第百十五話 パティとゼナイダ
「我が息子よ……名は、なんというのか?」
震えるような声で、国王ネストリが問う。
「お前に恨みを持つ息子に、名を問うのか……?」
「自分を殺す男の名を問うのは、それほど不思議ではあるまい」
カルテリアは、一瞬、虚を突かれたような顔をしてから、
「なるほど。口が回る。確かにそれは道理だ……。ならば教えてやる。お前を殺す男の名は、カルテリアだ」
「カルテリア……そうか」
静かに頷き、続けて、彼は言った。
「彼女は……ゼナイダは……」
「とっくに死んだ。お前と、ガヌドスの民への恨み言を残してな」
「そう……か」
そこで王は項垂れた。血を分けた息子との間にある断絶、その深い裂け目の前で膝をつくように。
その様子を見て、パティは、あることに気付き、なんとも言えない嫌なものを感じていた。
疑問に思ったのは、たった一つのこと。すなわちゼナイダという女は、ただの被害者であったのか……? ということだった。
カルテリアに蛇の教えを施したのは誰か? ヴァイサリアンの民に潜む蛇導士か? 伝わっていた≪地を這うモノの書≫を彼が自分で読んでしまったのか?
あるいは、その母、ゼナイダであったのだろうか……?
ではもしも、ゼナイダが蛇であったなら……それは、ガヌドス国王と会った後、すなわち、捨てられた後だろうか? それともそれより、前だろうか……?
――普通に考えるなら、ガヌドス国王との失恋の後のはず。その傷ついた心につけ込まれて、蛇に取り込まれた、って。だけど……。
もしも……最初から蛇だったら? 彼女が蛇として、ネストリに近づいたのだとしたら、どうだろう?
――次期ガヌドス国王を、蛇の支配下に置くために……その心に絶望を刻み込むために近づいたのだったら、どうだろう……?
男を絶望させるために恋を囁き、自分の子を蛇にするため恨みを囁く。
その結果、生まれたのが、この目の前の惨状だ。
過去の恋に心を打ち砕かれた父と、実の父を殺そうとする息子の、決定的な断絶。
――それって、私がしろって言われてることと同じなんじゃ……。
パティの体が小さく震える。
そう、その蛇の在り方は“蛇に忠実な皇帝を生み出す”というパティに与えられた任務と似たものだった。夫である皇帝を絶望させ、子である次世代の皇帝を蛇として育て上げる。
パティに求められていることを、そのまま実行した女性がいたのだ。そして、その結果が目の前の不幸だった。
そして、家族の断絶はもう一つ。オウラニアと王の間にもぱっくりと口を開けていた。
「どうしてー? お父さま」
オウラニアが呆然とした口調で言った。
「愛する人がいたなら、どうしてお母さまとー、婚儀を結ばれたのですか?」
その問いかけに、ネストリ王は淡々と答える。
「国王として、世継ぎを残さぬわけにはいかなかろう」
その言葉は、どこまでも冷たく、乾ききっていた。
「……お前は、もともと生まれてくるはずではなかったのだ。そもそも、お前の母親とも婚儀を結ぶはずではなかったのだ。だが……」
口元に、自嘲の笑みを浮かべて、彼は続ける。
「帝国の皇妃パトリシアさまに言われてな。もしも、私がなにもしない、無為に生きるというのならば、血族を残すべきだ、とな。このままでは“一国の王の血筋を絶やす”という重大事を為すことになりはしないか? と。なるほど、統治者を失うことは、国を混乱させ、ヴァイサリアンの反乱を引き起こすやもしれぬ。あるいは、王なき民が暴走し、ヴァイサリアンに対し、より過酷な政策が選ばれるかもしれぬ。無為に生きたいと言いながら、結局は重大な影響を及ぼしてしまうという、とな」
彼は、くくっと口の中で笑って、
「こうして、自らの口で言えば、酷い詭弁だと思うが。パトリシアさまは、口の上手い方であったゆえ、つい口車に乗せられてしまったのだ」
それを聞き、パティの肩がピクリと揺れる。
――つまり、私がなにもしないと、オウラニア姫は生まれてこないことになる……?
そうして、パティは心の中の“過去に戻った時にすべきことリスト”に、きっちりと書き込む。
その、ほんの刹那の隙……。意識が乱れた、瞬間に、
「お前、いったいなにを……あっ!」
驚いたような声が響いた。
カルテリアと王とのやり取りを見て、火燻狼は、よしよし、と頷いた。
――やれやれ、これでようやく相棒が大人しくなるってもんだ。あとは、奴がオウラニア姫殿下を殺さないように止めるのと、ヴァイサリアンのアホどもを煽って蜂起させる、と。まぁ、白鴉の薫陶のよろしきを得た連中が、せっせと煽動してくれたおかげで、そちらは簡単にいくだろう。
それから、燻狼は思い出したように、パティのほうに目を向ける。
――ああ、それと、こっちの自称蛇のお嬢ちゃんからいろいろと情報を聞き出さないとねぇ。人質にも使えるだろうから、あんまり手荒なことはしないようにして。薬でしゃべらせるのがいいか。それから、帝国の叡智と交渉だ。いやぁ、これは忙しくなりそうだぞ。
なぁんて、舌なめずりをしていたものだから……彼は、それまで見逃していたのだ。
パティが、先ほどから、ちょっぴり体を不規則に動かしていることを……。
不意に、視界の外れ、何やら動くものを見つけて、燻狼は眉をひそめる。
――なんだ、今のは……。
パティの足の下、床の上を白い光が滑っていくのを見て……。
「お前、いったいなにを……あっ!」
ずかずかと歩み寄り、パティの腕を掴む。っと、その手の中にあったのは、反射鏡の欠片だった。
「しまった! カルテリア、早く王をっ!」
その声が響いた直後、事態は急転した。
来週は年末ということでお休み……にしようと思ったのですが、あんまりにあんまりな箇所だったのでちょっと続けます。ミーアは休んでると思います。