第六話 紡がれる友情、一歩一歩
「そんな具合で片付きましたの」
一息に話して、ミーアはお茶を一口飲んだ。それから、おもむろに干物に手を伸ばし、千切って一口、むぐむぐ、と噛んでゴクリ……。それから、改めて顔を上げる。
「それで、蛇の暗殺者のカルテリアさんなんですけど、できれば、ガヌドス港湾国から離して幽閉するのがよろしいのではないかと思いますわ。また、ヴェールガ公国のお力を借りたいのですけど……ラフィーナさま?」
「え……あ。ええ。そうね、カルテリアさんの処遇は、もちろん、ヴェールガ公国で担当するのがいいでしょう。蛇は、周りに感染する厄介な思想だものね」
一瞬、干物を食べるミーアを見て、呆気に取られてしまったラフィーナだったが、いつも通りの涼やかな笑みを浮かべ直してから続ける。
「それに、そう……。水土の薬、ね……」
「ルードヴィッヒに聞いたところ、創世神話と関わりがある、みたいなお話でしたけれど……」
「命の木の実や知恵の木の実の話は確かにそうだけど……。水土の薬、火風の薬の話は、いずれも神聖典の正典には載っていないわ。ただ、外典や、他の古い書物や伝承には参考になるものがあるかもしれない。少し、調べてみましょうか」
神聖典の正典から外された文書である外典、あるいは、その周辺の伝承、歴史書など、中央正教会の中には多くの書物が保管してある。いかにラフィーナでも、そのすべてを把握しているわけではない。
もしかしたら、役に立つ書物があるかもしれない。
「それに……ガヌドスの今後のことも少し気になるわ。私も行って、できれば直接、共同研究所の設立をお手伝いできれば、って思っていたけれど」
「まあ! ラフィーナさまが、ですの……? けれど、セントノエルのほうは……あ、そうでしたわね」
ミーアは、そこでハッとした顔をする。
そうなのだ……ラフィーナは、今度の春で学園を卒業することになっているのだ。
「それは……寂しくなりますわね」
「うふふ、そう言ってもらえると嬉しいわ。でも、セントノエルで仕事をすることもあるから、あまり寂しくはならないかもしれないけれど……」
それから、ラフィーナは紅茶を一口。その胸の内に生まれた寂しさを、静かに飲み下して……。
「ところで、ラフィーナさま。お土産のほう、どうぞ、お召し上がりくださいませ」
いい雰囲気でお開きにできそうだったのに、ミーアからのツッコミが入った。
ラフィーナ、カップを口につけた状態で固まる。
「あっ、もしかして、干物とか、お嫌いでしたかしら? だとしたら、大変申し訳ないことを」
「……そっ! そんなこと、ないわ。ええ、大好きよ、干物!」
思わず言ってしまったラフィーナは……自らが断崖絶壁に追い詰められたことを自覚した。
目の前、錯覚だろうか……干物の足がウネウネ蠢いているように見えた。
それから、ラフィーナは視線を上げる。っと、ミーアがニコニコしながら、
「それは良かったですわ。とっても美味しいから、きっと気に入っていただけると思いますわ」
ものすごーく嬉しそうに言った。わくわくした顔でラフィーナを見つめてくる。
その笑顔を……こんなに嬉しそうなお友だちを裏切ることなど……ラフィーナにはできなかった。
改めて……干物に目を落とし……これを食べるのかぁ……なぁんて、他人事みたいなことを思う。
いや、確かにわかる。
飢餓対策のため、活用できる海の食べ物をミーアはいろいろ買ってきてくれたのだ。
これは、共同研究所のために必要なことで、決して、自分に嫌がらせをしているわけではないし、まして、ミーアの食べ物の趣味が若干アレなわけでもないということは、わかっている。
ラフィーナはきちんと理解していて、だから、食べなければならないということはよくわかっているのだが……。
静かに息を吸って、吐いて……。
ラフィーナは決死の思いで、干物を口に入れたっ!
……潮の風味が利いていて、なかなか癖になりそうなお味だった。
もう一口食べてみて、改めて思う。見た目に囚われていたらいけないな、と。
心から反省するラフィーナであるのだが……。
「あ、それと、干物に比べれば、つまらないものですけど……」
目の前で、ミーアが再びゴソゴソし始めたのを見て、ラフィーナは、思わずクラァッとする。
「いえ、その、ミーアさん、もう私、お腹がいっぱいで……」
などと言いそうになるのを懸命に堪える。
――これは……大陸から飢餓をなくすための試練。であれば、すべてを飲み下してでも、前に進まなければ、いけないわ……。
そっと目を閉じ、心の中でそっと祈りをささげようとして……。
「本当は、もっと変わった食べ物を買ってこようと思いましたのよ? ポヤァという奇怪な食べ物があって」
ミーアをして奇怪と言わしめる食べ物を想像し、ラフィーナ、震える。けれど……。
「あの見た目とのギャップをお楽しみいただきたかったのですけれど、鮮度が大事とのことで。だから……ラフィーナさま?」
「え……ええ」
そうして、ラフィーナは恐る恐る目を開ける。あまりにもギュッと閉じていたせいで若干、潤んでかすれた視界の中……彼女は見つけた。
貝殻を使った、綺麗な髪飾りを……。
「えっ……?」
ぽかぁん、と口を開けるラフィーナに、ミーアは、ちょっぴり緊張した様子で……。
「あまり高価な物でなくって申し訳ありませんけど、こういったものもガヌドス港湾国っぽいのかな、と思いまして、買ってきましたの。気に入ってもらえたら嬉しいのですけど……」
ラフィーナは、恐る恐る、その髪飾りに触れる。
小さな貝殻を使ったそれは、とっても可愛らしいデザインで……。ラフィーナの目には、それはもうキラキラ輝いて見えたのだ。
なにしろ、女王烏賊の干物を超える、オソロシイモノが出て来ると思っていたのだ。
その期待値のギャップに、ラフィーナは、ぱぁあっと、輝くような笑みを浮かべた。
「ありがとう、ミーアさん! 私……すごく嬉しい。この髪飾り、大切にするわね」
髪飾りを胸で抱き、こぼれるばかりの満面の笑みを浮かべるラフィーナであった。
一方、大喜びのラフィーナを見て、ミーアは首を傾げつつ、
――ふぅむ……前の時には、アクセサリーの類も結局受け取ってもらえませんでしたけれど、こんなに喜んでいただけるなんて……。もしや、ラフィーナさまは、髪飾りがお好きなのかしら? それとも、このシンプルなデザインが良かったのか……?
こんなことを思っていた。
この時、ミーアは気付いていなかった。かつての自分と今の自分との大きな違い。
前時間軸のミーアは『聖女への貢物』を持って、ラフィーナのところに通っていた。
ヴェールガ公爵令嬢の権威を欲し、気に入られようとして、高価なアクセサリー類を選んで持って行ったのだ。
けれど、今のミーアが考えていたのは、
――うふふ、しかし、こんなふうに喜んでもらえると、こちらも嬉しいものですわ。次も、なにか良いものを選べればいいのですけど……。
そんなことで……。それはどちらかというと、お友だちへのプレゼントを選ぶ、年頃の娘のような感覚だった。
少しずつ、けれど着実に、二人の友情は紡がれていたのであった。