第十話 収穫。そして、種を蒔け!
さて、帝国でのもろもろの行事をこなし、冬休みをのんびーり過ごしたミーアは、悠々とセントノエルへの帰還を果たした。
大聖堂に集まり、ラフィーナの新年初めの挨拶があり、それに続いて、生徒会長の言葉かけの時間があった。
――まぁ、もう慣れたものですけど……。しかし、次の選挙で勝つためには、しゃっきりしておかなければなりませんわ。
姿勢を正し、スッと背筋を伸ばして、生徒たちを見渡す。
そこには、冬休み前と変わらない生徒たちの姿があった。
欠けることなく揃った特別初等部の子どもたち。その子どもたちのそばには、彼らに絡んできた帝国貴族の子弟たちが、チェスクッティ子爵のクレメンス少年を筆頭に陣取っていた。さらに、視線を転じれば、タチアナや、タチアナに絡んできたミラナダ王国の貴族の子弟たちの姿も見える。
それに、クロエやラーニャ、ティオーナなど生徒会のメンバーもそこには揃っていて……。みんなが、そこに欠けることなく揃っていて……。
ぼんやりと、そんな光景を見ていたミーアは、なんとも言えない感慨に囚われた。
――あの子たち……特別初等部の子どもたちだけじゃない。帝国貴族の子どもたちは……たぶん、本来は、ここにはいなかった子たちなんですのね。
ついつい、そんなことを思ってしまう。
ミーア自身、この年にはすでにセントノエルには通えていなかった。当然だ。ミーアは今年十七歳。この年に、革命軍の手に堕ちたのだ。
帝国内はすでに各地で紛争の火が燃え上がり、ほとんどの帝国貴族には、子どもをセントノエルに送る余裕などなかった。
だから、彼らはここにはいないはずだった。いや、むしろ、この世にいたかどうかも定かではない。蜂起した民衆の手によって、何人かの貴族は、一族郎党皆殺しの憂き目に遭っていたのだ。
ミーアの母の実家、コティヤール家もその一つだった。ヒルデブラントは今でこそ、騎馬王国に留学するなどと言っているらしいが、あの影響されやすい、気のいい青年も、過去の時間軸ではすでに死んでいたのだ。
この場にいないはずだった人たちがいて、敵だった人たちが、殺し合いをすることになった人たちが……ティオーナやリオラ、シオン、キースウッド、ラフィーナたちが笑顔を向けてくれる。
目の前の光景が、ミーアには奇跡に見えた。
――けれど、それを当然のことと思ってはダメですわ。今はまだ、気を抜ける時ではないのですから。
その実感が、ミーアの気を引き締めた。未だ、状況は綱渡りと言っても良い。
実際、今年も天候不良は続くはずで。だから、寒さに強い小麦をしっかりと収穫しつつ、輸送ルートを守っていかなければならない。
ならば、ここはあえて釘を刺しておくべきだ、と判断し、ミーアは口を開いた。
「こうして、新しい年、みなさんに挨拶できることを心より嬉しく思いますわ」
それは、ありふれた言葉。ありふれた……誰しもが口にし得る言葉だった。
ともすれば、聞き流してしまいそうな言葉だった。けれど……それを語るミーアの声には、どこか聞き流せない切実な響きがあったから……、幾人かの生徒たちは顔を上げ、ミーアのほうに目を向けた。
「嬉しく思いますわ。心から……。なぜなら、みなさんとこうして顔を合わせられること、これは、当たり前のことではないのですから」
集まった生徒たち一人ずつの顔を順番に見つめながら、ミーアは丁寧に言葉を投げかける。
「それは、一般論的に、人はいつ死んでしまうかわからない……ということではありませんわ。今現在、この大陸には明確な危機が訪れている、とそのような意味ですわ。そして、その魔の手は、わたくしたちにすら、容易に届き得るものであり、それゆえ、最大限の警戒が必要である、と……わたくしはあえて言っておきますわ」
今のミーアには遠慮はなかった。
なぜなら、すでに『未来の危機』を語る段階は過ぎているからだ。
「恐らく、ここに集う多くの方たちは、わかっているのではないかしら? 自分の領地の、領民の、ご両親の様子を見ていれば、察することがあるのではないかしら? 今年は……なにか例年とは違う。否、昨年から、なにか、様子が違うところがある……と」
危険の兆候は、目ざとい者たちであれば、すでに気付くレベルにあり、それ故に、ミーアはその感覚を、より鮮明にさせるべく言葉を重ねる。
「具体的に言うならば、天候の不良によって収穫量が減っているのではないかしら? 少しずつではあっても、食料が不足している地域が、出てきているのではないかしら?」
その言葉に、ハッとした顔をする者たちがいた。が、それはあくまでも、なぜ知っているのか、と言う困惑で……。まだ、具体的に自分自身の危機感として捉えられている者は少ないのではないか、とミーアは思う。
けれど、破滅を経験しているがゆえに、ミーアは知っている。
王侯貴族がヤバイ! と感じた時点で、すでに手遅れということが往々にしてあるのだ。それゆえ、ミーアは切実に、力を込めて言う!
「ゆえに、もしも、危機の兆候を感じたら、すぐに教えていただきたいですわ。みなさんの親や大人たちはそれを隠そうとするかもしれませんけれど……注意して見ていれば絶対に気付くはずですわ。そして、どうか、助けを求めることを躊躇わないでいただきたいですわ。あえてもう一度強調しますが、綺麗事でもなんでもなく、わたくしたちは、セントノエルの仲間。絆を育んだ者たち。ですから、遠慮せずに助けを求めていただきたいですわ」
すなわち、ヤバイと感じたら、遠慮なくすぐに言え……。隠すな、と。
間違っても、消せないぐらい火を大きくして、こっちに迷惑かけるんじゃないぞ、と声を大にして言いたいミーアである。
「そして、最善の行動を。我らは民を安んじて治めるべく、力を手にした者。ゆえに、各々、最善の行動をとっていただきたいですわ。このセントノエルに通う者に相応しく行動をとっていただきたいですわ。そうして踏ん張って、少しでも時間を作ってくれれば、必ずや助けの手は差し伸べられる、とわたくしは確信いたしますわ」
民を見捨てて、自分たちだけが助かる、などと言う動き方をされては迷惑なのだ。民を守るために汗水流せ、そうすれば民だって協力してくれるかもしれないし、失火は最小限に収められる。
この時期に内戦だ、クーデターだなどと言われるのは、まったくもって迷惑極まりない。できる限り協力してくれるよう、彼らの心を掴まなければならないのだ。
「それと、この中には商人のご子息もいるかと思いますけれど、ぜひ忠告をしておきたいですわ。命が懸かった状況で、金儲けをするものではない……命を、商売の天秤に乗せるな、と」
ミーアは、静かに首を振る。
「たとえ金を持っていたとしても、国が荒れ、甘いケーキが食べられないのでは意味がない。商品があり、お金があり、それを使う人がいてこそ商売をする意味がある。商人もまた、その世界の一部であることを肝に銘じていただきたいですわ」
ゆえに、この平穏な日常を、普通の日常を維持するように協力せよ、と告げて、ミーアの言葉は終わった。
ミーアの言葉は、後世に残るほどの派手さはなかった。
特に真新しくもなかった。
それは地味で、人々の心を動かすような感動的なものではなかった。
……だが、ゆえに……、そう、それゆえにこそ……それは特筆されるべきものであった。
この日から数日後、何人かの生徒たちが生徒会に助けを求めに来た。
自領の食料不足を訴えるその嘆願を受け、生徒会のメンバーは極めて迅速に行動し、一つ一つの問題を処理していった。
また、ミーアの話を聞いていた商人の息子の何人かは、実家に「最大限、食料危機に対処するよう採算度外視で行動せよ」と書き送った。
ミーアの示し続けた危機感は、すでに生徒たちに共有されつつあったのだ。
少なくともセントノエルに通う者たちの間では、未曽有の大飢饉に立ち向かう心構えが、かつてないほどに整っていた。
ゆえに、ミーアがしたのは、ただの確認で、ただの念押しであったが……。有効に働いた。
もはや、種を蒔く時ではなかった。否! むしろ、今こそが種を蒔く時であった。
ミーアが、丹念に耕した畑が目の前にあった。
そして、彼女の言葉に耳を傾けた者たちが、その前に立たされていた。
あとは、種を蒔くばかり。
では、どんな種を蒔けばいいだろう?
未来に続く種……自らが蒔くべき種がどのようなものであるかを、セントノエルに通う者たち、一人一人が吟味し始めていた。