに撤退したミーアは、特別初等部の子どもたちに囲まれたアベルの姿を発見する。
「あら、特別初等部の子どもたちの面倒を見てくれていましたのね」
優しい笑みを浮かべ、子どもたちの面倒を見ているアベルに……ミーアは自らの将来の光景を幻視する。
――あんなふうに、子どもたちと遊んであげるアベル。そして、わたくしが作った馬形サンドイッチをみんなで食べる……なんか……いいですわね!
思わずグッと来てしまうミーアである。
そそくさと一団に歩み寄り、声をかける。
「ご機嫌よう、アベル。みんなも、楽しんでるかしら?」
ミーアに気づいた子どもたちが、笑みを浮かべて、各々の手に持ったお皿を見せた。
どうやら、子どもたちはミーアの同類のようだった。あるいは、ミーア先生の教育が……生き様が……! 子どもたちに浸透している証拠かもしれないが。
「ふむ。確かに、今回のパーティーでは、食べ物に力を入れておりますけれど……。駄目ですわよ? 食べてばかりでは。ダンスパーティーなのですから、ダンスも頑張らないとね」
アベルの引率で、気兼ねなくケーキを頬張る子どもたちに、ちょっぴーり嫉妬しつつ、ミーアは言った。
「確か、ユリウス先生からダンスも教わっているはずではなかったかしら?」
特別初等部の子どもたちは別に貴族というわけではない。だから、こういったパーティーに出る必要は本来ない。けれど、彼らが将来、国の官吏になる場合には、もしかしたら、このような場に出る必要が生じるかもしれない。
そんな先々を見据えて、少しでも場の雰囲気に慣れておいてもらいたい、との願いから、こうして参加してもらっているわけだが……。
「さすがに、王侯貴族の子弟とダンス、というのは、気持ち的に難しいみたいでね」
横から、アベルがこっそり教えてくれる。
「なるほど。まぁ、緊張するな、というのも難しいですわね。確かに……」
この一年間で、在校生とは徐々に打ち解けてきた子どもたちであったが、新入生も交じえてとなると話が違う。孤児院出身の子どもたちに差別的な目を向ける者たちも少なくはないのだ。
「ふむ……ならば、どうかしら、アベル。ここは一つ、わたくしとあなたとで、この子たちをサポートしてあげるというのは」
ミーアは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。それを見て、アベルもニヤリと笑った。
「ふふふ、いいだろう。ボクも随分と君に鍛えられたからね。そろそろ、それを誰かに返してあげたいと思っていたんだ」
それから、アベルは近くにいたパティの前に出て。
「それでは、パティ嬢、ボクと一曲、お付き合いいただけますか?」
胸に手を当てて礼をするアベル。パティは一瞬、許可を取るようにミーアのほうを見てから、そっとドレスのスカートの裾を持ち上げ、
「よろしくお願いします」
完璧な礼を返した。
――ふむ、さすがはアベル。あの中ではパティが一番、ダンスの心得があるはず……。初めに上手い子と組んで、ほかの子も踊りやすい雰囲気を作ろうというわけですわね。それに、ダンスをするまでの流れを、ほかの子たちに見せるという意味もありそうですわね。
そんなことを考えながら、ミーアは男子生徒のほうに目を向けた。
特別初等部の男子は三人。キリルと、以前、ヤナに盗みを持ち掛けたやんちゃなカロン、それに、ミーアが、かつて「ミニクソメガネ」と称した眼鏡の少年、ローロだった。
その中で、ミーアは、
「では、ローロ。あなたを栄えあるわたくしの、ダンスパートナーに指名いたしますわ」
「……え? ぼ、僕、ですか?」
以前、ミーアに反抗的な態度をとったからだろうか。ローロはびっくりした視線をミーアに向けてくるが。
「ええ。さ、行きますわよ」
ミーアは穏やかな笑みを浮かべ、ローロの手を取った。
正直、誰でもいいといえば、誰でも良かったのだが……。
――キリルを選べば、ひいきしていると思われるでしょうし。あのカロンという子は、運動が得意っぽいので、わたくしがリードして、上手く躍らせてあげたら、すごく目立ってしまうかもしれませんわ。そうしたら、このローロの劣等感に繋がる危険性もありますし……。
お忘れかもしれないが、接待ダンスの名手たるミーアは、ダンスに関しても、ダンスに関しては……ダンスに関してだけは、本気で頼りになるお姉さんなのである。
そうして、戸惑うローロの手を引いて、ホールの中心に向かっていると、パティの手を取ったアベルが少しだけ近づいてきて。
「あら? アベル、どうかなさいまして?」
「いや、なんというか……やっぱり、君が自分以外の人とダンスをしているのは、少し妬けるなと、思ってね」
「まっ! ふふふ、それならば、後で存分にお付き合いいたしますわ。しっかり、体力を残しておいてくださいませね」
ニッコリと、小悪魔めいた笑みを浮かべるミーアであった。
なにしろ、ミーアは、しっかりと運動しなければならないのだ。
そうすれば、タチアナだって何も言わずに食べさせてくれるはずだから……。今日のパーティーを、食的に楽しむためには、頑張らねばならないのだ。
「さっ、たっぷり踊りますわよ?」
ミーアは、ローロに小さくウインクして見せた。
さて、子どもたちに、一通りダンスを教示した後、ジュースとケーキにてエネルギーを補充。その後、会場内を歩き回ったミーアは、ようやく目的の人物を見つけた。
リオネルとレアの兄妹は、会場の一角、新入生たちに混じって談笑していた。
いや、よく見れば、談笑しているのは兄のほうばかりで、その一歩後ろに下がったレアが、控えめな笑みを浮かべている……そのような立ち位置だった。
「ふぅむ……まぁ、一人でポツンとしているよりはマシなのかもしれませんけれど……、うん? 一人で、ポツンと……? う、頭が……」
一瞬、なにやら、記憶の彼方にポーンッと追いやっていた、忌まわしき記憶が甦りかけるも……。
「え、ええ、まぁ、それはともかく……。しかし、あれでは、パーティーに参加している、とは言えませんわね。ふむ……」
頷きつつ、ミーアは二人に歩み寄る。
「ご機嫌よう、お二人とも」
「これは、ご機嫌麗しゅう、ミーア姫殿下」
まるで、姫君を守る騎士のごとく、一歩前に出るリオネル。白いシャツと水色のベスト、シュッとしたズボンを身に着けた彼は、堂々たる様子でミーアに応対する。どうやら、こうしたパーティーにも慣れているようだ。
対して、レアのほうも、綺麗な水色のドレスを身に着けているが、こちらはいまいち、着慣れていない様子。緊張が伺えた。
「レアさん、パーティー、楽しんでいるかしら?」
「あ……はい。ええと、素敵な、パーティーですね」
遠慮がちに笑みを浮かべるレア。けれど、未だに誰かと踊ったという様子はなく、また、誘われたとしても、遠慮してしまいそうな雰囲気……。
ミーア、そこで刹那の判断!
――レアさんのようなタイプは、むしろ、小さな男の子とかが相手のほうが、いいのではないかしら?
それから、ミーアは先ほどまで一緒にいた子どもたちのことを思い出して……。
「ねぇ、レアさん。あちらで、アベルが特別初等部の子どもたちの相手をしているのですけど……。もしよろしければ、お手伝いいただけないかしら?」
「え……?」
「ご存じかはわかりませんけれど、特別初等部というのは、各地の孤児院から子どもたちを集めて、学生として受け入れたクラスですの。今後のことを考えるとダンスができたほうが良いと思うのですけど、まだまだ慣れないみたいで……」
「孤児院の……」
小さくつぶやき、それから、レアは許可を求めるようにリオネルのほうに目をやりかけるが……、
「お願いいたしますわ。レアさん」
「は、はい!」
ミーアのさらなる言葉に、背中を押されるようにして、レアは子どもたちのほうへと歩き始めた。
「やれやれ……」
そんなレアの背中を見て、リオネルは小さくため息を吐いた。
「ミーア姫殿下、あまり、妹のことで余計なことをしないでいただきたいですね」
「あら……余計なことだったかしら?」
「ええ。ここで、私のそばにいれば、良き出会いまで導けたかもしれないのに……」
「良き出会い……? はて……」
首を傾げるミーアに、リオネルは苦々しい顔で言った。
「妹は、いずれ、我がルシーナの家を出て行くことになる。どこかの貴族と縁談を結ぶことになるでしょう。そのために、このような、貴族の交流に少しでも慣れさせておきたいと思っていたのです。もう少しすれば、誰か良きダンスパートナーと引き合わせて、と思っていたのですよ」
その物言いが、ミーアには、少しだけ気になった。
それは、ダンスパーティーの主旨とも沿ったものだし、特に気にすべきことでもないのかもしれないが……。なぜだか、引っかかったのだ。
「ちなみに、ヴェールガ公国では、女性は司教にはなれませんの? 確か司教は、完全な世襲ではないにしろ、血筋が多少は影響すると聞いておりますけれど……」
「そうですね。将来的に、私は伯爵家と司教を継ぐつもりでいます」
リオネルは深々と頷いて、
「しかし、妹はそうではありません。神聖な儀式の司式というのは重圧がかかるのです。妹に、ラフィーナさまのような振る舞いができるとは、残念ながら思えません」
「そうかしら……? ラフィーナさまも、あれで結構、苦労されていたようですけど……」
ミーアは、まがりなりにも、ラフィーナの苦悩を知る者である。彼女が、少なくとも、当たり前のように聖女としての職務を全うしていたとはとても思えないのだが……。
「人には、分というものがあるのです。神に仕えるというのは、レアにとって非常な重荷になるでしょう。どこか……苦労が少ない地域の、優しい貴族の殿方と婚儀を結ぶこと。子を為し、良き家庭を築き、ほどほどに貴族社会との関係を続けていく……そういう生き方が、幸せが……妹には合っているのだと私は思っています」
その瞬間、ミーアは思った。
――ああ、こういうお兄さまが、わたくしもほしかったですわ!
重責から遠ざかり、貴族社会とも程よい関係? 暖かく幸せな家庭で、何不自由なく暮らす? なんだ、その天国のような環境は!
ミーアの中で、リオネルに対する評価がワンランク上がりかけた。けれど……、次の瞬間、脳裏に浴槽でのレアの様子が思い浮かんでいた。
「レアが伯爵令嬢として、良き伴侶と結ばれる。それを私も、父も望んでいます」
「ですけれど、レアさんは、いろいろとお父さまの儀式のお手伝いをしているとお聞きしておりますけれど……」
「担う責任の大きさがまるで違いますので」
リオネルは小さく首を振ってから、
「自らの力を上回る責任を負わされるのは、不幸なことではありませんか?」
その言葉に、ミーアはレアのほうに目を向けた。
少し離れた場所、子どもたちにダンスを教えているレアは、実に様になっていた。
それが、家庭の中で子を育てる幸せに適した者の姿か、あるいは、力弱き民の子を慈しむ、神に仕える者の姿か……。ミーアには判断がつかなかった。