第百十七話 孫娘の歓声! アベルはちょっぴり脱力(リラックス)した
燻狼と向かい合うディオンほどには、アベルの余裕はなかった。
盾で受け止めた斬撃をなんとか押しとどめ、一歩前へ。
「ネストリ陛下、どうぞ、お下がりください」
っと、後ろを窺おうとしたところで、不意に、圧力が消える。たたらを踏んで一歩前に出かけたところを、殺気!
――やられるっ!
刹那の判断。思い切り体をひねると同時、首筋を鋭い突きがかすめる。
「ぐっ!」
足に力を入れ、咄嗟に後退。されど、追い打ちをかけるようにして敵が迫ってくる。直後、やみくもに上げた盾にがつんっと再びの衝撃。受け止められたのは、まったくの幸運で、完全に押されていることをアベルは改めて実感する。
――これ以上は、下がれない。
背中に、なにかを守っての戦い。それは、その場に踏みとどまり、敵の勢いを受け止めることを求められる戦いだ。
それこそが、アベルが選んだ道。剣の形。ゆえに……腕に走る衝撃、痛みに歯を食いしばりつつ、その場に踏みとどまって、アベルは吠える。
「はぁっ!」
敵の、暴力的な圧力を跳ね返すようにして、盾を叩きつける。
その姿は、まさに……まさにっ!
「おおっ! さすがは、剛盾のアベルお祖父さま!」
そう、その姿、まさに剛盾!
娘、孫娘たちに対する幾多の恋のアプローチを跳ねのけた、剛盾そのもので……そのもので?
「さすがは、お母さまたちを、数多の貴族令息から遮ってきた鉄壁です!」
ちょっぴりズレたベルの歓声に、思わず脱力しそうになるアベル……であったが、次の瞬間、はたと気付く。
――肩の力が入りすぎていたか……。入れ込み過ぎていたな。
ともすれば、相手を殺しかねないほどの気負いがあった。アベルは苦笑いを浮かべつつ、相手を見る。
――ミーアを守るために、ボクの剣はある。ミーアの理想を守るために、この身はある。ならば、相手が誰であれ、殺すわけにはいかない。
「邪魔をするな。殺すぞ」
叩きつけられるのは、純然たる殺意。抜き身の刃のごときそれを受けて、けれど、アベルの心は落ち着き払っていた。
ミーアの行く道は、楽なものではない。
帝国初の女帝。それも、彼女の目指す国は、世界は……その理想は、とても高い。
この先、敵はいくらでもいるだろうし、この程度の殺意を突きつけられることも少なくはないだろう。
ならば、これは言うなれば一つの前哨戦。
女帝ミーアを守るための……女帝ミーアの理想のための戦いの、ほんの一つ。
まごついてなどいられない。
「なにを笑う? アベル・レムノ」
憎しみのこもった視線を感じ、アベルは小さく首を振る。
「いや、なに……。先ほどの話が少し聞こえてね。君は、国王陛下の息子だというじゃないか? となれば、これは、ガヌドス港湾国の王子と、レムノ王国の王子との一騎打ちなのだな、と……ふと、思ったまでのこと。それも、尊敬できぬ父上に対し、複雑な気持ちを抱く王子二人のね。なかなか、数奇なめぐりあわせと言えるんじゃないかな?」
軽口を叩くアベル、カルテリアは憎々しげに睨みつけながら叫んだ。
「ならば、なぜ、俺の邪魔をする? 先ほどの話を聞いていたというなら、わかっているはずだろう。これが復讐であるということ……。そこの男も、俺に殺されることを納得している。それをなぜ、部外者が邪魔をする?」
「それが、ミーアの望みだから、かな……」
直後、三度の衝撃。微妙に軌道を変える三撃を盾で受け止める。
重たい剛撃、腕の痺れに、顔をしかめつつ、一歩も引かない。
「帝国の叡智の犬になるか。一国の王子が情けない」
「我がレムノ王国の旗には、戦狼が描かれていてね。惚れた女のために犬となるのは、レムノの王子としては、本懐なのではないかな」
ガツン、ガツン、っと二度の斬撃。いずれも盾で受け流しつつ、アベルは、敵の動きに目を凝らす。
柔軟無比な、シオンの剣より、さらに変則的な剣。
波間を揺れる船のごとく、ゆらり、ゆらり、と左右に揺れつつ、一度攻撃に転じれば、それは怒涛の如く。幾度も続く波状攻撃、その剣筋はいずれもこちらの予想を裏切る動きをし、しかも、一撃一撃が恐ろしいほどに重い。
――ディオン殿の助言のとおり、盾を練習しておいて良かった。剣のみで、この攻撃を受け切るのは容易なことではない……というか、ディオン殿は、どうやってこいつを圧倒できたんだ?
ついつい、そんなことを考えてしまう。圧倒的な力の差を改めて実感するアベルである。
「どうした、ただ、攻撃を受けるだけか? 巫女姫の弟よ」
カルテリアの、どこか嘲るような声が聞こえる。
「巫女姫ヴァレンティナは、父の悪政を正すため、声を上げ、結果、殺されそうになったというじゃないか。その反撃のために蛇になったと聞いたぞ?」
振り下ろしの一撃、盾を上げて受け止める。
「それなのに、弟のお前は父にただ従うだけか? 王を殺し、自らが王権を盗り、己が信ずるところの善政を敷こうという気概はないのか?」
沈み込むように、胴に横薙ぎ。剣を振り下ろして受ける。
「国を腐らせた者どもを一掃する、そんな気概もなく、唯々諾々と父の言うことに、これまでの国の在り方に従うのみ。既得権益に守られ、平和を言い訳にしてぬくぬくと生きる第二王子よ。それがよくお前の剣に現れているよ。盾に隠れ、盾にすがるだけの剣にな!」
さらに、二撃、三撃、四撃。重たい斬撃を受けてなお、アベルの心は揺れることはない。
「その剣、姉にも狼使いにも、あのサンクランドの王子にも劣るだろうよ」
かつてであれば、心を揺らされたであろう言葉にも、その心は小動もせず。その目は、ただカルテリアの挙動にのみ向けられていた。
高々と頭上に振り上げられた剣。それはアベルが得意とする剣に似た型。されど、それは、アベルのものほどには洗練されたものではなく。ゆえに……っ!
――ここだっ!
アベルは一歩踏み出した。盾を、相手の振り下ろしに向かって突き出すと同時に手放し、体を右へと流す。
一瞬、宙に盾に隠れ、相手の視界から消える動き。
ひたすらに攻撃を受け続けることで、次も「ただ受けるだけだろう」と思い込ませて、その思考の間隙を突く動き。
剣を振り下ろした体勢で、カルテリアが驚愕の表情を浮かべているのが見えて……。
「このっ!」
憎悪に満ちた目がこちらを向く。流れるように振り上げられた剣に向かい、アベルは小さく息を吐き……上段に構えた剣を一閃!
体勢万全のアベルと、体勢不十分のカルテリア。
心を揺らさず、ただ、幾度も鍛練で繰り返した動きを、普段通りに繰り出したアベルと、意表を突かれ、苦し紛れに刃を振り上げたカルテリア。
その差は、歴然。
防御のためにあげられたカルテリアの剣は、半ばからへし折られ、勢いよく地面に叩きつけられた。