第九十二話 妄想、はかどる!(ルードヴィッヒの)
「わかりました。それでは、姫殿下のご意向に沿えるよう取り計らいましょう」
「よろしく頼みましたわよ、ルードヴィッヒ。すぐにティオーナさんに来るように……、いえ、わたくしがあちらに行った方がいろいろと都合がよろしいですわね。そういうことで、手配をよろしくお願いするわね」
一礼し、ミーアの前を辞するルードヴィッヒ。その後をアンヌは小走りに追いかけた。
「ルードヴィッヒさん、少しいいですか?」
「ん? ああ、どうかしたのかい?」
アンヌに話しかけられることは珍しかったから、ルードヴィッヒは少し驚いた顔をした。
「あの、つかぬ事をお聞きしますが、ルードヴィッヒさんはミーアさまのお話を聞いて、どう思われましたか?」
「ああ、そうだな……、一言で言ってしまうと、さすがはミーアさま、といったところだろうか」
その答えを聞き、アンヌは安堵のため息を吐いた。
「ルードヴィッヒさんが納得してるということは、ミーアさまの考えは間違ってなかったんですね……、よかった」
「うん? どういう意味だ?」
「実は……」
首を傾げるルードヴィッヒに、アンヌは先ほどまで自分が抱えていた不安を話した。
「なるほど……、そういうことか」
「でも、大丈夫ですよね? ミーアさま、正しいことをしてるんですよね?」
「正しいかどうか、というのは一概には言えないな。姫殿下のお考えが上手くいくかはわからないし、俺にあの方の狙いのすべてが理解できるとも思わないから。けれど、少なくとも理にかなったことをしているとは思うよ」
「理にかなったこと……ですか?」
不思議そうにつぶやくアンヌを見て、ルードヴィッヒは頷いた。
「そうか……、君は平民の出だったな。それだったら、ピンときづらいかもしれないな。実はルドルフォン辺土伯の子は、長女のティオーナさまと、弟君のセロさまだけなんだ」
「それが、なにか関係しているんですか?」
「平民もそうだろうけど、貴族にとって跡取りというのは特別に重要だ。そんな大切な跡取りを二人とも国外の学校に行かせるというのは、ルドルフォン卿にとってあまり嬉しい話じゃないってことさ」
仮に、公国で政変が起きた場合。あるいは、公国が他国から侵略を受けた場合。
もしくは、もっとありえそうな話として、学園で火事が起こり、生徒に犠牲が出た場合。
「その場合、ルドルフォン卿は、一度に跡取りを失ってしまうことになる。それは貴族として避けたいはず。それに勉学だけでなく、領地のこともしっかり教育したいはずなんだ。なんといっても貴族は領主だからね」
自らの治める土地がどのような場所か、そこにどんな人々が住み、どんな町があり、どんな産業があるのか。
それをどのようにして治めていくか……。
貴族が覚えるべきことは山のようにある。
「だから、もしも、同じ条件で勉学に励めるとするならば、きっと帝国国内ですることをルドルフォン卿は望むはずだ」
「なるほど……、そんなご事情が」
「それに、ミーアさまのご学友には、フォークロード商会の令嬢がいる。かの商会は、本の流通にも携わっている。となれば、ご学友の力を借りて必要なものは集めるつもりなのだろう。公国で得られるのと遜色ないぐらいには知識を集めると思う。ルドルフォン卿の心をおもんぱかって、帝国内で最高の教育を受けられるよう手配するだろう」
もちろん、ミーアはクロエを頼って、たくさんの本を得るつもりではいる。
しかしながら言うまでもなく、ルドルフォン辺土伯の気持ちをおもんぱかって、などということではまるでない。
あくまでも、寒さに強い麦のため……、だ。
実利を真っすぐに追い求める、きわめて打算的な判断に基づくものなのだ。
にもかかわらず、ルードヴィッヒの推理という名の妄想は加速していく。
――そして、恐らく、これはバランスを取るためでもあるんだろうな……。
ルードヴィッヒは心の中で付け加える。
先の静海の森の件で、一番の損をしたのはルドルフォン辺土伯だ。名誉を得たベルマン子爵、繁栄への道を用意されたルールー族、それに対して、ルドルフォン辺土伯は自らの土地を切り取られただけだ。
あの場所で紛争が起こらなかっただけで御の字とはならないだろう。
ルールー族とも友好関係にあったのだから、表向きは平和裏に収まってよかったと言うかもしれないが、やはり釈然としないものを感じるはずだ。
そのことに対しての、償いのつもりなのだろうが……。
――さすがだ、ミーアさま……。あの方は、情に厚いことを無能の言い訳にしない方だ。
聖女と謳われるミーアは、友を大切にし、民に対しては情け深く……、それ以上に賢い。
民のためだからと言ってムダ金を使うこともせず、友のためだからと言って、ただ便宜を図ることもない。
きちんと政治的なバランスと友情と思いやりとを完全に両立する。
慈愛の聖女にして、帝国の叡智なのだ。
――俺にわかるのはこれだけだが……、ほかにも何か狙いがあるのだろうか?
数年の後、セロ・ルドルフォンが生み出すことになる強靭な小麦を見て、ルードヴィッヒは腰を抜かすことになるのだが、それはまた別の話である。