第二十二話 ミーア姫、戦略的撤退を図る
「ふむ、なかなか、良い感じですわね」
パーティー会場を見渡して、ミーアは小さく唸った。
会場内には、華やかな笑顔が溢れていた。
紫色のドレスに着替えたミーアは、愛敬を振りまきながら、颯爽とホールの中を歩いて回る。初めに向かったのは、無論、料理が並ぶ一角である。
並べられたテーブルの上には、色とりどりの料理が揃っていた。さして特別な感じのしないメニューではあったが……ミーアはそれを見て、思わず感動してしまう。
なぜなら、ミーアは、それが決して当たり前に揃えられた物だとは思わないからだ。
――むしろ、よく、これだけの料理を並べられたものですわ。
本来であれば、今年は、ここまで豪華な料理が出せるはずではなかったのだ。各国ともに食料に余裕がないため、いかにセントノエルのパーティーと言えど、普通に考えれば贅沢はできない。
けれど、だからといって、そこで立ち止まってしまっては進歩がない。今あるもの、手に入るものをもって、できるだけ上質な味を……と。そのような方針のもと、ミーアは、生徒会の食料通、ラーニャに相談することにした。
……ちなみに、新入生を歓迎するための料理で、決して、ミーアが自分で食べたいから、というわけではない。念のため。
「民の生活を圧迫するようなことは厳に避けるべきですけれど、そのうえで、パーティーに華やかさが欲しいと思っておりますの。ペルージャンの知恵をお借りできないかしら?」
「なるほど……。そうですね……」
ラーニャは、少々悩んでから動き出した。
今年の寒波を受けても、なお、影響を受けなかった食材はなにか?
それを使い、パーティー料理が作れないか……?
「三日月南瓜は、ダメージが少ないと聞いています。あれは、ケーキにしてもシチューにしても美味しいはずです。それと、ミーア二号小麦……あれは、全体の小麦供給量の底上げのために必要な物なので、大量に余っているとは言えませんが、その存在を各国に知らしめるうえで使う意味がある、とは言えそうです」
「意義のある使い方、と。確かに、その通りですわ」
そこにさらに、食料調達に加わる者が現れた。
サンテリ・バンドラー、並びに、オウラニア・ペルラ・ガヌドスによって組織された精鋭魚釣り部隊である!
「うふふー、パーティーの時のお料理はー、全部、私たちが釣ってくるので、特におかずは、用意しなくっても大丈夫ですよー」
なぁんて……あれ? これ釣れないんじゃ? と不安になることをつぶやきつつ、悠々と出陣していった一団であったが、予想に反し、かなりの釣果を上げたらしい。湖の幸によってテーブルの上は、一層華やかに彩られていた。
「豊富なお魚料理はパーティーに欠かせないものでしたわね。こうして見ると……」
ちなみに……ミーアも食料調達に一役買いたいと、ベル隊長率いる特別初等部の精鋭を動員し、キノコ狩り(もりのたんけん)に出陣しようとしたのだが、寸でのところをキースウッドに止められた。
「全軍の総大将が陣頭指揮に立つなど、言語道断!」
「いえ、しかし……わたくしがなにもしないわけには……総大将が後方にいては士気も上がらないというものではありませんの?」
「無論、そういう側面もないではありませんが……今は、その時ではありません」
「ほう。ならば、いつがその時ですの……?」
「ええと……てっ、帝国に帰られた時……とか、でしょうか?」
目を逸らしつつ、そんなことをつぶやくキースウッドに、
「ふむ、なるほど。確かに帝国のことはともかく、他国のことは、わからないこともなくはないですし……」
「まさに、その通り! どうぞ、帝国にご帰還の折には、その手腕を存分にお振るいくださいますように」
などと勢い込んで言いつつも……。
「すまないな、サフィアス殿……」
なにやら、遠い目をするキースウッドであった。
そうして、着々と料理は揃って行った。
帝国料理長考案の満月団子に、ペルージャン製のジャムをかけた、コラボレーションデザート。ノエリージュ湖の魚をムニエルしたものに、ヴェールガ茸を乗せた、ミーア姫激推しの絶品料理。ペルージャンのカッティーラに、三日月南瓜のケーキ、イモと干し肉を使ったスープなどなど。
決して例年と見劣りしないパーティー料理が揃っていた。
「甘い物に塩気のある物まで……。ふふふ、これは楽しめそうですわ。やはり、新入生ダンスパーティー、最高ですわね!」
煌びやかな料理群を前に、ミーアは嬉しそうに舌なめずりする。
――ところで、お忘れかもしれないが、実は、ミーアはダンスが得意である。これに関しては勘違いや誇張なく(上手すぎて、体が浮いているなどと言う与太話を信じないのであれば、であるが)事実である。
一度でも踊って見せれば、周りの者たちすべての視線をかっさらえるほどに、そのダンスの腕前は巧みなものだ。
けれど、今日に限っては、ミーアはそれを披露するつもりがなかった。なぜなら、ミーアは今日の主役が自分たちではないことをしっかり心得ているからだ。
慎み深いミーアは、だから、今日はあまりダンスをするつもりはない。
自分の、生徒会長としての職責を全うすべく……食べ物をもって新入生を歓迎するという自らの食責を全うすべく、料理関係への配慮を徹底しようと思う所存である。
っということで、ミーアはとりあえず、端から端まで味見をして……などと、なぁんとも悪いことを考えていると……。
「ご機嫌麗しゅう。ミーア姫殿下……」
その声に、ミーアはびっくーん! と飛び上がった。振り返ると、そこには……。
「あ、あら、タチアナさん……ご機嫌よう。おほほ」
「ご機嫌麗しゅう。ミーア姫殿下」
ちょこんとスカートの裾を持ち上げて、少女、タチアナは笑みを浮かべた。彼女のそばには、まるで騎士のごとく、彼女を守る、数名の男子生徒がついていた。
――この方たちも、相変わらず、タチアナさんを守っておられるのですわね。うーむ、律義ですわ……。
などと思いつつ、ミーアはその少年たちにも声をかけた。
タチアナと話しをすると、うっかりボロが出そうという気がしたからではあるのだが、もう一つ気になっていることがあったためだ。
「あなたたちもご機嫌よう。ミラナダ王国の状況は、いかがかしら?」
そう、ミーアは、これが気になっていたからだ。
タチアナや、彼女をいじめていた男子たちの出身国は、ミラナダ王国という小国だ。
ヴェールガ公国から見て南南東、レムノ王国から見れば南南西にあるミラナダ王国は、かつて、港湾都市セントバレーヌの利権をめぐり、周辺国と小競り合いを繰り返していた国であった。
そして、セントバレーヌと言えば、クロエの父のフォークロード商会やシャローク・コーンローグの商会が海外貿易を営む拠点でもある。
その輸送ルートのいくつかがミラナダ王国を掠めている関係上、政情は気になるところであった。
――フォークロード商会にお友だち価格で運んでいただいている小麦は貴重な物。もしも、ミラナダ王国領内が荒れて、輸送が乱れでもしたら一大事ですわ。混沌の蛇辺りにも狙われやすい場所でしょうし……。
話しつつミーアは、満月団子Withペルージャンベリーのジャムを口に運ぶ。
モチモチした食感に加え、ペルージャンベリーのプチプチ感が、なんとも言えずに美味しかった。
「ミラナダ王国でも状況は変わりません。不作による食料不足は各地で起きているようです。ただ幸いにも、我が国の近くにはセントバレーヌがありますから、なんとか、そのおかげで持ちこたえられています。海の幸も、海外からの貿易品も入ってきますから」
「そう……。やはり、海の近くというのは強いですわね」
もしも、革命期、帝国が海に面していれば……。あるいは、ガヌドス港湾国の協力を得られていれば……力があるうちにガヌドスを押さえておけば……。
あの時代、そう思わなかった者は一人もいない。
「もっとも、そのせいで、いささか不穏な動きもないではないのですが……」
「不穏な動き……ですの?」
眉を潜めるミーアに、慌てた様子で首を振り、
「いえ、なんでもありません。どうか、お気になさらず」
「ふむ……そうですの? まぁ、なにか困ったことがあれば、いつでも言っていただきたいですわ。ああ、それと、あなたたちも、積極的に新入生のダンスパートナーを務めてあげてくださいませね」
そう言って、ミーアはさらに、テーブルの上のカッティーラWithペルージャンベリーのジャム、に手を出そうとして……。
「ミーアさま……」
そこで、タチアナから待ったがかかる!
タチアナは少しばかり眉を顰めつつ……。
「まさかとは思うのですが、それ、全部食べようとか、思ってませんよね?」
「…………はて? 何のことかしら……? このテーブルの上のお料理を一人で全部食べてしまうだなんて……さすがの、わたくしも、そこまでの食欲は……」
「一つ一つの量は少なくとも、すべてを食べればかなりの量になりますよ」
ミーアの誤魔化しなど一顧だにせず、タチアナは指を立ててお説教してから、
「ほどほどになさってくださいね」
「え、ええ。おほほ、それはもちろん、ほどほどにしますわ。おほほほ」
などと、笑って誤魔化しつつ、そそくさとその場を離れるミーア。
ミーアは戦術の基本を心得ている。勝ち目のない戦いは、早々に退却するのが、最も被害が少ないのだ。