第十八話 新司教帝、出現す。その名は……
「ふぅむ、なるほど……あれが、リオネル・ボーカウ・ルシーナ。わたくしの選挙の相手、ということですわね」
歩き去る少年の背中を見ながら、ミーアは小さく唸った。
「まだ幼いのに、なかなかに利発そうな少年ですわね」
きちんと頭を使い、勝ちに来ているところが、少なからず警戒に値するのかもしれないが……。
「正直、ボクが言うまでもないことだとは思うけど、あまり気にしないほうがいいと思うよ」
少しだけ心配そうなアベルに、ミーアは小さく頷いた。
「そうですわね。こう言ってはどうかと思いますけれど、ヴェールガのことは、ヴェールガに……ラフィーナさまにお任せしたいですわ」
ミーアに選挙で勝て、と言ってくれたのは他ならぬラフィーナである。ミーア的には確かに、ヴェールガの中央正教会やその司教たちが、今回の選挙をどう思っているのか気にならないわけではなかったが、その辺りのことは、ラフィーナに委ねてしまいたいところである。
「それに、選挙の結果は、神聖不可侵な神意……とも言いますし、いかに思うところがあったとしても、過去の選挙結果に文句はつけてこないはずですわ」
そう思いつつも一抹の不安を覚えるミーアであったが……。その気持ちが、具体的な形になって現れたのは……その日の夜のことであった。
その日の夜……。
夕食を食べ終えたミーアは、お風呂にのんびーり浸かっていた。たまたま、お風呂に浸かりに来たオウラニアと、ポヤァのポテンシャルと将来性についてひとしきり議論を戦わせた後、部屋に戻る。
冷たいお水を片手に、アンヌにパティを交えた陣容で恋愛小説の未来について議論を深めていたところで……。
「たったた、大変です、ミーアお祖母さま!」
ベッドの上でゴーロゴロしつつ、なにかを読んでいたベルが悲鳴を上げた。
「あら、ベル……。ふふふ、ひさしぶりですわね、お祖母さま呼びされるのは。どうかしましたの?」
「そ、それが……司教帝が復活して、ボクが生まれないことになってしまいました」
「……ほう」
ミーアは、小さく頷いた。
「なるほど。司教帝が再び復活……そういうこともあるかもしれませんわね」
ベルの言葉を聞いたミーアには、けれど、そこまでの焦りはなかった。
「つまり、今度の選挙で負けると、ラフィーナさまが司教帝になってしまう可能性が生じる、と……」
それほどに、ラフィーナの怒りは深かったのだろう。
「ならば、なおのこと、負けるわけにはいきませんわね。まぁ、安心して大丈夫ですわ、ベル。今度の選挙は万全の態勢を整えますし。あなたが生まれないなどと言うことには、決していたしませ……ん?」
っと、ミーアはそこで首を傾げた。
ベルが片手を挙げて、小さく首を振っていたためだ。
「あら、どうかしましたの?」
「そうではありません、ミーアお祖母さま。司教帝になるのは、ラフィーナ大おば……さまではないんです」
「…………はて?」
きょっとーんと首を傾げるミーアに、ベルは、いっそ厳かとも言えるような口調で言った。
「それに、選挙に負けると……でもないんです。逆です」
「……えーと、つまり、それは……?」
「ミーアお祖母さまが、選挙で勝って生徒会長になってしまうと、司教帝が出現して、ボクが生まれなくなってしまうんです!」
そこまで聞いた時、ミーアは、静かに体を起こす。顎に手を当てて立ち上がりつつ……。
「アンヌ、申し訳ないのだけど、なにか飲み物を持ってきていただけないかしら? それと、パティ、今夜はヤナたちのお部屋で……」
っと、言いかけたところで、パティが小さく首を振る。
「私も、ここにいます……。子孫の危機を、放ってはおけないから……」
静かに見つめてくるパティに頷き返してから、ミーアはアンヌのほうに目を向けた。
「アンヌ、それでは、お願いいたしますわ。飲み物を、わたくしとベル、それにパティとアンヌの四人分用意してきて」
「わかりました!」
そうして、アンヌは部屋を出て……、しばらくして五人分の飲み物とともに戻ってきた。
部屋にはミーアとベル、パティとアンヌ…………とシュトリナが揃っていた。
…………シュトリナが、何食わぬ顔で、ベッドに座っていた!
「……リーナさん、ええと、なぜ、ここに?」
「ベルちゃんのピンチだと聞いて来ました」
「…………そう」
どこで聞きつけたんだよ? とか、いつの間に部屋に来たんだよ? などと疑問は尽きないが、
――まぁ、リーナさんはベルの一番のお友だちですし、そのぐらいのことは、やるかしら……?
などと、無理に納得するミーアである。というか、それどころではないので……ツッコミは置いておいて。
「ええと……それで? なにがどうなったのか、詳しく話してほしいですわ」
「はい。でも、実は、ボクにもなにがなんだかわからないところがあって……。順を追ってお話ししますが、まず今回の司教帝はラフィーナさまではありません。今度の司教帝は、ルシーナ司教のお子さまで……」
それを聞いて、ミーアは思わずと言った様子で頭を抱えた。
「ああ……。あの、リオネルさん……でしたかしら? あの少年が、司教帝になってしまうと……?」
まぁ、確かに……それなら、選挙で勝ってはいけないというのも納得できてしまうミーアである。
「つまり、叩きのめされたあの方が、歪んで司教帝になってしまうということかしら?」
その問いに、けれど、再度、ベルは首を振る。
「いいえ……ルードヴィッヒ先生の日記帳に書かれていたのは、そのリオネルという方ではありません」
「……え? それはどういう……」
「司教帝は女性で、名前はレア。レア・ボーカウ・ルシーナって、書かれてました!」
意外な名前の出現。ミーアは……、アンヌが持ってきてくれたジュースにそっと手を伸ばし、ごくごくごくっとそれを飲み干してから……。
「…………はぇ?」
困惑の声を漏らすのだった。