第二十話 風呂探偵ミーア、考察を進める
――ふぅむ、しかし、このレアさんという方は、あまり貴族の令嬢らしくありませんわね。
ミーアはチラチラとレアのほうを見ながら、分析する。
ミーアも他人のことは言えないが、普通、大貴族の令嬢というものは、仮に風呂に入ることがあったとしても、自分の体は自分で洗わないものだ。
セントノエルには、一緒に連れてこれる従者の数が一人なこともあって、浴室の中では自分のことは自分でやる習慣はつくだろうが、それでも入学したての頃はみな戸惑うものなのだ。それなのに……。
――やけに一人ですることに手慣れていますわ。ヴェールガの方はみなそうなのかしら?
「あの……なにか?」
浴槽に浸かっていたレアが、チラッと居心地悪そうに目を向けてくる。
「ああ、いえ。お風呂、よく入るんですの?」
「え? あ、そう……ですね」
レアは小さく首を傾げてから、
「比べるのも失礼な話なのですが、ラフィーナさまのように私も儀式の手伝いで色々な村に行くことはあります。そして、儀式の前には身を清めることもあるので」
「ああ。なるほど。司教の娘として身についていると……」
「はい。水で洗い清めるのは、罪を洗い清めることを表す、象徴的な動作ですから」
そうして、穏やかに笑う顔は、素朴で、純粋そのものだった。
――ふむ、どちらかというと、レアさんの中では、自分は司教の娘という意識が強いような感じがしますわね……。伯爵『令嬢』と名乗ったのは、自分は令嬢だ、と意識的に思おうとしていたからかしら? それとも、やはり、司教の娘だと隠そうという意識が強かったからか……。
ミーアは頷きつつも、笑みを浮かべる。
「幼い頃から司教の子として教育されてきたんですのね。ちなみに、お兄さまのリオネルさんも同じ感じですの? お二人は双子の兄妹とお聞きしておりますけど……」
「……あ、ええと、はい。そう、ですね」
遠慮がちに頷くレアを見ながら、ミーアは思わず考える。
将来、帝国とヴェールガとの間に緊張関係が生まれること、それ自体は理解できなくもない。
ミーアは大飢饉に備え、各地の勢力をまとめていった。ミーア自身のしたことではないにしろ、ミーアネットなる代物は、それこそ、国を超えた組織だ。望まざることながら、その顔であるミーアの権威は、今や大陸有数といっても過言ではないのだ。実情はどうあれ……。
そして、そんなミーアの振る舞いは、見方によっては、大飢饉に乗じて自らの権力を伸ばした、と見ることもできるだろう。
――我が国は、信用があまりございませんし……。
なにしろ、肥沃なる三日月地帯を侵略し、その地の住人を農奴に堕として国を建てたのがティアムーン帝国なわけで……。
悪名高い迷惑者(ミーアの中で)初代皇帝の子孫たるミーアにも、そのような疑いの目が向くことは、ミーアとしては納得できるところではある。
だから、ミーアに権力が集中しすぎることを嫌ったヴェールガ公国というのは理解できる。サンクランドの保守派貴族の中にも、そのような態度をとる者たちはいた。
リオネルも、そのようなロジックを用いていたし、一定数それに納得を示す者は、実際にルシーナ司教の周りにもいるのだろう。が……。
――問題は『司教帝』としてその方たちを煽動したのが、このレアさんであるということですわ。これは解せないですわね。
ちなみに、ラフィーナはレアの蠢動により、国を追われて帝国に落ち延びてくる……らしい。騎馬王国のほうでも良かったらしいのだが、なぜか、帝国のほうに夫と共に落ち延びてきたとか……。
――まぁ、国を追われたラフィーナさまが、わたくしを頼り、帝国に居つくようになったというのは……理解できない話ではありませんけれど……。
なんとなく、沈鬱な面持ちながらも、すこぅしだけソワソワ嬉しそうな様子のラフィーナが想像できる。が……。
――レアさんが、そこに関与したというのが、どうにも解せませんわ。それに、そのためにベルの両親が出会う機会が失われたというのも問題ですわ。
もっとも、ベルが誕生しない未来はベルが情報を共有した時点で、消滅。未来の世界では再び、ベルが生まれることになっているらしい。
要するに、ベルが生まれなくなるというのは、そこまで確定的なことではなかったのだ。
「ボクのお母さまとお父さまはセントノエルで出会い、恋を育んできたって聞いたことがあります」
ベルは偉そうに指を振り振り、説明してくれた。
「ボクのお母さまは、第三皇女パトリシャンヌと言って……、生まれとしては五番目、だったかな……?」
小さく首を傾げるベルだったが、ミーアは、その名前の付け方が気になった。
――パトリ……シャンヌ……。パトリシアお祖母さまと、アンヌを足した感じかしら……。名前の付け方が、実になんとも……安直な感じがいたしますけれど……。実に、わたくしらしいですわ。
すでに、ベルの名づけという前科があるため、ミーアは未来の自分のネーミングセンスに期待していないのだ。
「ええと、それはともかく、そのパトリシャンヌ母さまは、さる貴族のご令息と恋に落ちるのですが……それが、セントノエル学園でのことだったんです。お母さま、セントノエルでの運命の出会いに憧れてて……」
それから、ベルはミーアのほうを見て。
「ミーアお祖母さまとアベルお祖父さまの学園での恋愛は、帝室では有名で。みんな憧れてるんです」
「まぁ、そうなんですの? 誰が、そんな話を……ああ、あれですわね? アンヌから話を聞いたエリスが皇女伝にでも……」
「いえ、ミーアお祖母さまが事あるごとに、詳細に自慢していたとお聞きしています」
「…………なるほど。ヴェールガとの関係が悪化したために、パトリシャンヌがセントノエルに通えなくなる……っと。そういうことですわね?」
ちなみに、ベルが最初に生まれた時間軸において、帝国が内戦状態に入るのは、ミーアが暗殺された後のこと。パトリシャンヌ姫がセントノエルで夫となる男性と出会えたとしても、不思議はない。
さらに、日記帳によれば、ヴェールガとの緊張関係を和らげるべく、ベルの母と公国貴族との間で婚儀を結ばせるという可能性もあったらしいが……。これも、ベルの母が誰なのか、ミーアたちが知ってしまった時点で、実現する可能性は潰えたといえるだろう。
というか、場合によっては、過激派が暗殺とか言い出す可能性があるので、もし、家臣団からそんな提案があった場合には即刻握りつぶす必要が出てきたわけで。
――まぁ、ベルが生まれるのは、あくまでも最低限。問題はその先ですわ……。
対症療法的にベルが生まれればいいだけならば、どうとでもできる。けれど、ヴェールガとの関係の悪化は、決して望ましいことではない。
――ベルが生まれなくなる……その可能性の源流こそが、今度の選挙。ルードヴィッヒは、そのように見ているというわけですわね……。
そこまで考えて、ミーアは改めてレアのほうに目を向ける。
レアは、
「あ、あの……?」
などと、居心地悪そうに、姿勢を正すのだった。