第七話 帝国の叡智は食道楽
帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンは稀代の食道楽家として、後世に名をとどろかせた人である。
その日、帝国の食道楽ミーアは、ニッコニコ顔で朝食を食べていた。
ここ最近、ミーアがはまっているのは、パンに甘い豆のペーストを塗りたくって食べることだった。
「ふふふ、クロエから教えていただいた甘い豆、やはり、こうしてパンに塗ると絶品ですわ」
先ごろ特別初等部で得た知見、甘いフルーツを挟んだサンドイッチが、ミーアの発想を自由にはばたかせたのだ。
まさか、あんなケーキのようなサンドイッチが存在するとは思いもしなかったミーアである。
「まぁ、実際のところクリームをパンに塗るのは、タチアナさん辺りに見つかったら怒られそうですし、フルーツも毎日はダメかもしれませんけれど……これは豆のペースト。ゆえに、怒られませんわ」
ケーキを毎日食べたら怒られる。ゆえに、甘いパンを代用とする。
しかし、パンとはいえ、クリームを塗ったものだと怒られるかもしれない。ならば、甘い豆にすればいい!
ミーアの発想は飛躍し、どこまでも自由に、天馬に乗るがごとく、天高く飛翔する。
天高く馬は翔け、姫は肥える冬である。
そうして、自由で斬新な発想の結果生み出された甘い豆ペーストを塗ったパンは、ミーアのお気に入りになっているのだ。
……いや、まぁ、この悪だくみも結局のところ、アンヌから問い合わせを受けたタチアナによって、控えめにしろとのお達しを受けてしまうわけだが……。
まぁ、それはさておくとして。
その日、朝食を取り終えたミーアは部屋のベッドの上でのんびーりしていた。
ガヌドス港湾国での騒動を終え、誕生祭のパーティーも、本日は午後からとのことで。ゆっくり朝寝……もとい、思索の時を持っていたのだ。
さて、昼間で少し時間があるし、朝のオヤツでも……。などとまたしても、悪だくみを始めるミーアのもとに、料理長ムスタ・ワッグマンが訪ねてきた。
「恐れ入ります、ミーア姫殿下。少しお時間、よろしいでしょうか?」
「あら、料理長、どうしましたの?」
姿勢を正し、澄まし顔で料理長を出迎えるミーア。なにしろ、相手は美味しい物を生み出すスペシャリストである。ミーアにとって最大限の敬意を払うべき相手なのだ。
そんな料理長は、深々と頭を下げながら、
「実は、ぜひご試食いただきたいものがございまして……」
「まぁ、試食……」
その言葉だけで、ミーアのモチベーションがギュギュンッとアップする。
基本的に仕事は好きではないミーアだが、唯一、試食を始めとした食べ物に関することだけは別だった。
そうして、やる気を迸らせるミーアであったのだが、料理長が運んできた皿を見て、思わず目を見開いた。
「あら、なんですの? これは……? 雪、というわけではなさそうですけど……」
皿の上に載せられていたものは、白くてモチモチした、丸いナニカだった。
困惑した様子を見せるミーアに、ムスタは神妙な顔で言った。
「聖ミーア学園で開発された小麦、ミーア二号。その最適の調理法がこれである、と私は確信しております」
「ほう……!」
ミーア、俄然前のめりになる。
なにしろ、かの料理長の新作料理である。
これは、襟元を正して向き合うべき案件であること、疑いもなかった。
「僭越ながら、『月団子』と呼んでおります」
「なるほど。丸くて、満月のようですわね。ふむ、これは、そのまま食べるものなのかしら?」
「いえ、これ自体に味はほとんどありませんので、シチューやスープなどに入れるのがよろしいかと存じます」
そうして、はじめに出てきたのは、野菜スープに白い月団子が浮いた汁物だった。
葉物野菜に加え、キノコの類も入っているのが、ミーアには非常に気に入るところであった。
「では、早速……」
そうつぶやき、ミーアはそれをスプーンですくって、口の中へ。
熱い!
はふはふ、っと湯気を吐きながら、ミーアは月団子を口の中で咀嚼する。
モチモチ、ねっちょりとしたそれは、口の中に張り付きつつも、ジュワッとスープを染み出させる。火傷するかしないか、ギリギリの熱さ。されど、その熱さこそが、この料理の旨みの中心であると看破したミーアは、冷めるまで待つなど野暮、とばかりにスプーンを動かす。
月団子のモチモチ感、キノコのコリッコリッとした歯触り、茹でてしんなりした野菜の食感の三重奏がたまらない一品だった。
「これはなかなかですわね……。寒い冬などには、とても美味しいお料理ですわ」
「お褒めいただき恐縮です。さらに、こちらが……」
次に出てきたのは、月団子にソースのかかったものだった。
濃厚なソースによって味付けされた団子は、先ほどとはまた違った味わいで、ミーアはニッコリ笑みを浮かべる。
「素晴らしいですわね。スープに浮かべてよし、ソースに絡めてよし。実に素晴らしいお料理ですわ。文句なしですわ」
ミーアの手放しの称賛に、ムスタはジーンッと感じ入ったように、深い息を吐いた。
「そう言っていただけたなら報われます。調理場の料理人一同にも伝えたく思いますが……」
「ええ。ご苦労さまでした、と伝えていただきたいですわ」
ミーアは微笑んで、そう言った後……。
「しかし、これは……」
ふと、考え込む。
「……あの甘い豆のペーストと合いそうですわね」
「え……?」
きょとん、と瞳を瞬かせる料理長に、ミーアは続ける。
「ほら、最近、パンに塗ってる、あの甘い豆のペーストですわ」
「甘い……しかし……。いや、そうか……」
料理長の顔に見る間に驚愕の色が広がった。
「つまり、ミーア姫殿下は、この月団子は甘くしてデザートにも使えると……?」
「ええ。この食感、ケーキともクッキーとも違う、斬新な食感と言えますわ。こんな食感のデザートができたら、素晴らしいのではないかしら?」
「なるほど……。早速、作ってみましょう!」
ミーアの言葉に、ムスタは興奮した様子で、部屋を出て行った。
待つことしばし、皿にのって出てきたのは、黒い豆のペーストと白い月団子が絡み合ったものだった。豆のペーストを黒い空に見立てると、まん丸い月団子は、まるで本物の月のように見えて。
「うふふ、満月の夜空のようですわね。とても綺麗なお料理ですわ……」
などと、満足そうに頷きながら、ミーアはそれを一口、ぱくり、ぺろり。
もちもちとした団子に豆のペーストの優しい甘みが絡み合い、どっしりとした食べ応えがあった。香ばしい豆の風味と団子のほのかな麦の香り……。その素朴な風味の取り合わせもとても素敵だった。
むち、むち、っとしばしお団子を咀嚼した後、ごっくん、と飲み込んで……。
ミーアは言った。
「素晴らしいお味ですわ……。とても斬新で、見事なデザートですわね」
そうして、ニコニコと笑みを浮かべるミーアであったが、次の瞬間、ハッとする。
――わたくしと料理長、二人で考えただけでもこれだけのお料理ができる……。であれば、この新しい料理法を人々の間に広めたら……あるいは、わたくしが思いもよらなかったような美味が生まれるかもしれませんわ。あの、フルーツサンドイッチのような……。
ミーアは極めて、食に貪欲なのだ。神妙な顔で腕組みしつつ、ミーアは言った。
「せっかくですし、誕生祭に集まったみなさんにも、これ、食べて、知っていただいたらいいのではないかしら?」
「えっ……?」
「こんなに寒い中、わたくしの誕生祭に集まってくれた人々をもてなしたいですし。あなたが用意してくれたあの月団子スープなども一緒にお出しするのが良いのではないかしら? それで、調理法も一緒に知らせてあげれば……」
「なるほど……。もともと、この料理はミーア二号小麦に最適な調理法を人々に知らしめたくて生み出したものなのですが……。それを広めるためにも、良い方法かもしれません」
ムスタは感じ入ったように頷いてから、
「では、さっそく、用意して人々にも配膳してみましょう」
力強く請け負ってくれるのだった。
この年の、皇女ミーアの誕生祭は、例年より小さな規模でスタートした。
けれど、祭りの二日目。皇女ミーアによって配られた料理が、その流れを変えた。
とても体が温まる月団子汁はもちろん、新感覚のスイーツは人々の、特に女性や子どもたちの心をガッチリと掴まえた。
それを見ていた商人や、料理屋の店主たちも、作り方を教わり、似たようなものを出したことで、帝都中にその料理法が拡散。
その冬の一大ブームとなり、ミーア二号小麦を美味しく食べる方法として人々に知られるようになったのだった。
それを見て、ミーアは満足げな笑みを浮かべていた。
帝国の叡智ミーア・ルーナ・ティアムーンは稀代の食道楽家として、後世に名をとどろかせた人である。
そしてそれは、決して悪い文脈で語られる評価ではなかった。
彼女は食の楽しみを知り尽くす人だった。彼女は美食を一人きりで楽しむことは決してなかった。よりたくさんの人と、より楽しい食事を。それこそが食の楽しみの神髄であるとでも、言うかのように。
惜しげもなく美味しいものを人々に振る舞い、一人でも多くの人が……飢えないどころか、食事を楽しめるよう、様々な食材に対する料理法の開発を推奨した。
よりたくさんの食材を、より美味しく食べること……。そのことを誰よりも大切にした人として、ミーアは後年に語り継がれていた。
いろいろな食材を美味しく食べられれば、その分、食料が不足することもなくなる。それに、一部の者だけが美味しい物を食べるようなこともなくなるだろう。
帝国最高の女帝として知られる彼女は、大陸食文化の中興の祖としても知られる人であった。帝国を中心とし豊かに花開いた食文化は、長く続く平和を彩り、華やかに飾るものとなっていくのであった。
その中核を担ったのが、女帝ミーアと料理長が考案した満月団子をはじめとした「満月全席」という総称の料理群だったりするのだが……。
それはまた別のお話である。
もうだいぶ前の話ですので、お忘れの方もいらっしゃるかもしれませんが、433部分、小麦秘話ヒストリーと関連話です。懐かしい。