第百二十二話 ミーア姫、ふんわりと疑問を呈す
「ミーアさまが直々に尋問をなさると……そういうことでしょうか?」
蛇の男と話がしたい、と話したところ、ルードヴィッヒは、微かに姿勢を正した。
「ええ、まぁ……」
一応は頷いておく。本当は、パティが話したがっているだけなのだけど……と心の中で付け足しつつ。
「そうですか。わかりました。それでは、私も同行いたします。それと、念のためにディオン殿にも、一緒に行っていただきます」
ルードヴィッヒは立ち上がると、すぐに各所に話を付けに行ってくれる。
「パティも、皇妃になった時にはこういう方がいると便利ですわよ」
ちょっぴり誇らしげに言うミーアに、パティは小さく首を振り……。
「私の周りには、信用できる人が少ないから……。自分で動き回ったほうが安心できる」
難しい顔をする祖母に、ミーアは、ふぅむ、と唸ってから、
「ルードヴィッヒほど有能でも便利でもないかもしれませんけど、今の帝国宰相は、ある程度、信用のおける人物だと思いますわ」
父の下でずっと政務に当たっている宰相は、帝国革命時にも裏切ることなく、命を落とす人物である。蛇と通じている可能性は低いとミーアは判断する。
「一人でも、二人でも、信頼のできる人間がいれば、少しは気が休まるはずですわ」
そうして、パティの頭を静かに撫でつつ、ミーアはルードヴィッヒを待った。
やがて、やってきたルードヴィッヒとディオンの後について、ミーアは目的の場所に急いだ。
蛇の暗殺者、カルテリアが幽閉されているのは王宮の一室だった。
牢というほど粗末な部屋ではない。他国の要人を泊めるための一般的な部屋だった。かつてミーアが幽閉されていた牢などとはまさに雲泥の差であり、ついつい「ズルいですわ!」などと言いたくなってくる。
中に入ると、両腕を縛り上げられたカルテリアが、ギロリと睨みつけてきた。
「ほう、これはこれは……。帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンに直々にお越しいただけるとはな」
「お初にお目にかかりますわ。カルテリア・ペルラ・ガヌドス王子殿下」
そうして、スカートをちょこん、っと持ち上げた瞬間に、
「俺の名に余計なものを付け足すな。気分が悪くなる!」
叩きつけられるむき出しの殺気! その濃密な殺気に、傍らにいるパティが身を強張らせる。けれど……ミーアは涼しい顔をしていた。
なんなら、口元に笑みすら浮かべる、その余裕。どこか上から見下ろすかのような、揺らぎのない態度。
そうなのだ、ミーアはカルテリアに対して、精神的優位性を獲得し(マウントをとっ)ていたのだ。
なぜか? 理由はとても簡単で……。
――こいつ、しょせんディオンさんにボコボコにされてた奴ですし……。
これである!
かつて、ディオン・アライアに命を狙われ、追跡された経験を持つミーアは、ディオンの格下を前にして見下せるだけの胆力を習得しているのだ。
それに、すぐ後ろにはディオンが控えてもいるのだ。
正直、どれだけ殺気を向けられようと、鼻で笑えるレベルなのである。
「そう怖い顔をするものではありませんわ。子どもが怖がってしまうでしょう? わたくしたちは、ただ、あなたの話を聞きに来ただけですわ」
「話を聞きに? 俺がそう簡単にしゃべると思っているのであれば、見くびられたものだが……。ああ、例の嘘が吐けなくなる薬でも飲ませるつもりか?」
「それも一興ですけれど、生憎と持ち合わせがありませんの」
シュトリナに聞いたらひょっこり出してきそうな気はしたが……。恐らく、パティがしたいのはそういうことではないだろう、と自重したミーアである。
それから、ミーアはそっとパティの肩に手を置いた。パティは、こくん、っと小さく頷き……。
「聞きたいことがあります。あなたのお母さんは、混沌の蛇?」
その言葉に、ミーアは思わずギョッとする。
それは、考えていなかったからだ。てっきり、母親を捨てたガヌドス国王に恨みを持ったこの男に、蛇がすり寄ってきたものとばかり思っていたのだが……。
「ああ。そのとおりだ。それが、どうかしたか?」
対するカルテリアは、パティの問いかけに不思議そうに首を傾げた。
「あなたは、それを知って、なにか思わないの? 最初から、あなたを殺し屋として、ガヌドス国王を仕留めさせるために育てたのだとしたら……」
「わからんな。その問いになんの意味がある?」
「あなたのお母さんが、ガヌドス国王を殺すために近づき、恋をしたふりをして、あなたを身ごもって、捨てられて……。あなたを蛇の暗殺者として育てた。そのすべてが、あなたのお母さんの計画だったとしたら……、あなたを殺しの道具にしようとしたのだとしたら、あなたは、なにも思わないの?」
その言葉に、ミーアは再び目を剥いた。
――そっ、それは、考えておりませんでしたけれど……。なるほど、よくよく考えればパティは、帝国皇帝を堕落させ、帝国が崩壊するようにする、そのための役割を与えられておりましたわね。同じようなことがガヌドスに対して行われていても不思議ではない、と……。もしも、パティの言葉が正しければ、こいつにガヌドス国王を恨む理由はありませんわ。お母さまが捨てられたということ自体が、お母さま自身の計画であったということになりますもの。
パティの言葉には、さすがのカルテリアも、一瞬、考える様子を見せたが……。
「なんとも思わない。俺は母より生きる意味を与えられた。俺は、蛇の暗殺者として、ガヌドス国王を殺す。そのために生まれ、育てられた。剣の腕を鍛え、船上での戦い方を覚え、蛇の知識をもって、その機会を待ち続けた。すべては、母が憎んだあの男を殺すため。母がいつからそれを企んでいたのかなど些細な問題だ」
はっきりと言って、カルテリアは笑った。
「小娘、我が母を悪として、俺の心を変えようとしたか。なるほど、燻狼が言っていたとおり、お前は蛇の技を持っているらしいが……無駄なことだ」
パティの言葉は、カルテリアには届かない。それを見ていて、ミーアは察する。
――なるほど。その理屈では駄目ということですわね……。おそらく、パティは自分と、この男の母とを同一視している。だから、自分を……その母を悪にして、この男を被害者にしようとしている。けれど、それでは納得させられないのですわ。
おそらく、カルテリアにとって、母親の言葉に理があろうがなかろうが関係ないのだ。仮に母が悪意のみをもって彼を育て上げたと証明できたとしても、彼の心には響かないだろう。
それならそれで構わない、とこの男ならば言い切るに違いない。
ゆえに、むしろ言わなければならないことは……。
「可哀想……ですわね」
気付いた時には、言葉が出ていた。
「ほう。お前も俺を憐れむのか? 帝国の叡智よ。悪しき母に作られた、哀れな息子だと?」
小馬鹿にしたように笑うカルテリアに、ミーアは静かに首を振り、
「わたくしは、あなたを憐れむのではありませんわ。いいえ……」
一度、言葉を切って、息を吸ってから……。
「わたくしは、あなただけ、を憐れむのではありませんわ」
言い直す。はっきりと……。
「わたくしは、あなたのお母さまを憐みますわ。子を“誰かを殺すための存在”として育ててしまった女性を……ゼナイダさんを」
ミーアは、パティの頭に手を置きつつ、続ける。
「あったはずではないかしら? 幸せになれたはずの未来が……。母と子、平凡に、けれど、幸せに生きられる道が、まったくなかったのかしら……? あなたのお母さまは、そのように生きて幸せだったのかしら? あなたに復讐という想いを託せて幸せだったのかしら?」
「俺を説得するために、母の気持ちを捏造しようというのか?」
叩きつけられるは、滴るような暗い憎悪。けれど、ミーアはそれに怯むことはない。
ただ淡々と話を続ける。
ディオン・アライアに遥かに劣る男を相手に、怖がる必要などないのだ。
「無論、存じあげておりますわ。人にはそれぞれの幸せの形がある、と。だから、わたくしが、本来、あなたのお母さまのお心を語るだなんて、傲慢なことと思いますわ。けれど……」
そっと胸に手を当てて、ミーアは言った。
「わたくしは、断言しますわ。自らの子を殺すための道具のように育てることを、幸せに思う親など、いるはずがない、と。そして、もし、本気でそんなことを思う方がいたとしたら、その方は……歪んでいる。歪められてしまっておりますわ。人々に、文化に、国に、世界に……。ゆえに、可哀想ですわ」
ミーアがしたのは、線引きの位置の変更だった。
パティは……ゼナイダとカルテリアとの間に線を引こうとした。ゼナイダという悪によって育てられたカルテリアを被害者にしようとした。
けれど、ミーアは、その母親すらも被害者として、線を引く。
カルテリアが、その母親の被害者と言ってはいけないのだ。
その母親すらも被害者で、あなたたちは幸せになれるはずだったのだ……と、そんなヴィジョンを示してあげることこそが肝要。
ミーアの脳は、この時、なかなかに冴えていた。
それは、先ほど消えたクッキーが、空中に消失したというのではないことを証明するものだった。あのクッキーは確かにエネルギーとして、ミーアの脳みそをぎゅんぎゅん回すのに使われ、余った分はきちんとFNYとして蓄えられているのだ。
……大変なことである!
まぁ、それはともかく……。
「あなたたちは幸せになれるはずでしたわ。お金がない、小さな家での生活になったとしても。子を愛し、子に愛され、子の将来に希望を抱く。それは、人として当たり前の、そして、普遍の幸福ですわ」
ミーアは、人としての普遍的な幸福感を提示し、その当たり前が得られなかったゆえに、カルテリアの母を憐れむ。そして……。
「であるならば……あなたの怒りを向ける先は、本当に正しいのかしら? あなたのお母さまもまた、被害者なのだとしたら……、あなたのお母さまをそんな風にしたのは、誰? それは、あなたのお父さまではない。あなたが剣を向けるべきものは、本当はなんであるのか……あなたは考える必要がありますわ。カルテリア・ペルラ・ガヌドス」
ミーアは問う。お前の復讐はなにゆえのものであったのか? と。
母の怒りの、無念の原因を作ったものはなんであったのか、と。
それから、ポツリとつぶやくように……。
「あなたのお母さま……ゼナイダさんの、その“本当の心”は、いったい何を望んでいたのかしら……」
本当の心……それは、極めて危険な単語である。
「陛下の本当のお気持ちは、こんなものではない!」
などと言うのは、自らの都合の良い想いを君主に押し付けて、家臣が暴走する際の常套句であるし、ミーア自身、色々な像を建てられそうになるたびに戦わねばならない、厄介な言葉だ。
相手の気持ちを勝手に慮って、だから、今の姿は偽り、気の迷い、一過性のもの、と断ずる傲慢だ。
けれど、ミーアはあえてそれを口にする。
本当の気持ちはこうだ! と断定するのではなく「本当の気持ちは、真実、こんなものだったのかしら?」とふんわり疑問を呈することで、それは本当の気持ちじゃなかったんじゃない? と仄かに匂わせ……揺さぶるのだ。
そのうえで……。
「息子であるあなたは、それを考える必要がございますわ。そうしないと、何もわからぬまま、ただ、流されて父を殺すことになる。会ったことのない何者かの悪意に、踊らされるという愚を犯すことになる。それは、避けるべきではありませんの?」
それだけ言うと、答えを待たずに、ミーアは部屋を後にするのだった。