第十五話 卒業式 ミ視点
卒業式の開始のオルガンが始まった時、ミーアは、思わず安堵の吐息を吐く。
――無事に今日までこぎつけて、良かったですわ。
実のところ、ここ最近、ミーアは結構なプレッシャーを感じていたのだ。
今回の卒業式、生徒会の責任は軽くない。
そしてその生徒会に、ラフィーナは含まれない。彼女は送り出される立場である。
かつてであれば、仮に卒業式が台無しになったとしても「準備している側に聖女ラフィーナさまがおりますが、なにか?」と言えたところを、今回に関しては言えないのだ!
これは、なかなかにプレッシャーだった。
無論、準備にはラフィーナはもちろん、司教やセントノエルの職員なども関わっている。が、生徒会の準備している部分に関しての責任は、ミーア他、生徒会の役員たちにかかるわけで……。
しかも、生徒会の役員を選んだのがミーアなのだから、最終的な責任はミーアが問われることになるのだ。
――万が一、なにかまずいことがあれば、その辺りを生徒会選挙で突かれる可能性もございますわ。次の生徒会長に選ばれるまでは、できるだけミスは避けるべきですわ。
そうして気を張り詰めていたゆえに、今日という日を無事に迎えられて、ミーアはホッと安堵したのだ。
「今日という日を無事に迎えられたことに、神に感謝を」
その言葉に、心から同意するミーアである。
本日は、特にミーアには役割は与えられていない。大勢の前で話す場面もなし。ミーアは完全な裏方として式を見守ればいいわけで……気楽なものであった。気楽なものになるはずであった!
あとは、居眠りしないように気をつければ、なんて……完全に油断していたものだから、ミーアは咄嗟に、目の前で起きた出来事に理解が追い付かなかった。
ラフィーナが……あの、眠れる獅子ラフィーナが! 突然、泣き出したからだ!
「………………はぇ?」
思わずヘンテコな声を出し固まることしばし。ミーアは内心で叫ぶ!
なぜだっ! っと。
――なっ、なな、なぜ、ラフィーナさまが、あんなに感動を?
そう思いつつも、ミーアはすぐに、式の前のことを思い出す。
生徒会で切なげな顔をしていたラフィーナ。あの時、自分は、確かに彼女が弱っていると気づいていたはずで……。
――くぅ、あの伏線を見過ごしていたとは、何たる失態。
ミーアは頭を抱えつつ、ラフィーナを見守る。
儀式の最中に、突然、席を立って、あの場に出ていく? そんな注目を集めることなどできるはずもなし。そう、絶対にできないし、やりたくない。それをやれば自身の評判が落ち、生徒会選挙でだって不利になるかもしれない。
……でも。
ミーアはもう一度、ラフィーナに目を向ける。
ただ一人立つラフィーナに、誰も手を差し伸べられない状況を見て……ぐぬっと一つ唸って。
――ええい、仕方ありませんわ。ラフィーナさまが困っているところを見過ごすと……その、いろいろまずそうですし!
意を決して、ミーアは立ち上がる。
仕方ないではないか……。
なんだかんだで、ラフィーナはお友だちなのだ。
セントノエルに来てからの四年間で、いろいろと思い出も、絆もできてしまったのだ。
仕方ないではないか!
なんだかんだで、ラフィーナは、一番に「お友だちになりたい」と言ってきてくれたのだ。
どこか不安そうな顔で、それでも勇気を出して言ってきてくれたのだ。
仕方ないではないか!!
そんな人を放っておくと、気分が、とても悪そうだったのだ!
ミーアは基本的には海月で流れには絶対に逆らわない人なのだが……同時に自分ファーストな姫でもあるのだ。
せっかくやり直しているのだから、寝覚めが悪いことはしたくないのだ。
そうして、ミーアは素早くシュシュッと歩き出す。
向かっている途中でラフィーナが立ち直ってしまい、すごすごと踵を返す……などということになっては恥ずかしすぎる。きっとそれも寝覚めが悪いだろう。ゆえに、ラフィーナのところに一刻も早く向かうことこそが肝要。
幸いにも生徒会長たるミーアは、聖堂の前方に座っていたため、ほどなくしてラフィーナのところに行くことができた。
未だに顔を覆い俯いているラフィーナ、ミーアはそっとハンカチを取り出し、その頬の涙を拭う。
ビックリした顔で自分を見つめるラフィーナに微笑みつつ……考える。考える!!
――っていうか……そもそも卒業式って卒業ミサですわよね? これは礼拝で儀礼行為。それをこんな具合に、横紙破りみたいなことをするのはさすがにまずすぎますわ。中央正教会の神さまは割と寛容なところがございますし、ラフィーナさまを助けるためだったので仕方なかったわけですけど……。どうなのかしら?
むしろ、ラフィーナが自分で立ち直るのを待つ場面だったのでは……? っとか今さらながら後悔しかけるも……。
「ミーアさん、ごめんなさい。私……」
ラフィーナの困惑したような声を聞いてしまうと、待つのが正しかったとは思えない。ならば、ここまでは間違いではないのだ。
やらなければよかったと「もしも」を考えるのは、もうやめにする。
問題は、この後、どうするか……である。
ミーアが思案に暮れている、その時だった。
「ごめんなさい。ミーアさん。もう、大丈夫」
ラフィーナの声がミーアの耳に届いた。目を向けると、ラフィーナは、ほんの少し照れくさそうに、頬を赤くしていた。どうやら、なんとか立ち直りつつあるようだった。
良かった。来た甲斐があったというものである。
あとは上手いこと誤魔化して、ラフィーナにこの場を引き継げば……そう思っている時だった。
「このハンカチは洗って……」
ラフィーナが手に持つハンカチ――それを見た瞬間、ミーアは目を見開いた。
と同時に、ミーアは手を伸ばす。ラフィーナの手が握るハンカチへと。
――ああ、そう……そうですわ。確か、あの時も……。
今日と同じように、儀礼的な順序が破られたことがあったのをミーアは思い出していた。
生徒会長選挙……あの時の光景がミーアの脳裏を過って……。
――あれを再現できれば……。そうですわ。あの時、問題にならなかったのだから今回も問題ない、と強弁することができるのではないかしら?
そうして、ミーアの手の中にあったのはハンカチだ。純粋にラフィーナの涙が……涙だけが沁み込んだハンカチだった。
これはいける、むしろいくしかない、とミーアは確信する。激流に身を投じてしまったのであれば、もう、諦めてその波に乗るしかないのだ。
もし仮に立場が逆ならばこうはいかないところだ。なぜなら、もしミーアであれば、ハンカチを差し出されれば、当然、涙を拭くだけではない。鼻だってかむ。
そりゃあもう、九分九厘、十中八九、鼻をかむ。
そうして、出来上がった涙with粘液なハンカチは……さすがにミーアとしても手に取るのははばかられるわけで……。
だが今回は、その心配はなかった。ラフィーナが極めてまっとうに公爵令嬢として……あるいは聖女としての感覚を持ち合わせていたがゆえに……、活路が開けた!
それは、ミーアの目には、天の導きのように見えたのだ。
波だ。大きな波が来ている。ならば、全力で乗らなければ!!
ミーアは手の中のハンカチを握ったまま、生徒たちのほうに向き直った。
この状況の落としどころを……言い訳を作るために!
「今ここに、ラフィーナさまの、惜別の涙に濡れたハンカチがございますわ。これは、ラフィーナさまのセントノエルに対する想いの結晶。セントノエルのこれからを思い流された、深いお心。ですから、わたくしは、このラフィーナさまのお気持ちを、今ここで引き継ぎますわ!」
そう言って、ミーアはハンカチを自らの腕に巻いた。
若干、二の腕のFNYが邪魔するが、気合で縮めて、ギュッと結ぶ。
そうして、みなに思い出させる。
今、自分がやってることは、かつての生徒会長選挙で、ラフィーナがやったことと、同じようなことだよ? と。
だから、別に、怒られるようなことじゃないよね? っと。
それから、ミーアはラフィーナのほうを見てニッコリ微笑みかける。
これにより、ラフィーナを自らの共犯関係に仕立て上げる。よろしくお願いしますわね、裏切らないでね、との祈りを込めて、ちょっぴり困った笑みを浮かべる。
二人は、同じように儀式の手順を乱した、正真正銘の共犯関係なのだ!
「卒業生の代表ラフィーナさまのお言葉をお聞きする前に、ラフィーナさまのお志を継いだ、わたくしのほうから、先にお話ししたく思いますわ」
そうして、ミーアは即興で送る言葉を話し出した。
「卒業生の諸先輩方、そして、ラフィーナさま、ご卒業おめでとうございます。みなさまが、いなくなってしまうのは寂しいですけれど、どうか、安心してこのセントノエルを旅立たれますように。ラフィーナさまの意思を受け継いだわたくしと、みなさま方からの想いを受け継いだ在校生で、このセントノエルを支えていきますわ」
次期生徒会長として、きっちりアピールしつつ……。
「この学園を旅立っていかれるみなさまには、ぜひ、ここでのことを忘れずにいていただきたく思いますわ。ここで受けた想い、育んだ志をしっかりと握りしめて、ご自分の国に帰っていかれますように、と祈っておりますわ。みなさまの、母国でのご活躍を期待しておりますわ」
自分の国に帰って、しっかりやれよ! と言いたいミーアである。
間違っても、蛇の甘言で惑わされたり、うっかり隣の国に喧嘩売ったりするんじゃないぞ? と、きちんと言っておきたいミーアである。さらに、
「わたくしたちも、いずれ、この学園を出て行きますわ。そんな時には、どうか、先にセントノエルを旅立って行った先輩として、セントノエルの仲間として、友として……ぜひ、優しく指導して行っていただければ、と思っておりますわ」
そうして、ミーアはもう一度、ラフィーナのほうを見る。すでに、泣き止んだラフィーナは、いつも通りの穏やかな笑み、否、それ以上に嬉しそうな心からの笑みを浮かべて拍手をしていた。
――やれやれ、これは、なんとか誤魔化せたのではないかしら?
などと、胸を撫でおろすミーアであった。