第三話 ベルっぽい人
ラフィーナは、干物にチラリ、と目をやってから、表情を変えることなく穏やかな笑みを崩すことないまま、落ち着き払った声で……。
「え、ええと、み、ミーアさん」
微妙に声が震える。動揺が隠せていなかった。
「あの、それ以外には、なにも事件などはなかったのかしら? たとえば、ほら、蛇がなにかちょっかいをかけてきた、とか? その辺りのこともできればお聞きしておきたいのだけど……」
「ああ、さすがはラフィーナさまですわ。ええ、確かに蛇も襲ってきましたわね。それに、ハンネス大叔父さまのことも、お話ししておいたほうがよさそうですわ。少し話が長くなるので、どうぞ、食べながら……」
「いえ! お友だちのミーアさんが、とっても真面目な話をしているのに、食べながらなんて、そんなことできないわ!」
凛とした、生真面目な聖女の顔で言うラフィーナ。その瞳からは、断固たる意思のようなものが窺えた。
それで、自然と、ミーアも姿勢を正す。
「そうですの? では、手短にいたしますわね」
「急がず、ゆっくりで大丈夫よ」
「え……?」
「その、蛇のことはきちんと聞いておきたいから」
なにやら、ちょっぴり焦った様子のラフィーナに首を傾げながら、ミーアは話し始めた。
「ガヌドス港湾国の国王、ネストリ陛下には、昔、恋人がおりましたの。その女性がヴァイサリアン族の出身で、二人の仲は引き裂かれた。その女性の子どもが、蛇の暗殺者でしたの」
ヴァイサリアン族とネストリにまつわる因縁話。そして、それに続けて話したのは、ハンネスとの会談のことだった。
「さて、それじゃあ、ハンネス大叔父さま、改めて、挨拶させていただきますわ。わたくしは、ミーア・ルーナ・ティアムーン。パトリシアお祖母さまの孫娘ですわ」
ガヌドスを発つ少し前のこと。
ミーアは宿屋の一室にて、ハンネスとの会談に臨んだ。参加したのは、ミーアとハンネス、ルードヴィッヒにアンヌ、ベル、シュトリナ、それにパティである。
「お初にお目にかかります。ミーア姫殿下。お噂はかねがね……」
深々と頭を下げるハンネスに、ミーアは一つ頷いて。
「率直にお聞きいたしますわ。ハンネス卿。パティ……パトリシアお祖母さまに関して知っていること、蛇について知っていること、すべてをお話しいただきたいんですの」
「蛇について……。ですか」
ハンネスはチラッとパティのほうに目をやった。
パティがコクリ、っと小さく頷くのを確認して……。
「クラウジウス家と蛇との関係は、すでにご存じのことと思いますが……。クラウジウス家は、蛇の支配下にある家でした。というより、帝国初期から続く貴族の家柄は、すべて蛇の影響下にあった。なぜなら……」
意味深に言葉を切ってから、彼は、どどぉんっと言った!
「初代皇帝陛下は、混沌の蛇の協力者であったからです!」
ドヤァッという顔に、思わず、おおっ! と声を上げたのは……残念ながらベルだけだった。
「おや……? あまり驚いておられぬ様子ですが……」
「ああ、ええ、まぁ、その辺りのことはおおむね知っておりましたので……」
「なんと、そうなのですか……。ああ、でも、よくよく見ればイエロームーン家のご令嬢もいらっしゃいますし、ご存じでも不思議はないか……」
ミーアの言葉に、ちょっぴり恥ずかしそうに頬をかくハンネス大叔父さまである。
――この方……なんか、ちょっとお調子者っぽいですわね。
そう思いつつ、ミーアはチラリとベルのほうに目をやり……。
――冒険家とか自称してましたし、ちょっぴりベルっぽいかも……。
それから、パティのほうに目を向けると、パティは……いつもよりも、さらに感情が読み取れない顔で、どこか遠くを見つめていた! それは、そう、失われた時を思うかのような、あるいは……純粋無垢であった弟を懐かしむかのような、そんな目つきだった。
まぁ、それはともかく……。
「その辺の帝国の歴史についてはご存じ、と……。では、私がパトリシアお姉さまから『水土の薬』を探すよう言われていたことは……」
「ああ、それは初耳ですわ。その『水土の薬』というのが蛇の秘薬、大叔父さまの病を治すお薬でしたの?」
「そのとおり。お姉さまは、どこからか手に入れた水土の薬を、幼き日の私に飲ませ、病を癒してくださいました。そして、それ以降は病が治り切っていないふりをしながら、蛇の秘薬を探すように、と言われたのです」
未来の世界から、ハンネスを癒す薬を持ち帰ったパティ。そして、それを弟に飲ませた後、その歴史を守るべく、ハンネスに薬を探すように言ったのだ。
――って、グルグルしておりますわね……。実にややこしいですわ。
「パトリシアお姉さまが亡くなってからも、ずっと私は『地を這うモノの書』を探り続けました。神聖典に偽典や外典があるように『地を這うモノの書』にも複数の異本が存在するのですが、それらも可能な限り目を通し、周辺の歴史や伝承も調べました」
「ハンネス大叔父さまは、憑りつかれたように蛇の本を読んでいたとお聞きしましたけれど、なるほど。そう言う事情があったのですわね」
「はい。その結果、少なくともヴァイサリアン族というのは、かなり古い時代から蛇の影響下にあったこと、『地を這うモノの書』を保持していたことを突き止めました。であれば、彼らが、その薬か製法、その材料となるものを持っている可能性があるのではないかと考えたのです」
「それで、国外に脱出した際に、ガヌドス港湾国に行ったわけですわね」
納得の頷きを見せるミーアに、気をよくしたのか、ハンネスは饒舌に続ける。
「残念ながら今の彼らはそれを持っていなかった。けれど、希望はまだあります。彼らの故郷には、それが残されているかもしれない」
「故郷……?」
「ええ。彼らが初代皇帝と出会う前。どの土地に住んでいたのか……それさえはっきりすれば、あるいは……」