第百二十八話 時至りて、策なれり
ネストリ王の部屋から出てすぐに、ミーアはオウラニアに声をかける。
「あれで、よろしかったんですの?」
その背に問う。あの解決で、本当に良かったのか、満足なのか……、と。そんな問いかけに、オウラニアは、どこかスッキリした顔で振り返り、
「んー、もう少しー、痛い目見せたほうが良かったですかー?」
「いえ、そうは言いませんけれど……。その、大丈夫なんですの? オウラニアさんは……」
「残念だけどー、私のほうからできることは、なにもないですからー」
オウラニアは、そうして、ちょっぴり寂しげに笑う。が、すぐに……頬を膨らませて、
「でも、いつまでもー、昔の失恋を引きずって政治をされるのは迷惑だからー。なにもしたくないって言うなら、大人しく玉座に座っていてもらおうかなーってー」
ミーアは、まじまじとオウラニアの顔を見て、それから思わず吹き出した。
「なかなか、辛辣ですわね。オウラニアさん」
「えー? そうですかー? でも、ヴァイサリアンの子どもたちのことを思えばー、あんなふうにウジウジしてなんかいられないからー。あらー?」
っと、その時だった。オウラニアが小さく首を傾げた。その視線を追っていくと、そこには、
「これは、オウラニア姫殿下、ミーア姫殿下、ご機嫌麗しゅう」
深々と頭を下げるグリーンムーン公の姿があった。
「あら? 妙なところで会いますわね……。あ、もしや、国王陛下と、悪だくみでもしに来たのかしら?」
「ははは。国王陛下のご様子を伺うに、悪だくみであれば、オウラニア姫殿下とするほうが、実りがありそうな気がいたしますな」
チラリ、とオウラニアに視線を向けるグリーンムーン公。オウラニアは、それを笑顔で受け流すと、
「それでは、ミーア師匠ー。私は、これでー」
さっさと退散していく。
――面倒事の臭いを察知して、逃げましたわね。オウラニアさん。まぁ、グリーンムーン公は、帝国貴族ですし、別に押し付けられたとは思いませんけれど。
小さくため息。それから、ふと思う。
――この人は、帝国革命時に国外脱出してましたけど……蛇との関わりはどうだったのかしら……? エメラルダさんは、蛇のことも初代皇帝のことも知らなかったみたいですけど……。
などと考えつつも、ミーアは小さく咳払い。
「しかし、今回のヴァイサリアン族のこと、上手く事が運んでなによりでしたわ。あなたには、良い結果ではなかったでしょうが、ラフィーナさまに目を付けられなかっただけでも、幸運と思っていただきたいですわね」
「なるほど。確かにそのとおり。本来であれば私は、苦々しくも、目の前の現実を受け止めるべきなのでしょうが……ふふふ」
っと、そこで、グリーンムーン公は、かすかに笑った。どこか嬉しげですらあるその笑みに、ミーアは思わず面食らう。
「あら? なにか、笑うようなことがあったかしら?」
「いいえ。ただ、感銘を受けているのです。あの方の策が……長き時を経て、このような果実を実らせようとは……」
「策……? はて……?」
小首を傾げるミーアに、グリーンムーン公は告げた。
「ヴァイサリアン族を捕らえ、島に隔離しておくこと……、それを提案されたのは、ほかでもない。ミーア姫殿下、あなたさまのお祖母君、先代皇妃パトリシアさまだったのです」
「はぇ…………?」
ミーア……、思わずヘンテコな声をあげる。
――え? なっ、ちょっ、ぱ、パティ……?
思わず、パティのほうを見れば、パティは、やはり、ぽっかーんと口を開けていた。
――い、いったい、これはどういうことですの? なぜ、パティは、そんな酷いことを……?
っと、首をひねるミーアであったが、それに気付いていないのか、グリーンムーン公は穏やかな声で解説を続ける。
「海賊行為に対する怒り、恨み。それらが直接的に、ヴァイサリアンの民全体に及ぶ危険があった。ゆえに、本土では受け入れず島に隔離する。そして、我がグリーンムーン家を通して島の体制を維持するようガヌドスに働きかけたのです」
それを聞いて、ミーアは、すとんと腑に落ちるような感覚を覚えた。
――ああ、なるほど。それは、確かに必要な措置なのかもしれませんわ。
確かに、島に隔離するというのは、非人道的な行いだ。おそらくは、非難されるべき政策と言えるだろう。されど、それをしていなければどうなっていたか……?
ヤナやキリルの陥っていた苦境。なぜ、ミーア学園・セントノエルの共同施設を作り、ヴェールガ公国の目を、ガヌドス国内に光らせなければならなかったのか……。
民の行動を、統治者がコントロールするのは難しい。目に見えない影で、ヴァイサリアンの弱者が酷い目にあったであろうことは、想像に難くない。
隔離島は、ヴァイサリアン族への憎悪が薄れた今でこそ不適切な政策となったが、その憎悪を薄れさせる時間を稼ぐためには、必要なものだった。
ヴァイサリアン族に苦役を課して、国内の人々の怒りを和らげ、なおかつ、彼らに過剰な暴力が振るわれないように体制を整えた。さらに……。
「あなたが、お祖母さま亡き後も、その状況を維持したのは、それなりに旨みがあったからではなくて?」
ミーアは、ジトッとした目で見つめる。っと、グリーンムーン公は楽しげに笑った。
「まさか、滅相もないことでございます。それは、邪推が過ぎるというもの……」
などと笑ってはいるが……。
無償で、造船ができるというのは、ある種の奴隷労働を使うのと同じだ。旨みは当然あるし、利益が発生する仕組みであれば、維持しようとする者たちは多かったはずだ。
仮に、ヴァイサリアンの民を血祭りに! などと、海賊行為の被害者が言い出したところで、議会はそれを突っぱねるだろう。
グリーンムーン公にしても、その利益に食い込めたのだとしたら、維持するよう働きかけを続けたに違いない。
――パトリシアお祖母さまは……グリーンムーン公の、この性格も見抜いていたのかしら……?
一瞬、考えかけるも、すぐに首を振り、ミーアは言った。
「いずれにせよ、今まで、ヴァイサリアン族で利益を得てきたのであれば、当然、その分は還元していただきますわよ? グリーンムーン公。これから先、オウラニア姫殿下は、難しい舵取りをしなければならない。国王陛下はあんな様子ですし、議会のコントロールにだって苦労するでしょう。ゆえに、あなたには、我が友、我が弟子、オウラニアさんに、きちんと協力していただきたいですわ」
きっちりと釘を刺しておく。
オウラニアがきちんと国をまとめられるということは、ミーアにとってもメリットが大きい。それに、ヴァイサリアン族を説得したのは、他ならぬミーアである。彼らが無事にガヌドス国民に受け入れられなければ、寝覚めが悪いだろう。
さらに、グリーンムーン公自身は、皇帝になる資格を持つ子どもたちの親でもある。
エメラルダが押さえとして効いているうちは良いが、将来への禍根を残しかねない要素ではあるわけで……。ゆえに……。
「特に、わたくしは期待しておりますのよ? グリーンムーン家の持つ知識と人脈に。研究所の設立には、そう言った人脈がどうしても必要ですから」
「セントノエルとの共同研究施設の設立に協力せよ、と……?」
「それと、ヴァイサリアン族の教育も、かしら?」
セントノエル、ヴェールガ公国との繋がりが増えれば、悪いことはできなかろう? と、ミーアは内心でほくそ笑む。自分の息子を次期皇帝にする、と言った秘密工作に力を入れる余力もなくなるだろうし……。
そんなミーアに、グリーンムーン公は、やや憮然とした顔で問うた。
「それは、ヴァイサリアンの隔離を黙認していた私に、贖罪の機会を与えるということでしょうか? ヴェールガに、それをアピールする機会を設けよう、と?」
「あなたが、パトリシアお祖母さまの言葉を厳守し、ヴァイサリアン族を守るためにしていたというのであれば、贖罪は必要ないでしょう。この機会に善行を積めばよろしいですわ。けれど、もしも、隔離島という状況に旨味を感じ、悪徳を行っていたという自覚があるならば、贖罪のために励めばよろしい。それだけのことですわ」
ミーアは、そこで、頬に指を当てて、
「ただ、過去に囚われ、足を止めるのは統治者として愚かなこと、と、先ほどオウラニアさんに教わりましたの。だから、あなたも過去ではなく、より良い未来のために手を携えていければいい、とわたくしは思っておりますわ」
澄まし顔で言ってのけるミーアに、グリーンムーン公は……。
「なるほど……そうするのがよさそうですな」
ふっと力の抜けた笑みを浮かべるのだった。