第十三話 消えた卒業式と、それぞれのラフィーナ
これは、消えた世界の物語。
大飢饉が幻とはならず、強かに大陸各国を打ち据えた、その時間軸での出来事である。
聖女ラフィーナの卒業する年、その年は混乱とともに幕を開けた。
各地で紛争が勃発し、飢餓に疫病、財政破綻によって傾いていたティアムーン帝国はもちろん、その他の国々も、セントノエルに人を送る余裕はほとんどなく。
なんとか卒業の式典だけでも、という本国の司教たちの言葉を、ラフィーナは涼しげな笑みとともに否定する。
「式典に、無駄なお金をかける必要などないでしょう。今は、民も大変な時。そのお金で、餓えた人々を一人でも多く救いましょう」
それは、ヴェールガの聖女としては当たり前の判断であったが、ラフィーナがセントノエルに対して、特に思い入れがなかったことにも由来する。
別に、ラフィーナは、セントノエルを去ることについてなにも思わなかった。
卒業を心から祝い合う友もいなければ、会えなくなって寂しくなる者もいない。
サンクランドのシオン王子やティオーナ・ルドルフォンとは緊密な連絡を取り合ってはいたが、それはあくまでも公的な必要のため。
その二人については、私的にも好意を抱ける者たちではあったが、腐敗した帝国の打倒という目的の前では、友誼を深めることなど些細なことだった。
そうして、ラフィーナがセントノエルを去る日、ラフィーナはふと学園を振り返る。
「さようなら、セントノエル。これからも、この場所が、各国の王族を薫育し続ける場所でありますように」
小さく、形ばかりの祈りの言葉を口にして、ラフィーナは島を出て行った。
以後、彼女がセントノエルを訪れることは、特別な式典を除けば、ほとんどなかった。
そこは、彼女にとって印象に残らない場所、大切な場所ではなかったからだ。
これは、消えた世界の物語。
セントノエル学園に暗く深い闇が落ちた世界……学園のパーティーで毒物の混入事件が起こり、その手痛い失敗から、生徒会長ラフィーナが心に深い傷を負った世界。
卒業式を迎えたラフィーナは、静かに校舎を振り返る。
そこで命を落とした一人一人の顔を思い出し、ただ、彼らの魂が安らぐように祈りをささげる。
「ラフィーナさま……」
その声に、ふと顔を上げる。そこに立っていた友の姿に、ほんの少しだけ笑みを浮かべて。
「ああ、ミーアさん」
お祝いを言いに来てくれた人、ラフィーナがただ一人、心許せる友人で、心の支えだった人。
されど……それすら……その友情すらも彼女は失ってしまう。
皇女ミーア・ルーナ・ティアムーンの暗殺劇。
怒りに駆られたラフィーナは、自らを司教帝と称し、軍を起こす。
神の権威を我がものとして、敵はすべて殺した。敵を殺すのを邪魔する者たちも、容赦なく殺して、殺して、殺し尽くした。
そうして、彼女は居城をセントノエルに移した。
思い出の地。毒物混入事件が起きたあの日までは、そこは、確かに輝ける場所であった。
友や、大切な人たちと、共に明るい未来を見たそこは、彼女にとって、甘い思い出と鈍い痛みの記憶の残る、最も印象深い場所だった。
かくて、時は流転して。
「ああ……。今日で、卒業、かぁ」
ラフィーナは、そっとため息を吐いた。
六年間を過ごした生徒会室、その机を軽く撫でる。
式典まではあともう少し。
儀式用の、白いローブを身にまとい、すでに準備は整っている。
そんなラフィーナの心にあるのは、わずかばかりの緊張と、気を抜けば、なんだか泣き出してしまいそうな切なさだった。
もう自分が、この学校の生徒でなくなるなんて、とても信じられなかった。
不意に、生徒会室のドアが開いた。
「あら、ラフィーナさま。こんなところにおりましたの?」
「ミーアさん……」
静かにラフィーナは顔を上げる。それから、いつもと変わらない笑みを浮かべて。
「少しね、考え事をしていたの……」
「考え事……?」
「そう。もしも、ミーアさんと出会っていなかったら、どうなっていただろうって」
ついつい、想像してしまう。
もしも、ミーアと出会っていなかったら、どんな学園生活を送っていたのか?
「ただの想像だけど、でも、私はきっと、特に何の思い出もないまま、このセントノエルでの生活を終えていたんじゃないかな、って、そう思って……」
それから、自嘲するようにラフィーナは笑った。
「きっと、お友だちだってできなかったでしょうね。もちろん、形だけのお友だちはできただろうけど……本音を語り合う、そんなお友だちはきっとできなかったと思うわ」
寂しげな、笑みを浮かべた。
そんなラフィーナを見て、ミーアは……。
――なんだか、ラフィーナさまが……弱ってますわ!
驚愕した! 驚嘆した! 吃驚である!
あの……かつて、笑顔でミーアをばっさばっさと切り捨てていったラフィーナが、弱々しく微笑んでいる。
なにやら、しゅん、と寂しそうにしていた。
あの、獅子ラフィーナが……。
けれど、刹那の混乱から抜け出したミーアは、
――ああ、でも……。そう、わたくしは、ラフィーナさまと、お友だちになったんでしたわね。
それを、思い出した。
よくよく考えれば、ミーアがセントノエルで最初に友だちになったのは、ラフィーナだった。
読み友クロエでも、前時間軸の因縁を越えたティオーナでも、ミーアの胃袋を支える姫ラーニャでもない。
誰よりも早く、ミーアに「友だちになってほしい」と言ってきたのは、ラフィーナだったのだ。
――ならば、その友が元気をなくしているならば、元気づけなければなりませんわ。これから、ラフィーナさまの晴れ舞台が待っているのですし……。
ミーアは、ふん、っと鼻を鳴らすと、ラフィーナの手をそっと握った。
「ミーアさん……?」
「楽しき時間が過ぎ去るのはあっという間のこと、でしたわね」
ラフィーナの目を見つめて、ミーアは続ける。
「されど、時は巡っていくもの。馬龍先輩が卒業して、新しい人たちが入ってきて、サフィアスさん、エメラルダさん、ルヴィさんが卒業して、クレメンス君や、ヤナ、パティたちが入ってきた。ラフィーナさまが卒業し、わたくしも、その二年後に卒業して、その代わりに新しい子どもたちが入ってくる。わたくしたちは、今度はそれを見守り、育む、大人になっていく」
それから、ミーアは朗らかな笑みを浮かべる。
「わたくし、思いますの。いつかきっとラフィーナさまと馬龍先輩のお子さまと、わたくしの子が、共にセントノエルに通う日が来るって。そうしたら、また、わたくしたちは、子の母同士、お茶を酌み交わす日だって来ると思いますの。共に、子を持つ親の悩みを分かち合い、励まし合い、笑い合う……。そんな関係に、お友だちに、なっていけたらいいんじゃないかな、って思いますのよ」
ミーアは言いたいのだ。
末永く……仲良くしてね? っと。
なにしろ、卒業しても、ラフィーナはラフィーナ。獅子は獅子。なれば、ミーアとしては、疎遠にならず、密に連絡を取る友だちでいたいわけで。
「卒業しても、ラフィーナさまは、お友だちですわ。形は変われども、ずっと、それは変わることがない。そうではないかしら……?」
「ミーアさん…………ん?」
ラフィーナは感動した様子で、目をうるうるさせたが……次の瞬間、おや? っと首を傾げた。
「あの、危うく聞き逃すところだったけれど……ミーアさん、私の子がセントノエルに通うというのは、まぁ、いいのだけど……なぜ、私と馬龍さん……?」
「あら? ラフィーナさまは、てっきり馬龍先輩と恋仲なんだとばかり……」
「ミーアお姉さま! そろそろ、式典が……。あ、ラフィーナさまもご一緒だったんですね」
ニコニコ笑うベルに、ミーアは尋ねる。
「ねぇ、ベル、ラフィーナさまがどなたと結婚するのか、聞きたいのですけど……」
「ちょっ、ミーアさん……?」
ラフィーナが慌てた様子を見せるも、
「未来のことは、教えられません」
ベルは、神妙な顔で首を振った。
それを聞き、ラフィーナは、ふぅっと深いため息。胸に手を当てて……。
「そう。未来のことは神のみぞ知ること。それを無理に暴こうとするのは良くないこと……」
「でも、ヒントぐらいはいいかもしれません。すっごく馬に乗るのが上手い、豪快な人です」
「ベルさんっ!」
ラフィーナの、混乱に彩られた悲鳴が生徒会室に響いた。
そうこうしているうちに、時間は過ぎて行き。
ラフィーナの卒業式が始まる。