第一話 ピン、ポン、パクン!
――ねっ、眠れる獅子を起こそうとするなど、いったいどこの恐れ知らずが、そんなことをしたんですの? そんなことをするのは、ベルぐらいしかいないはず……でも、ベルはわたくしと一緒に来ていたというアリバイがございますし……。うぬぬ。
難解なアリバイ崩しに頭を悩ませつつも、ミーアはラフィーナを自室へと招待した。
「空中庭園でお茶と洒落込みたいところですけど、さすがに冬は寒いですし。わたくしの部屋で、申し訳ないのですけど……」
などと殊勝なことを言うミーアに、ラフィーナは小さく首を振り、
「いいえ。嬉しいわ。お友だちのお部屋に遊びに行くことなんて、たまにしかないから」
少しだけ寂しそうに笑った。それから、深いため息を吐き……。
「はぁ、やっぱり、駄目ね。ついつい引きずってしまって。せっかく、ミーアさんのお誕生日をお祝いしに来たのに……」
などと表情を曇らせる。
「それは別に構いませんけれど……いったい、なにがありましたの? 珍しいですわ。ラフィーナさまが、そんな風にお怒りを露わにされるだなんて……」
笑顔で怒るラフィーナを見るのは、前時間軸、いや、サンクランド以来だっただろうか……。最近はすっかり、獅子みも抜け、親しみやすい感じになってきたラフィーナである。
「いったい、なにがありましたの?」
眉を潜めるミーアに、ラフィーナは再び、ため息を吐いてから、
「実はね……」
不満たっぷりに頬をぷくーっと膨らませて……。
「先日の聖夜祭でのことなんだけど……ミーアさんたちがいない時に、ヴェールガから司教が派遣されてきたのだけど……」
セントノエル学園での一件を話し始めた。
毎年、冬に行われる聖夜祭は、中央正教会最大の祭りだ。
セントノエル学園でも、例年、ヴェールガ本国から司教がやってきて、儀式を執り行うことになっている。
今年、セントノエル島にやって来た司教は、マルティン・ボーカウ・ルシーナという男だった。
この年、三十九歳になるこの男は、司教にして伯爵を務めるヴェールガの重鎮だった。けれど、それだけでなくヴェールガ公国の中では、さらに特別な地位にある男だった。
自由港湾都市セントバレーヌ。ヴェールガ公国の飛び地にして、商人たちが治める黄金の港……その地に派遣された司教こそが、他ならぬこの男であったのだ。
「ご機嫌よう。ルシーナ司教。お久しぶりですね」
涼しげな笑みを浮かべるラフィーナに、ルシーナ司教は深々と頭を下げる。
「ご機嫌麗しゅう、ラフィーナさま。こうして、拝謁が叶ったこと、心からお喜び申し上げます」
「どうかしら? セントバレーヌの様子は」
セントバレーヌは極めて難しい土地だった。ヴェールガでありながら、ヴェールガではない。その地は、商人たちの組合によって治められており、治安などは彼らが雇った自警団によって守られている。
最も宗教心に篤いヴェールガ公国の飛び地ながら、そこは商人的な……合理主義的な金銭至上主義が思想の根底にある、変わった土地と言えた。
「相変わらずでございます。かの地は、金貨が支配する土地。それは永久に変わることがないことでしょう。まぁ、その分、献金は潤沢にいただいておりますが……」
ルシーナ司教の言葉は、どこか苦味の感じられるものだった。
ラフィーナは静かに彼の様子を見つめてから、
「それにしても珍しいわ。あなたがセントノエルに来るなんて。どういう風の吹き回しなのかしら?」
セントバレーヌ派遣司教は重鎮とはいえ、国の中央とはいささか離れた地位である。
聖夜祭のような大きな儀式の場合にも、ほとんど派遣先のセントバレーヌから離れることはないはずなのだが……。
ルシーナ司教は、やや表情を引き締めて、ラフィーナのほうに目を向け、
「実は、ラフィーナさまに直接、申し上げたきことがあり、こうして参上いたしました」
重々しい口調で言った。
ミーアは、そこまで話を聞いたところで、ピンっと来た。
「ああ……もしかするとその方は、ラフィーナさまの恋愛事情に口出ししてきたということではないかしら……?」
ミーアは思わず、ポンッと手を打つ。
これは、もしや楽しいお話しなのでは? っと思い至ったミーアは、いつの間にやらテーブルの上に並べられていた野菜ケーキに手を伸ばす。
フォークで綺麗に切り分けて、パクンッとあまぁいスポンジ生地を口に入れる。
恋バナの時には、甘いケーキは欠かせないのだ。
けれど、そんなミーアを見てラフィーナは不思議そうな顔をしていた。
「私の、恋愛事情……? なんのことかしら」
「なんのことって、馬龍先輩とのデートがヴェールガの重鎮にバレたとか、そう言ったお話しではありませんの?」
そう指摘してやると、途端に、ラフィーナは口をポカン、っと開け……。次の瞬間には、
「なっ! そ、そんなのではないわ。そもそも、私と馬龍先輩とは、そ、そんな関係じゃ……」
「あら、そうなんですの? てっきり、またこの冬休みには遊びに行くものとばかりに……」
「まぁ、行く約束はしているけれど……で、デートとかじゃない……と思うし? あくまでも馬に乗りに行くだけで……もう!」
そんな風に頬を膨らましつつも、お友だちと恋バナをして……心なしか楽しそうなラフィーナである。
――しかし、ルヴィさんもですけど、ラフィーナさまも負けず劣らず恋愛には疎いですわね。
……などと、ちょっぴり上から目線に評するのは、アベルとの幅広い恋愛経験を誇る帝国の恋愛脳、ミーア・ルーナ・ティアムーン皇女殿下である。
「騎馬王国の民は、神聖典の中に登場する重要な民族よ。ヴェールガ公国との関係も悪くないし、姻戚関係も過去にないではないの」
騎馬王国十二部族の内、水の一族は儀式を司る一族だ。中央正教会の儀式にも通じる彼らとヴェールガ公国には深い結びつきがある。
ゆえに、林族の馬龍とラフィーナが恋仲になったとしても特に問題はなく……。
「まぁ、だからといって、私と馬龍先輩は別に、そういうのじゃないけど……」
なぁんて、恋する乙女の顔で言うラフィーナが、ちょっぴり微笑ましいミーアである。
――この調子なら、獅子が目覚める恐れは少ないのかしら……?
と、安堵したのも束の間……。
「では、なにが、ラフィーナさまをそんなに怒らせたんですの?」
改めて尋ねると、途端にラフィーナはこわぁい顔をして……。
「酷いのよ。ルシーナ司教は、私がミーアさんと仲良くし過ぎることは問題だ、って言ったの」
「…………はぇ?」
思わぬ方向から来た波に、ミーアは、なんとも間の抜けた声を上げた。