第百十八話 混沌と合理性と
「なぜだ……?」
剣を突きつけられたカルテリアは、驚きの表情を浮かべていた。
「なぜ、俺がお前ごときに……」
「お前には、ここが終着点だったのかもしれないが、ボクには、まだまだやるべきことがある。こんなところでは立ち止まっていられないし、それに……」
っと、アベルは苦笑いを浮かべて、
「どうやら、ボクは娘や孫に近づく男たちを、片っ端から叩き伏せなければならないらしいのでね」
それから、アベルは改めて告げる。
「さて……お前たちの負けだ。大人しくしてもら……」
けれど、その言葉は、途中で遮られた。
突如として、鈍い轟音が鳴り響いたためだ。と同時に、灯台が大きく振動した。
「おお! す、すごいです。アベルお祖父さまの一撃が、灯台を揺らし……わわわっ!」
などという、ベルの焦ったような悲鳴。
「いやぁ、それは、さすがに無理だ……」
っと、ディオンの苦笑い。
そんな中、ひときわ焦った様子を見せたのは、ハンネスだった。
「これは――まずい! みな、海に飛び込め! 早くっ!」
その声を合図に、事態は動き出した。
どんっと再びの振動。今度の揺れは、先ほどよりもさらに大きかった。そして、床が、わずかに傾いた……ように感じた。
想定外の事態、その一瞬の間隙を突いたのは意外な人物だった。
がしっと、後ろからタックルを喰らい、アベルが前につんのめる。驚き、振り向けば、そこには、自らの腰に腕を回す国王、ネストリの姿が見えて……。
「行け。カルテリア。我が息子よ」
「くっ、しまった」
その声に弾かれたように、カルテリアが動き出す。追いかけようとしたアベルであったが、国王に邪魔されて走り出すことができなかった。
カルテリアは……しかし、逃げようとはしなかった。彼の取った行動は、またしても、その場のみなの予想を裏切った。
彼は……地面に落ちた、自らの剣の刀身を拾うと、真っ直ぐに――ディオンのところに向かったのだ。
「この揺れる足場では、実力を出せなかろう。ここで、帝国の最強戦力を削らせてもらおうか」
「おいおい、正気か……いや、そういうことか」
舌打ち一つ。それから、ディオンはパティを小脇に抱えると、半身に構える。
「つくづく蛇って連中は、矛盾の塊だな……」
突き出されたる刃。必殺の一撃を難なく横に薙ぎ、体勢を崩させたうえで、剣の柄をカルテリアの首筋に打ち込む。
「ぐっ!」
そのまま、前に崩れ落ちるようにして、どう、とカルテリアが倒れ伏す。
「なっ、なぜだ……カルテリア……。なぜ」
国王ネストリの、呆然とした問いかけに、カルテリアは、苦痛に歪む口元に笑みを浮かべた。
「……なぜ、もなにも、あるまい。俺はお前が憎いのだ。父よ。だから、お前の言うことは、なにも、なに一つ聞いてやる、つもりはない」
それから彼は、ディオンのほうに目を向ける。
「俺の、個人的な事情に巻き込んじまったから、な。捕まらすわけにはいくまいよ」
彼が最後に為さんとしたこと、それは、ディオン・アライアに一矢報いること……ではなかった。
騎馬王国の蛇、火燻狼を、逃がすことだった。
つい先ほどまで剣を突き付けていた燻狼の姿が見えないことに、ディオンは珍しく苦り切った顔をする。
「まったく、つくづく混沌とは程遠い。自分の身を捨てて仲間を助けようだなんてね」
ずずぅんっと再び、灯台が揺れる。
「ああ、くそ……。アベル王子、国王陛下をお願いするよ。僕のほうは……」
ディオンは、カルテリアの襟首を持って肩に担ぐ。っと、いつの間にやら、彼の腕を抜け出したパティが、ひっしとディオンの首に腕を回して、おんぶの姿勢をとる。
「ああ、うん……。まぁ、動きやすくしてくれたのは助かるが……。君もずいぶんと変わった子だな……」
姫さんの知り合いには、変わった子が多いな、などとつぶやきつつも、ディオンは何の躊躇いもなく、海に向かって跳躍した。
冷たい海水に顔をしかめつつ、ディオンは全員の無事を確認。それから、改めて、灯台を見上げた。
灯台は、赤々とした炎を上げていた。どん、どんっと鈍い音が断続的に耳を叩く。
「なるほど……。仕上げに灯台を壊して逃げようって腹だったわけか……。あれは、いったい、なんだったんだい?」
声をかけた先にいたのは、ハンネスだった。その近く、わっぷわっぷ……などと溺れそうになっているベルには、オウラニアが寄り添っている。
「おそらくは、"火風の薬"と呼ばれるもの、でしょうな。不老不死の薬を探す過程で見つかったものと伝え聞いているが、なんでも、火をつけると炎の暴風を生み出すのだとか」
「やれやれ、あんなもの大量に作られたら戦の形が変わりそうだな。世界がますます混沌に陥りそうだ」
ディオンはふぅっと深々とため息。それから、小さく首を振り、
「まぁ、それでも……一人の命も損なわずってオーダー通りには、できたから良しとするべきかね。オウラニア姫殿下も国王陛下も、みな無事だったわけだし……」
視界の外れ、何世代前かのガヌドス国王によって建てられた灯台は、今、その使命を終えて、崩れ落ちようとしていた。本来であれば、ガヌドス王室の権威の象徴をへし折るという、象徴的な演出だったのだろうが……。
「それにしてもアベル殿下、申し訳ありませんね。一番、華のない御仁の世話をお願いすることになってしまって……」
ハンネスがオウラニアとベルを、ディオンがパティとカルテリアを持って跳んだため、必然的にアベルは、ガヌドス国王とともに、海にダイブする羽目になっていた。
「……ははは。まぁ、これならば、ミーアにやきもちを焼かれずに済むでしょうから」
ただただ、苦笑いのアベルである。
っと、噂をすれば、少し離れた場所に、一隻の船が姿を現わした。
それは、グリーンムーン公爵家が誇る美しき船、エメラルドスター号の威容だった。