第百二十五話 祖母と孫のアイコンタクト
ガヌドス国王、ネストリ・ペルラ・ガヌドスは、自室に閉じこもっていた。
彼は表向き、娘を救うために暗殺者のもとに赴いた勇敢なる王ということになっている。どちらかというと同情され、尊敬されるべき立場ではあるのだが……。今は、どこか腫物を扱うような態度で、周囲の者たちは接していた。
それは、言うまでもなく彼が、犯人であるカルテリアの助命と赦免を宣言しているからである。
――まぁ、そんなことをすれば、普通に考えても反応に困りますし……。周囲の者としても、この扱いは当然かしら。
しかも、彼は、カルテリアのことだけ明言すると、そのまま部屋に閉じこもり、以降、議会に顔を出すことはなかった。ヴァイサリアンの受け入れや、ミーア提案のミーア学園・セントノエル学園共同研究所のプロジェクトについても、一切、口出ししようとはしなかったのだ。
――こちらとしては、余計なことを言われないというのは好都合ですわね。それに、犯人を処刑しないというのも、こちらの方針とは一致しますわ。けれど……。
チラリとオウラニアのほうを窺い、小さくため息……。
――オウラニアさんは、どう考えているのかしら……? お父さまの、この反応を……。
ある程度は元気を取り戻したように見えるオウラニアであるが、父の言葉次第では、また傷つき、部屋に引きこもってしまうかもしれない。いや、それ以上に、憎悪によって歪められて、蛇に取り込まれる危険だってある。それはなんとか避けたいところだが……。
っと、ミーアがモヤモヤ考え込んでいるうちに、オウラニアは、さっさと扉をノックしていた。
ちなみに、同行するのはミーアとパティである。さすがに、ルードヴィッヒやディオンを伴って、一国の王のもとを訪れるのははばかられたためだ。
――まぁ、カルテリアさんなどと違って、いきなり襲われるということもないでしょうし……あら? でも、オウラニアさんがいきなり殴りかかったりしたら、それをわたくしが止めなければならない、ということになるのかしら?
ミーアは自分より頭一個分背が高いオウラニアを見て、そのあとで、自分よりさらに小さなパティのほうを見る。っと、パティはミーアのアイコンタクトに気付いたのか、オウラニアのほうに目を向け、わずかに考えた様子で首を傾げてから、
『私では無理……』
とばかりに困った顔をする。
小さな祖母を頼る気満々であったミーアは、思わず、ぐむっと小さく呻く。
そうこうしている間にも、オウラニアは部屋の中に入って行ってしまった。仕方なく、ミーアも後に続く。っと、すぐに、窓際にたたずむ王の姿が見えた。
ネストリ王は、ミーアのほうに顔を向けると、皮肉げな笑みを浮かべた。
「これはこれは、帝国の叡智ミーア姫殿下に直々にいらしていただけるとは。お心遣い、痛み入る」
「ご機嫌麗しゅう、ネストリ陛下。お元気そうでなによりですわね。たびたび、お命を狙われて、さぞやご心労のことと思いますけれど……」
実際のところ、ミーアは、少しだけ彼に同情していた。
命を狙われるというのは、あまり気持ちの良い経験ではない、と、ミーアは身をもって知っていたからだ。
「どうかしら、ご気分は……」
「あまりよくはない。正直なところ、余計なことをするものだ……と思っておりますよ。なぜ、愛する我が子の手で殺されたいと願うこの者の命を救うのか……愚かで無駄な労力だ、と」
ネストリ王の言葉に、ミーアは渋い顔をする。
「お父さまー」
その時だった。オウラニアが静かに口を開いた。
「オウラニア、か……」
彼は、ようやく気付いたと言った様子で娘のほうを見てから、スッとその目を逸らした。
気まずくて逸らした……という感じではなかった。ただ、ああ、そこにいたのか、と確認し、すぐに興味を失った様子だった。
「お前と話すことは特にない……いや、私の暗殺の嫌疑を背負わせてしまったのだったか。あれは、すまないことをしたと思っている」
そうして、彼は頭を下げた。
一見するとそれは、誠意ある公人の態度で、それ故に、父が娘にすることとは程遠いものに見えた。
――ネストリ王からは、娘に対する情が一切窺えませんわ。他人に対する礼はあっても、血のつながった家族に対する温もりが、まるで感じられない。
けれど、オウラニアは、特に気にした様子もなく、ただ父を見つめ続けた。
それを見てネストリは、困ったように眉根を寄せた。
「なにか……父親らしい言葉をかけてやればいいのだろうが……残念ながら私は、お前になにも思わない。残せるものはない。王位はお前に渡るのだろうが……それは、お前がただこの国の王の娘に生まれたから継ぐものであって、私が意図して残すものでもないだろうし……」
「どうして……私をー、生ませたのですか?」
震えるようなオウラニアの声……。その答えは、あの灯台の上で告げられたのと同じもので……。
「私は、この世界になにもしたくなかった。なんの影響も与えたくなかった。ゆえに、世継ぎを残す必要があった。“世継ぎを残した”という事実が必要だった。ティアムーンの先代皇妃さまに、そう説得されてな。だから、お前の母を娶り、お前を産ませた。お前個人に含むところは何もない」
ただ淡々と、彼は告げる。
オウラニアのことを、憎んでも嫌ってもいないし、愛しても好いてもいない。
オウラニアに求めていたのは、ただ、世継ぎとしての存在。
ただ、普通に世継ぎを残したという事実。
それだけで、彼は、ガヌドス港湾国の王家の血筋を絶やすという多大な影響を、世界に与えずに済む。
彼は、世界を憎んではいなかった。別に壊したいとも思っていなかった。
でも、彼は世界を愛してもいなかった。なにかを建て上げたいとも思っていなかった。
別に憎いと思っていなかったから、オウラニアの母を離縁した。いや、むしろ「愛を求める妻」に、自分では愛を与えることができないとわかっていたから、誠意をもって離縁を突きつけたのだろう。
愛せないが……憎んでもいなかったから……そうしたのだ。
彼が、感情を向ける先はただ、かつて愛した女性と、その息子のみなのだ。
――こっ、これって、かなり、ショックなことなのでは?
ミーアは、そっとオウラニアのほうに目を向ける。っと、オウラニアは、一つ、二つと瞬きをしてから……。
「お父さまー」
静かに口を開いた。