第十九話 風呂の伝道師ミーア、動く!
新入生歓迎ダンスパーティー。
それはセントノエルにおいて、入学式の次に行われている大きなイベントである。
教会歴に従った儀礼的なものというわけではなく、どちらかというと、それは貴族の社交文化に根差した行事だった。
各国の王侯貴族の子女たちが仲を深める場所として、また、将来、社交界にデビューする時に困らないよう、その訓練する場所として、とても大切なイベントだった。
そして、ミーアはその前に、一つ別のイベントを付け加えることにした。
そう、みんなでお風呂に入る会……である。
大陸の貴族の中では、意外と風呂に親しみのない者が多い。お湯を沸かすのは手間であるし、さして体が汚れるようなことをするわけでもなし。水が豊富にあるヴェールガなどを除いて、風呂文化の浸透率は、実はそれほど高くはない。
その状況が、ミーア的には……ちょっぴり気に食わないのだ。
――外国に行った時にも、お風呂、入りたいですわ。
風呂好きミーアは、旅の最中でも、できればあつぅいお湯に浸かりたいのだ。
帝都っ子のミーアは「ちょっぴり熱すぎないか?」というぐらいのお湯に浸かって「おふぅ!」などと、ちょっぴり小粋な吐息を吐きたいのだ。
おもてなしの文化として、ぜひ、風呂を定着させたいと心から願うミーアである。
そんなわけで、ミーアは新入生歓迎ダンスパーティーの前に、お風呂会を開くことにしたのだ。
ちなみに、強制ではなく自由参加だったのだが、当日、共同浴場はかなりの盛況を誇っていた。
理由はとても簡単で、ダンスパーティーの生ける伝説、ミーアが呼びかけ人だったためだ。
入学早々に、月の女神のごとき美しさと、浮かび上がらんばかりの素晴らしいダンス(一説には本当に浮いていたとする者も……)を披露したミーアのことは、学園内でも有名な話であった。
そんなミーアが「美容のために、ダンスパーティー前にはお風呂が最適ですわ!」などと言い、おススメの入浴剤まで紹介しようというのだ。
興味を持つ者は決して少なくなかった。それは良いのだが……。
「ふぅむ……。さすがに、三回もお風呂に入っては、のぼせてしまいますわね」
参加人数が多すぎたため、一度では入りきれず、三交代制とせざるを得なかった。
風呂好きミーアとしては、新入生と親睦を深めるためにも、みなと一緒に入りたかったのだが、さすがに続けて三回はきつい。
ということで、第一グループと第三グループと一緒にお風呂に入ることにしたのだ。
――まぁ、第二グループには、クロエやティオーナさんも対応にあたってくれているはずですし、大丈夫なはずですわ。
ということで、一度、バスローブに着替え、脱衣所で、アンヌが持ってきた冷たい果実水を、ぐぐいっとあおっていると……。
「おや……?」
視界の外れに、ミーアは見つける。
ミーアが今、最も関心を払うべき人物、リオネル……の双子の妹、レア・ボーカウ・ルシーナの姿を。
「こんにちは、レアさん。あなたも、参加してくださったんですわね」
愛想よく微笑みつつ、ミーアは話しかける。
「あっ、こっ、ミーア姫殿下。ご、ご機嫌麗しゅう……」
制服を脱ぐ途中だったレアは、大慌てで頭を下げる。
「あなたもお風呂会に参加してくださったのですのね。嬉しいですわ」
「は、はい。えと、私は、お風呂好きなので……」
「ヴェールガは、お風呂文化が浸透してますものね。ふふふ、では、わたくしも、ご一緒しようかしら……」
「うえ? あ、いえ、あの、その……そんな、帝国の叡智が私に付き合うだなんて、恐れ多い」
「ふふふ。そんなに気にする必要はありませんわ。ほら、言うではありませんか? 一糸をもまとわぬ風呂場では、皇女も伯爵令嬢も、貴族も民もない、と」
そうして笑みを浮かべつつも、ミーアは考える。
――しかし、とてもではありませんけど、司教帝になるようには見えませんわね。いったい、なにがどうなるのやら……。
あの日の夜、ベルははっきりと言ったのだ。
「司教帝になるのは、レア・ボーカウ・ルシーナさん。リオネルさんの双子の妹です」
と。
選挙で打ちのめされて傷心のリオネルが司教帝になるのでは? と予想していたミーアは、文字通り度肝を抜かれた。
――なにがどうしてそうなるのか、因果関係がまったくわかりませんけれど……でも。
ミーアは信じている……。
孫娘の言葉は信じられなくっても。
自分の判断力も信じられなくっても。
忠臣ルードヴィッヒの書いた日記帳だけは……彼の、あの、権威の象徴たる眼鏡を通して得られた情報だけは、ミーアは信じるようにしているのだ。
ゆえに……。
――そうは見えずとも、この方は司教帝になる。どのような経緯かはわからずとも、そのことだけは確実。であるならば、なぜそうなるのか、事情を探ることこそが肝要ですわ。
ということで、ミーアは風呂の中で情報収集にあたることにしたのだ。
「ところで、あなた、ルシーナ司教の娘さんでしたのね」
汗を流し、身を清め、浴槽に身を沈めたレアに話しかける。
「へ……? あ、はい。あの、司教の娘というよりも、その、伯爵令嬢と名乗ったほうが、通じるかと思いまして……」
「なるほど……そうなんですのね」
っと頷きつつ、ミーアは思う。
――怪しいですわね。その割に家名を言わなかったですし……。
ミーアの中では、レアはすでに、司教帝になる存在と確定している。
つまり、それなりの能力を持っている者として扱うことに、ミーアは決めているのだ。その前提で考えるに……。
――あえて家名まで名乗らなかった。あえて司教の娘であることを隠した。そう考えたほうがよさそうですわね。
司教帝という存在が善か悪か、自分にとっての味方か敵か、今のところはなんとも言えない。が、少なくとも、この少女はそれなりに頭の回る人物である……という前提で、ミーアはレアを見ていた。
「あの……? なにか?」
不思議そうに見つめてくるレア。そのどこまでが演技なのか……などと考えつつも。
「いえ……。なんでもありませんわ。さ、お風呂を楽しみましょう」
そうして、ミーアは優しい笑みを浮かべるのであった。