表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
934/1477

第百二十六話 そして彼女は歩き出す

「お父さま―」

 意を決した様子で、オウラニアが口を開いた。けれど、そう呼びかけた後、言葉が続かなかった。言うべき言葉を探すように、オウラニアは視線をさ迷わせる。

「オウラニア、私が憎いか……?」

 そんな娘に、ネストリは静かに問うた。

「憎んでもらっても構わんし、お前にはその資格があろう。だが、あいにくと、お前に殺されてやるつもりはない。我が命をお前にやることもない。この命は、ただ、我が息子、カルテリアのものだ」

「ずいぶんと、息子さんに固執しているようですけど、もし、彼がこの国が欲しいというなら、王位を譲るおつもりですの?」

 そうなると面倒なことになる……と一瞬だけ懸念したミーアであったが、その問いかけをネストリは鼻で笑い飛ばした。

「欲しいというならば、もちろんくれてやるが……こんな国が欲しいとは思うまいよ」

「なるほど……それはそうかもしれませんわね」

 確かに、ヴァイサリアン族を受け入れたこの国は、これから先、色々と苦労しそうだし、進んで苦労を背負いこんで王権を欲する者など、ミーアからしてみれば、想像の埒外の存在、端的に言ってヤベェ奴である。

 ――しかし、蛇的な視点でいえば、ガヌドス港湾国の王というのは、割とねらい目という気もしますけど、どうなのか……。

 などと、ミーアが会話をしている時だった。

 不意にオウラニアが、ああ、っと小さく声を上げた。

「ああ、そうだわー。私、結局、これを言おうと思っていたのねー」

 パンッと手を叩き、実にスッキリした顔をして、オウラニアは父の顔を見つめ……そして。

「お父さま―、私はー、あなたを許すわー」

 意外なことを言った。

 静かな、穏やかな声で、笑みすら浮かべながら言った。

『あなたを許す』と。

 想定外の言葉に、ミーアはまじまじとオウラニアの横顔を見つめてしまった。

「許す……? この、私を?」

 ミーアと同様、驚いた様子のネストリ王。そんな彼に、オウラニアは不思議そうに首を傾げた。

「あら? 私に恨んでほしかったのかしらー?」

「別に恨まれても、恨まれなくとも何とも思いはしないが……意外ではあった」

 彼の言葉に、ミーアも同意だった。

 ガヌドス国王の言葉は、一般的に見れば酷いものだった。娘より息子を重視し、娘には何の感情も向けぬ父というのは……娘からの恨みを買っても当然の存在と言えるだろう。許される要素は一つもないような気がするが……。

 ――もしかして、許す、とあえて温情を見せることで、お父上の気を惹こうとしてるとか……? けれど、そんなことでいちいち心動かされる方には見えませんけれど……。

 などと言うミーアの予想は、次の瞬間、裏切られることになる。

 オウラニアはあくまでも穏やかに、

「恨まないわよー。だって、あなたへの恨みに囚われているだなんてー、時間がもったいないんだものー」

 一刀両断した。

 オウラニアは堂々と言うのだ。

 お前と関わる時間は……復讐のためであったとしても浪費である、と。

「お父さまへの怒りにも、恨みにも、使う時間はないわー。私には、やるべきことが海辺の砂粒のようにたくさんあるんだからー、そんなことに使うなんてもったいないじゃないー」

 復讐に使う時間がもったいないから、許すことでそれを放棄してしまう、とオウラニアは言っていた。

 父への感情に心を使うことは浪費で、そんなことをしている暇がないから……オウラニアは、父を許すというのだ。

「だけどー、そうねー。今だけ、ほんのちょっぴり、嫌がらせさせてもらおうかしらー」

 そうつぶやいて、オウラニアは自らの頭に手をやった。

「これのこと、覚えておられますかー? お父さまー」

 そうして、オウラニアの差し出したそれ――魚の骨の形の髪飾りを見て、ネストリは首を傾げた。

「これはお父さまがー、唯一、私にくれた髪飾りー。まだ、私が小さい頃に、ご自分で釣った魚の骨を削って作ったものよー」

 そう言われても、ネストリ王は、ピンときていないようだった。

「ああ……。まぁ、ほんの気まぐれで作ったものだろう。あいにくと、覚えてすらない……」

 なんでもない、と首を振る父に構わずオウラニアは微笑みかける。

「お父さまが覚えてなくっても、私は覚えてるわー。全部、ぜーんぶね。あなたは、私になにも与えないって言ってるけど、そんなのは無理ですよー。お父さまー」

「……なに?」

「同じように、あなたは世界になんの影響もしたくないって……。自分はなにもしたくないっていじけてるけれど、それだって無理ですよー。だって、あなたは私を生み出してしまったから」

 優しく、あくまでも穏やかにオウラニアは言った。

それは、彼女の宣言。

 世界になんの責任も果たしたくないと告げる父へと。

 自分は王族として生き、世界に責任を果たしていくと……。それがお前の娘の姿なのだという……ぶん殴るような宣言。

「あなたは、なにもせず、ただ黙って見ているといいわー。あなたの血を引く娘を通して、世界に影響が広がっていくのをー。あなたが、望もうが望むまいがー、あなたという人間は、世界に影響を与え続けていくのー。この! 私を通してー」

 自らの胸に手を当て、力強く、オウラニアは言う。

「なにを、愚かな……そのようなこと……」

「邪魔は、できないでしょうー? だって、お父さまは、なにもしないのだから。私のすることを積極的に邪魔することだって、できないでしょう?」

 挑発するように、煽るように言う。それから、オウラニアはもう一度、その、魚の骨の髪飾りを頭につけ直した。

 かつて、それは、オウラニアの拠り所だった。

 素っ気ない態度をとる父が、本当は、自分のことを思っていてくれていると、その証なんだと――彼女がすがろうとしたものだった。

 けれど、これからは違う。図らずも、それはある意味では復讐の証だった。

 それは、父がしようとしたことは、決してできないのだと彼に見せ続ける証だからだ。

 でも、同時にそれは、一筋の救いでもあった。

 世界になにもしないと心に決めた男が……死の間際、今までの人生を悔いることが、仮にあった時……それは、一筋の光として差し込むものだからだ。

 自身の人生は無為ではなかったと……自身の娘が、世界に責任を果たしたと……そう思えるものだからだ。

 そして、仮にそうならなかったとしても、オウラニアには関係ない。

 彼女は、すでに許しているのだから。

「あなたを恨むなら、こんなもの捨てちゃうのがいいのかもしれないわー。復讐するなら、放り捨てて踏みにじるのがいいのかもしれない。カルテリアお兄さまは、お父さまから、名前も王位も、脱出のチャンスも受け取らなかったって聞いたけどー、私はありがたくもらっておくわー。だってー、復讐のために捨てちゃうなんて、お父さまのゆえに手放すだなんてもったいないものー。いただける王位は、きちんと有効に使うし、この髪飾りもー」

 そうして、オウラニアは髪飾りをつけ直して見せて……。

「ほらー、とっても可愛いでしょうー? お父さまのために捨てるだなんて、もったいないものー」

 ヤナやキリル、ヴァイサリアンの子どもたちのために……ガヌドス港湾国という国のために、そして、ミーアの弟子として自身を研鑽するためにも、時間はいくらでも必要だ。だから、彼女は復讐のためになんか、一秒たりとも使わない、と、そう決めたのだ。

今のオウラニアの心には、蛇に付け入られるような後ろ暗いところは、もはや一遍もない。

 なぜなら、彼女はもう許しているからだ。

 父の側が歩み寄ってくれば、彼女は決して拒絶しない。謝罪は受け入れるし、父としての情を向けるなら、娘として情を返すこともあるだろう。

 なぜなら、彼女は、もう許しているからだ。

 父がどうであったとしても関係ないのだ。

彼女の中で、自分の選択は決まっている。彼女は堂々と胸を張って、許しているのだ。

 それは、オウラニア・ペルラ・ガヌドスという一人の少女の、王族としての第一歩であった。

「それでは、お父さま、ご機嫌よう」

 優雅にスカート裾を摘まむと、オウラニアは部屋を出て行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 悲しいかなネストリ王、オウラニアは既に大海を知り、自由に世界を舞う力を得ている 貴方はもう、名無しの愚王として消えることは出来ない
[良い点] 格好いいね、この姫様 最高じゃないか! [一言] なんか、魚の養殖が上手く行ったとか 新技術の船ができたとか 王様に逐一報告にくるオウラニアが想像できるw のんびり口調なのに凄い仕事してる…
[一言] オウラニア様カッケェ!! 予想外な展開に大興奮です! いいですねぇ。こうゆうの大好きです♪
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ